まもなく若侍が戻って来て、また元の六帖へ彼をつれ戻した。そうして食膳を出されたが、麦ばかりのようなどす黒い飯に、冷えた味噌汁と漬物だけで、その汁にも千切り大根の欠けたのが三つしか入っていなかった。菅田平野はまた腹を立てた。
「食い残しじゃないか」と彼はつぶやいた、「――なんという無礼なけちくさい家だろう」
だが空腹には勝てない、腹を立てながら喰べ終ったが、このあいだに家の中がざわざわし始めた。表廊下をしきりに往き来する足音や、人を呼びたてる声などが聞えた。
「もうおれのことなんぞ放ったらかしか、そうだろうな」と菅田平野は独り言を云った、「――それならこっちは、ひとつ」
彼はしばらく物音を聞き定めてから、立ちあがって、そっと中廊下へ出た。
――陸田城代がここに監禁されているかどうか、いるとすればどの辺の座敷か。
中廊下の左右を眺めた。人の来るようすはない、彼はさっきの八帖間のほうへ歩いていった。そちらが奥で、ずっと座敷が続いているらしい。だが、内庭の見える処まで来ると、ふいに右手の襖があいて、中年の侍が顔を出した。
「誰だ」とその侍はこっちを見て、それから仰天したようにどなった、「きさまなに者だ」
「手洗いにまいりたいのだが」
「なに、手洗いだと」相手は出て来て、つかみかかりそうな勢いで叫んだ、「きさまどこから入って来た、こんな処でなにをしている、これ渡辺、渡辺はいないか」
その侍のわめき声で、向うから若侍がとんで来、(それが渡辺というのだろう)彼のことを説明した。中年の侍は納得したが、「むやみに歩きまわっては困る」と云い、若侍に手洗い場へ案内しろと命じた。
「ひどくものものしいですな」菅田平野はこう云いながら若侍の表情をぬすみ見た、「――なにか奥に秘密でもあるようじゃありませんか」
「いま客が来たのです」若侍は答えた、「――御老職がお二人、なにか御内談があるようですから、こちらです」
菅田平野が手洗いから戻るまで、その若侍は待っていて、彼を元の六帖へ伴れ戻した。食膳はそのまま置いてあり、茶を持って来るようすもない。
――たしかに、あの奥のほうになにかある。
彼はこう思った。むろん、それが直ちに陸田の存在を示すものではないかもしれない、そうだと考えるのは早合点だろうが、あの中年の侍の(仰天したような)そぶりから察すると、たしかになにかあるとみていいように思えた。来客の二老職とは、仲島弥五郎と前林久之進に違いない、そして、源太夫が二人を呼んだのは、寺田たち九人の者が不在であること、したがって大里村の光明寺に徒党が集合しているという密告が、信じられたことを証明するであろう。
――かれらは討手を出すに相違ない。
菅田平野は少しあせりだした。かれらが光明寺へ討手の人数を出したらすぐにこっちの行動を始めなければならない。それにはぜひとも陸田氏の所在を探知する必要があった。「あの三老職の話が聞ければいいんだが」と彼はつぶやいた、「――三人の会談の席へ出られれば、なにか緒口がつかめるだろうが」
彼はそのほかに手段はないと思った。そこで、まだ云い残したことがあるから、といって取次ぎを頼もうと決心したとき、おりよく一人の若侍が入って来た。これはあの渡辺という男よりずっと若く、ぶあいそうなふくれ面で、大きな手籠を持っていた。
「お済みになりましたか」と若侍は云った、「よろしければ片づけます」
食膳をさげに来たのである。済んだというと、手籠をそこへ置き、食器をその中へ入れたうえ、膳を持って出ていった。菅田平野は取次ぎを頼もうとはしなかった。彼は眼を半眼にし、少し口をあけて、壁の一部をじっと見まもっていた。
「おれは盲人だ」と彼はつぶやいた。「――あの中年の侍が土蔵から出て来たとき気がついていいはずだ、そうではないか、あの手籠が食器を運ぶための物だということは、たったいまわかったのだからな」
菅田平野は手をすり合せた。さっき中庭を隔てて見た情景が、ありありと眼にうかんでくる。三棟並んだ土蔵のまん中のそれから、中年の侍が手籠を持って出て来、あとを閉めて雨の中をたち去った。その手籠はいま眼の前で見たのと同じ物のようである、正しく、中年の侍は土蔵の中へ食事を持っていったのだ。
「おれは盲人だ」と菅田平野はつぶやいた、そしてにやにやと微笑した、「――だが運の好い盲人だ、幸福な盲人といってもいいかもしれない、あとはただ一つ、……討手を出したことがわかったら、ひとつ」
その部屋には六尺の戸納があった。彼はそっとその唐紙をあけてみた、上下の段にきっちり蒲団が重ねてある。客用のではない、家士たちの使う予備のものらしい。彼は旅嚢から油綿の入っている油紙包と、燧袋とを取り出して(いつでも使えるように)旅嚢の下へ隠して置き、それからそこへ横になって、この家の動静に耳を澄ませた。
約半刻ばかりのち、裏手と思われるあたりで、馬を曳き出すけはいや、多数の人々のたち騒ぐ物音が聞えた。馬もかなりな頭数らしく、いななきや蹄の音が右往左往するようであった。菅田平野はじっと横になっていた。廊下を足音が近づいて来て、この部屋の襖をあける者があった。それでも菅田平野は動かなかった、旅嚢を枕にして、じっと眠ったふりをしていた。襖はすぐに閉り、足音は廊下の向うへいった。