← Library‹ 日日平安 九

まもなく若侍わかざむらいが戻もどって来きて、また元もとの六ろく帖じょうへ彼かれをつれ戻もどした。そうして食膳しょくぜんを出だされたが、麦むぎばかりのようなどす黒ぐろい飯めしに、冷ひえた味噌みそ汁しると漬物つけものだけで、その汁しるにも千切せんぎり大根だいこんの欠かけたのが三みつしか入はいっていなかった。菅田すがた平野へいやはまた腹はらを立たてた。

「食くい残のこしじゃないか」と彼かれはつぶやいた、「――なんという無礼ぶれいなけちくさい家いえだろう」

だが空腹くうふくには勝かてない、腹はらを立たてながら喰たべ終おわったが、このあいだに家いえの中なかがざわざわし始はじめた。表ひょう廊下ろうかをしきりに往いき来きする足音あしおとや、人ひとを呼よびたてる声こえなどが聞きこえた。

「もうおれのことなんぞ放ほったらかしか、そうだろうな」と菅田すがた平野へいやは独ひとり言ごとを云いった、「――それならこっちは、ひとつ」

彼かれはしばらく物音ものおとを聞きき定さだめてから、立たちあがって、そっと中ちゅう廊下ろうかへ出でた。

――陸田りくでん城代じょうだいがここに監禁かんきんされているかどうか、いるとすればどの辺へんの座敷ざしきか。

中ちゅう廊下ろうかの左右さゆうを眺ながめた。人ひとの来くるようすはない、彼かれはさっきの八はち帖じょう間かんのほうへ歩あるいていった。そちらが奥おくで、ずっと座敷ざしきが続つづいているらしい。だが、内庭うちにわの見みえる処ところまで来くると、ふいに右手みぎての襖ふすまがあいて、中年ちゅうねんの侍さむらいが顔かおを出だした。

「誰だれだ」とその侍さむらいはこっちを見みて、それから仰天ぎょうてんしたようにどなった、「きさまなに者ものだ」

「手洗てあらいにまいりたいのだが」

「なに、手洗てあらいだと」相手あいては出でて来きて、つかみかかりそうな勢いきおいで叫さけんだ、「きさまどこから入はいって来きた、こんな処ところでなにをしている、これ渡辺わたなべ、渡辺わたなべはいないか」

その侍さむらいのわめき声ごえで、向むこうから若侍わかざむらいがとんで来き、(それが渡辺わたなべというのだろう)彼かれのことを説明せつめいした。中年ちゅうねんの侍さむらいは納得なっとくしたが、「むやみに歩あるきまわっては困こまる」と云いい、若侍わかざむらいに手洗てあらい場ばへ案内あんないしろと命めいじた。

「ひどくものものしいですな」菅田すがた平野へいやはこう云いいながら若侍わかざむらいの表情ひょうじょうをぬすみ見みた、「――なにか奥おくに秘密ひみつでもあるようじゃありませんか」

「いま客きゃくが来きたのです」若侍わかざむらいは答こたえた、「――御ご老職ろうしょくがお二人ふたり、なにか御ご内談ないだんがあるようですから、こちらです」

菅田すがた平野へいやが手洗てあらいから戻もどるまで、その若侍わかざむらいは待まっていて、彼かれを元もとの六ろく帖じょうへ伴つれ戻もどした。食膳しょくぜんはそのまま置おいてあり、茶ちゃを持もって来くるようすもない。

――たしかに、あの奥おくのほうになにかある。

彼かれはこう思おもった。むろん、それが直ただちに陸田りくでんの存在そんざいを示しめすものではないかもしれない、そうだと考かんがえるのは早はや合点がてんだろうが、あの中年ちゅうねんの侍さむらいの(仰天ぎょうてんしたような)そぶりから察さっすると、たしかになにかあるとみていいように思おもえた。来客らいきゃくの二に老職ろうしょくとは、仲島なかじま弥五郎やごろうと前まえ林はやし久之ひさゆき進しんに違ちがいない、そして、源太夫げんだゆうが二人ふたりを呼よんだのは、寺田てらだたち九きゅう人にんの者ものが不在ふざいであること、したがって大里おおさと村むらの光明こうみょう寺じに徒党ととうが集合しゅうごうしているという密告みっこくが、信しんじられたことを証明しょうめいするであろう。

――かれらは討手うってを出だすに相違そういない。

菅田すがた平野へいやは少すこしあせりだした。かれらが光明こうみょう寺じへ討手うっての人数にんずうを出だしたらすぐにこっちの行動こうどうを始はじめなければならない。それにはぜひとも陸田りくでん氏しの所在しょざいを探知たんちする必要ひつようがあった。「あの三さん老職ろうしょくの話はなしが聞きければいいんだが」と彼かれはつぶやいた、「――三さん人にんの会談かいだんの席せきへ出でられれば、なにか緒口いとぐちがつかめるだろうが」

彼かれはそのほかに手段しゅだんはないと思おもった。そこで、まだ云いい残のこしたことがあるから、といって取次とりつぎを頼たのもうと決心けっしんしたとき、おりよく一人ひとりの若侍わかざむらいが入はいって来きた。これはあの渡辺わたなべという男おとこよりずっと若わかく、ぶあいそうなふくれ面つらで、大おおきな手籠てかごを持もっていた。

「お済すみになりましたか」と若侍わかざむらいは云いった、「よろしければ片かたづけます」

食膳しょくぜんをさげに来きたのである。済すんだというと、手籠てかごをそこへ置おき、食器しょっきをその中なかへ入いれたうえ、膳ぜんを持もって出でていった。菅田すがた平野へいやは取次とりつぎを頼たのもうとはしなかった。彼かれは眼めを半眼はんがんにし、少すこし口くちをあけて、壁かべの一部いちぶをじっと見みまもっていた。

「おれは盲人もうじんだ」と彼かれはつぶやいた。「――あの中年ちゅうねんの侍さむらいが土蔵どぞうから出でて来きたとき気きがついていいはずだ、そうではないか、あの手籠てかごが食器しょっきを運はこぶための物ものだということは、たったいまわかったのだからな」

菅田すがた平野へいやは手てをすり合あわせた。さっき中庭なかにわを隔へだてて見みた情景じょうけいが、ありありと眼めにうかんでくる。三さん棟むね並ならんだ土蔵どぞうのまん中なかのそれから、中年ちゅうねんの侍さむらいが手籠てかごを持もって出でて来き、あとを閉しめて雨あめの中なかをたち去さった。その手籠てかごはいま眼めの前まえで見みたのと同おなじ物もののようである、正ただしく、中年ちゅうねんの侍さむらいは土蔵どぞうの中なかへ食事しょくじを持もっていったのだ。

「おれは盲人もうじんだ」と菅田すがた平野へいやはつぶやいた、そしてにやにやと微笑びしょうした、「――だが運うんの好よい盲人もうじんだ、幸福こうふくな盲人もうじんといってもいいかもしれない、あとはただ一ひとつ、……討手うってを出だしたことがわかったら、ひとつ」

その部屋へやには六ろく尺しゃくの戸納とだながあった。彼かれはそっとその唐紙とうしをあけてみた、上下じょうげの段だんにきっちり蒲団ふとんが重かさねてある。客きゃく用ようのではない、家士かしたちの使つかう予備よびのものらしい。彼かれは旅嚢りょのうから油あぶら綿めんの入はいっている油紙ゆし包ほうと、燧ひきり袋ふくろとを取とり出だして(いつでも使つかえるように)旅嚢りょのうの下したへ隠かくして置おき、それからそこへ横よこになって、この家いえの動静どうせいに耳みみを澄すませた。

約やく半刻はんときばかりのち、裏手うらてと思おもわれるあたりで、馬うまを曳ひき出だすけはいや、多数たすうの人々ひとびとのたち騒さわぐ物音ものおとが聞きこえた。馬うまもかなりな頭数とうすうらしく、いななきや蹄ひづめの音おとが右往うおう左往さおうするようであった。菅田すがた平野へいやはじっと横よこになっていた。廊下ろうかを足音あしおとが近ちかづいて来きて、この部屋へやの襖ふすまをあける者ものがあった。それでも菅田すがた平野へいやは動うごかなかった、旅嚢りょのうを枕まくらにして、じっと眠ねむったふりをしていた。襖ふすまはすぐに閉しまり、足音あしおとは廊下ろうかの向むこうへいった。

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