← Library‹ ひとごろし 四

おようは番頭ばんとうに、あとのことを一切いっさい任まかせ、旅たび支度したくで六兵衛ろくべえといっしょに高岡たかおかを立たった。土地とちでは古ふるい宿やどとみえ、旅たび切手きってもすぐ手てにはいったし、旅費りょひの金かねもたっぷり用意よういしたらしい。

そんなことよりも「お手伝てつだい」というのがさらに現実げんじつ的てきであり、大おおきな効果こうかをあげた。これまでは六兵衛ろくべえひとりで追おい詰つめて来きたのだが、高岡たかおかからはおようという交代こうたい者しゃができたのだ。

すなわち、六兵衛ろくべえが休やすんだり眠ねむったりしているとき、おようが代かわって「ひとごろし」と叫さけびたてるのである。

「その侍さむらいは人殺ひとごろしです」と彼女かのじょは昂のぼる軒けんを指ゆびさして叫さけぶ、「越前えちぜんの福井ふくいで人ひとを殺ころして逃にげたんです、いつまた暴あばれだして人ひとを殺ころすかもしれません、みなさん用心ようじんして下ください」

そうして充分じゅうぶんに休息きゅうそくし、眠ねむりたいだけ眠ねむった六兵衛ろくべえが、おように代かわるという仕組しくみであった。これは昂のぼる軒けんにとって大だい打撃だげきであった。

彼かれは掛かけ茶屋ちゃやにも寄よれず、宿屋やどやでゆっくり眠ねむることもできなかった。

「ひとごろし」という叫さけびを聞きくと、茶店ちゃみせの者ものは逃にげてしまうし、宿屋やどやでも相手あいてにしない。客きゃくが満員まんいんだからとか、食事しょくじの給仕きゅうじをする者ものもろくにない。

泊とまり客きゃくたちが逃にげだすのはいうまでもないし、宿やどの者ものや雇人やといにんたちも近ちかよろうとしないのであった。こちらの二人ふたりはゆうゆうとしていた。

「あたし本当ほんとうのことを云いうわ」おようは娘むすめらしいしなをつくりながら云いった、「あたしの本当ほんとうの名なはおとらっていうんです、兄あにが一人ひとり、姉あねが一人ひとり、小ちいさいときに死しんだものですから、この子こは丈夫じょうぶに育そだつようにって付つけたんですって」

「よくあるはなしですよ」

「だっていやだわ、おとらだなんて」おようは鼻柱はなばしらに皺しわをよせた、「ですからあたし、自分じぶんで名なを選えらびましたの、初はじめに付つけたのがおゆみ、それも気きにいらなくって次つぎははな、それからせき、去年きょねんまではさよっていってましたの」

「そしておようさんですか」

「昔むかしのお友達ともだちに同おなじ名なの、しとやかで温和おとなしい人にんがいたんです」

「しとやかで温和おんわしいとね」

「いやだわ」おようは赤あかくなった、「そういうお友達ともだちがいたって云いっただけですのよ」

その他たもろもろのことで、二人ふたりの話はなしはしだいにやわらかく、親密しんみつになっていったが、六兵衛ろくべえがそんなことで役目やくめを忘わすれた、などとは思おもわないでいただきたい。現げんに富山とやま城下じょうかへ着ついたときのことだが、昂のぼる軒けんが宿屋やどやへはいろうとするのを見みて、当番とうばんだった六兵衛ろくべえが、例れいのとおり喚わめきだし、宿やどの前まえはこわいもの見みたさの群集ぐんしゅうが、遠巻とおまきに集あつまって来きた。すると、町方まちかた与力よりきとみえる中年ちゅうねんの侍さむらいが、同心どうしんらしい二人ふたりの男おとこをつれてあらわれ、六兵衛ろくべえの前まえに立たちはだかった。

「ここは松平まつだいら淡路あわじ守まもるさま十じゅう万まん石こくの御ご城下じょうかである」とその中年ちゅうねんの侍さむらいが云いった、「かような時刻じこくに町まちなかで、ひとごろしなどと叫さけびたて、往来おうらいの者ものを威おどし騒さわぎを起おこすとは不届ふとどきなやつだ、役所やくしょまで同行どうこうしろ」

越前えちぜんの言葉ことばも訛なまりがひどい。

だが富山とやまの言葉ことばはもっと訛なまりがひどいので、正確せいかくなところは解釈かいしゃくしにくかったけれども、大体だいたいな意味いみだけは推察すいさつすることができた。

そこで六兵衛ろくべえは事情じじょうのあらましを語かたり、上意じょうい討うち趣意しゅい書しょを出だして、その中年ちゅうねんの侍さむらいに読よませた。

「これはこれは」とその中年ちゅうねんの侍さむらいは読よみ終おわって封ふうへ入いれてから、三さん拝はいして趣意しゅい書しょを彼かれに返かえし、これはまことに御ご無礼ぶれいと、急きゅうに態度たいどを改あらためた、「かような仔細しさいがあるとは少すこしも知しらず、失礼しつれいをつかまつった」

その中年ちゅうねんの侍さむらいは古風こふうな育そだちとみえ、道みちにころがっている石いしころのように古ふるくさい、きまり文句もんくでながながと詫わび言ごとを並ならべ、自分じぶんの思おもい違ちがいを悔くやんだ。六兵衛ろくべえにはその半分はんぶんもわからず、この男おとこは正真しょうしん正銘しょうめいの田舎侍いなかざむらいだな、などと思おもいながら聞きいていた。

「かように仔細しさいがわかった以上いじょう」と中年ちゅうねんの侍さむらいは続つづけた、「わが藩はんとしても拱手きょうしゅ傍観ぼうかんはできません、すぐさま奉行ぶぎょう所しょの人数にんずうを繰出くりだして、この宿やどの見張みはりをさせましょう、あなたはゆっくり休息きゅうそくして下ください、その武芸ぶげい者しゃになにかあったら即刻そっこくお知しらせをします、宿やどはこの向むこうの田川たがわがいいでしょう」

宿賃やどちんの心配しんぱいは無用むよう、ほかになにか希望きぼうがあったら、それも聞きいておきましょうと、念ねんのいった親切しんせつぶりをみせた。

「あなたにうかがいたいことがあるんだけれど」と、田川たがわ屋やへ泊とまってからおようが云いった、「こんなことうかがうのは失礼しつれいかしら」

宿帳やどちょうにはこれまでどおり兄妹きょうだいと書かいたので、二人ふたりは八はち帖じょうの座敷ざしきに夜具やぐを並ならべて寝ねていた。

「聞きいてみなければわからないな」と六兵衛ろくべえは答こたえた、「――尤もっとも、なにをきかれるかはおよそ見当けんとうがつくけれどね」

「あらほんと」おようは枕まくらの上うえで頭あたまをこっちに向むけ、つぶらな眼めをみはった、「そんならなにをきくと思おもって」

「うう」と彼かれはあいまいな声こえをだし、それから溜息ためいきをついて云いった、「たぶん私わたくしには、上意じょうい討うちができないだろう、ということじゃないかな」

「そのことなら心配しんぱいはしていません」

こんどは六兵衛ろくべえが振ふり向むいた。

「ええそうよ」とおようは彼かれに微笑びしょうしてみせた、女おんなが心こころから信頼しんらいする男おとこにだけしか見みせないような、匂におやかな微笑びしょうであった、「昂のぼる軒けんっていうんですか、あの人ひとはもう疲つかれきって、身みも心こころもくたくたになっています、いまならあたしにだってやっつけられますわ」

「そうはいかない、武芸ぶげいの名人めいじんともなれば、いざという場合ばあいになると吃驚びっくりするように変かわるものだ、吃驚びっくりするようにね」と云いって六兵衛ろくべえは深ふかい太息といきをついた、「――あいつを仕止しとめるには、まだ相当そうとうに日数にっすうがかかるよ」

「あたしがうかがいたいのはそんなことではないんです」とおようが云いった、「思おもいきって云いいますけれど、はしたない女おんなだと思おもわないで下ください」

彼かれは「そんなことは思おもわない」と答こたえた。肝心かんじんの話はなしにはいるまでの男女だんじょの問答もんどうは、およそ紋切もんきり型がたであるし、退屈たいくつ至極しごくなものときまっているようだ。そこでその部分ぶぶんをはしょって、本題ほんだいにはいることにしよう。

「あなたにはもう奥おくさまがいらっしゃるんですか」とおようがきいた。

「私わたくしにですか」と六兵衛ろくべえはおどろいたように問とい返かえした、「私わたくしが隠かくれもない臆病おくびょう者しゃだということは、初はじめての晩ばんに話はなした筈はずです、そのため妹いもうとは二十にじゅう一いちにもなるのに縁談えんだんもない、そんな人間にんげんのところへ来くるような嫁よめがありますか」

「では結婚けっこんなすったことは一いち度どもないんですのね」

六兵衛ろくべえは黙だまって頷うなずいた。

「でも」とおようは疑うたがわしげにきいた、「お好すきな方ほうの二人ふたりや三さん人にんはいらっしゃるんでしょう」

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