勘十はこの話を聞いて、梶平へでかけていった。杉田屋が大工の頭梁なら、梶平に消息を知った者がいるかもしれないと思ったのだ。友助に話してきいて貰うと、主人の久兵衛が知っていた。けれどもそう親しくはなかったもようで、頭梁の巳之吉は火事のとき腰骨を折り、女房を伴れて水戸のほうへ引込んでしまった。が、その後は便りがないからわからないということだった。
「ところがわかっていねえというんだから手紙の出しようもねえ」帰って来た勘十はお常にこう云った、「――幸太てえ若頭梁もいたそうだが、これもあの晩どっかで死んだらしいってよ、おせん坊もよっぽど運がねえんだな」
こんなことがあってまもなく、神田川の落ち口に地蔵堂が出来た。その付近で火に焼かれたり川へはいって死んだりした者の供養のためで、浅草寺からなにがし上人とかいう尊い僧が来て開眼式がおこなわれ、数日のあいだ参詣の人たちで賑わった。――おせんもすすめられて、お常といっしょに焼香をしにいった。そしてあれ以来はじめて大川をまぢかに眺めた。
「此処に橋があればよかったんだ」
参詣人のなかでそんな話をしている者があった。
「まったくよ、どんなに小さくとも橋があればあんなにたくさん死なずに済んだんだ、なにしろ浅草橋の御門は閉る、うしろは火で、どうしようもなく此処へ集まっちゃったんだ、見られたありさまじゃなかったぜ」
「橋を架けなくちゃあいけねえ、どうしても此処にあ橋が要るよ」
「そんな話も出ているそうだぜ」
おせんは河岸に立ってじっと川を眺めていた。少し暑いくらいの日で、満潮の川波がまぶしいくらい明るく光り、かなり高く潮の香が匂ってくる。両国広小路のほうにはもう水茶屋が出来て、葭簾張りに色とりどりの暖簾を掛けた小屋が並び、客を呼ぶ女たちの賑やかな声が聞えていた。――おせんは口の中でなにか呟いた。河岸に並んでいる古い柳、それはみんなまっ黒に焦げているが、枝の付根や幹のそこ此処からたいてい新しい芽が伸び、鮮やかな緑の葉が日にきらめいていた。おせんはその柳の並木を見まもった、なにかしら記憶がよみがえってくる、たぷたぷと波の寄せる石垣にも、水茶屋の女たちの遠い呼びごえにも、そして焦げたまま芽ぶいているその古い柳からは、誰かなつかしい人の話しかける言葉さえ聞えるようだ。……おせんは苦しそうに眉をしかめ、じっと眼をつむったり、頭を振ってみたりした。記憶はそこまで出ている。針の尖で突いてもすべてがぱっと明るくなりそうである。動悸が高く、胸が熱くなって、額に汗がにじみだした。
「まあこんなとこにいたのかえ」
子供を抱いたお常が、こう云いながら近寄って来た。参詣する人たちの混雑で見はぐれていたらしい。
「どこへいったのかと思って捜してたじゃないの、どうしたのいったい」
「あたし此処に覚えがあるの」お常のほうは見ずにおせんがこう呟いた、「――あたし此処を知っているわ、いつのことかわからないけれど、慥かに覚えがあるし、それに、誰かの顔も見えるわ」
「たくさん、たくさん、そんなことであたまを使うとまたぶり返すよ、さあもう帰ろうおせんちゃん」
唯ならぬ表情をしているので、お常はこう云いながら腕を取ってせきたてた。そのときおせんは「庄さん」と呟いた。お常に腕を取られたとたんに、ふっとその名が、あたまにうかんだのである。
「ああ」
おせんは身をふるわせ、両手の指をきりきりと絡み合せた。
「――庄さん」
「おせんちゃん、どうしたのさ」
「おばさん、わかってきた、あたしわかってきたわ、庄さん、――と此処で逢った、あのひとは此処から上方へいったのよ」
「いいからおせんちゃん」お常は不安そうに遮った、「――とにかく家へ帰ろう、ね、幸坊がもうおなかをすかしてるよ」
「待って、もう少しだわ、だんだんわかってくるの、そうよ、庄さんは上方から手紙を呉れたわ」
おせんは両手で面を掩った。いろいろな影像があたまのなかで現われたり消えたりする。黄昏の河岸、柳の枝から黄色くなった葉がしきりに散っていた。
――おれの帰るのを待っていて呉れるな、おせんちゃん、それを信じて、安心しておれは上方へゆくよ。
蒼白い思いつめたような庄吉の顔が、いま別れたばかりのようにありありとみえる。それから戸板で担ぎこまれたお祖父さん、裏のさかな屋の女房、露次ぐちにあった棗の樹、幾つもの研石や半揷や小盥のある仕事場、みんなはっきりと眼にうかんできた。杉田屋のおじさんもお蝶おばさんも、幸太のことも。……おせんは顔を掩っていた手を放し、涙のたまった眼で、お常に頬笑みかけた。
「おばさん、あたしもう大丈夫よ」
「ああわかってるよ」お常はほっとしたように、しかしまだ半分は疑いながら頷いた。
「――時が来さえすればよくなるんだから、とにかくいちどに考え過ぎないほうがいいよ、さあ帰りましょうね、幸坊」
「あたしが抱くわ、幸ちゃん、さあいらっちゃい」
おせんは幸太郎を抱きとり、固く肥えたその頬へそっと自分のをすりよせた。
それからは日にいちどずつ、願を掛けたようにお地蔵さまへおまいりにいった。あたまもはっきりしてきたし、気持もしっかりおちついて、からだにも精がはいったような感じである。例えば洗濯をしているとき、はっきり自分が洗濯をしているということを感ずる。道を歩きながら、自分がちゃんと地面を踏んで歩いていることを感ずる。あたりまえじゃないの、こう思いながらその「あたりまえ」が慥かなものだということに、形容しようのない嬉しさを覚え、われ知らずそっと微笑するのであった。