← Library‹ 柳橋物語 中篇 五

幸太郎こうたろうは粥かゆを喰たべるようになってから却かえっておせんの乳房ちぶさを欲ほしがった。起おきているときはさほどでもないが、寝ねるときは握にぎっているか口くちに含ふくんでいないと眠ねむらない。初はじめはとても擽くすぐったくて我慢がまんできなかったが、どうしてもきかないので少すこしずつ触さわらせているうち、慣なれたというのだろうか、その頃ころではさして苦くにもならず、どちらかといえば自分じぶんから与あたえてやるようにさえなっていた。

「吸すっちゃあいやよ、幸みゆきちゃん、吸すうと擽くすぐったいからね、ただ銜くわえてるだけ、そう、こっちのお手々ててもそうやって握にぎるだけよ、乳首ちくびをつままないでね、ああちゃんとっても擽くすぐったいんだからね、そうそう、そうやっておとなしくねんねするのよ」

添寝そいねをして片乳かたぢを口くちに含ふくませ片かた乳ちちを握にぎらせていると、ふしぎな一種いっしゅの感情かんじょうがわいてきて、思おもわず子供こどもを抱だきしめたり頬ほおを吸すってやりたくなることがある、からだぜんたいが、あやされるような重おもさ、こころよいけだるさに包つつまれ、どこか深ふかい空洞くうどうへでも落おちてゆく陶酔とうすいと、なんのわずらいも心配しんぱいもない安定あんていした気持きもちとを感かんずるのであった。

――三み日かの夜よるは幸太郎こうたろうの寝ねつきが悪わるく、いくたびも乳ちちをつよく吸すっておせんを驚おどろかした。十じゅう時じころにいちど用ようを達たさせ、それから少すこしうとうとしたと思おもうと、痛いたいほど激はげしくまた乳ちちを吸すわれた。からだじゅうの神経しんけいがひきつるような感覚かんかくにおそわれ、おせんは思おもわず声こえをあげて乳ちちを離はなさせた。

「いやよ幸みゆきちゃん、吃驚びっくりするじゃないの、どうして今夜こんやはそうおとなしくないの」

「ああちゃん、ばぶばぶ、いやあよ」

「なあに、なにがいやなの」

こう云いって頭あたまをもたげたとき、すぐ表ひょうのところで水みずの中なかを人ひとの歩あるく音おとが聞きこえた。まだ眠ねむけはさめきっていなかったが、おせんはただごとでないと思おもってとび起おき、

「おばさん、おばさんたいへんよ」

と、叫さけびだした。

それからあとの出来事できごとは記憶きおくが慥たしかでない。勘かん十じゅうがまず表ひょうへ見みに出でようとして、「これあいけねえ土間どまがもういっぺえだ」と喚わめいたこと、なにかを取出とりだしたり包つつんだりする夫婦ふうふのひどく狼狽ろうばいしたようす、すぐ近ちかくで「水みずだ、水みずだ、みんな逃にげろ」と呼よびたてる声こえがしたこと、幸太郎こうたろうを背負せおって、てまわりの物ものを包つつんで、お常つねの手てから奪うばうようにかなり大おおきな包つつみを受取うけとって、裏うらへ出でるとそこがもう膝ひざにつく水みずだったこと、まっ暗くらな夜空よぞらに遠とおくの寺てらで撞つく早鐘はやがねや半鐘はんしょうの音おとが、女おんなや子供こどもたちの呼よび交かわす悲鳴ひめいとともに、悪夢あくむのなかで聞きくようなすさまじい響ひびきを伝つたえていたことなど、殆ほとんどがきれぎれの印象いんしょうとしてしか、残のこっていなかった――そのなかで忘わすれることのできないのは、背せに負おった幸太郎こうたろうのことである。おせんは怖こわがらせまいと思おもって、絶たえずなにかしら話はなしかけていた。

「ほらじゃぶじゃぶ、おもちろいわねえ、じゃぶじゃぶ、みんなしてじゃぶじゃぶ、幸こう坊ぼうも大おおきくなったらじゃぶじゃぶねえ」

「ああちゃん、ばぶばぶ、おもちよいね、はは」

子供こどもは背中せなかではねた。笑わらいごえもたてた。しかし同時どうじに震ふるえていた。怖こわいのだ、怖こわいけれども自分じぶんでそれをまぎらわそうとしている、こんな幼おさない幸太郎こうたろうが、……おせんはいじらしさに胸むなぐるしくなり、いくら拭ふいても涙なみだが出でてきてしかたがなかった。

「強つよいのね幸さいわい坊ぼうは」おせんは首くびをねじるようにして頬ほおずりした、「――なんにも怖こわくはないのよ、ね、じゃぶじゃぶ、みんなで観音かんのんさまへいきまちょ、はいじゃぶじゃぶ」

勘かん十じゅう夫婦ふうふとどこではぐれたかも覚おぼえはなかった。猿屋町さるやちょうあたりでお常つねが忘わすれ物ものを思おもいだし、「あれだけは」と泣なくような声こえをあげた。諦あきらめろとか引返ひきかえすとか云いうのを聞ききながら、揉もみ返かえすひとなみに押おされてゆくうち、気きがついてみると二人ふたりはみえなくなっていた。湯島ゆしまの天神てんじんさまへということはうちあわせてあったので、いずれは会あえると思おもい、そのまま避難ひなん者しゃの群ぐんといっしょに湯島ゆしまへいってしまったが、それが勘かん十じゅう夫婦ふうふとの別わかれになったのであった。

聖堂せいどうの裏うらの空地くうちに建たてられたお救すくい小屋こやで、おせんはまる十とお日かのあいだ窮屈きゅうくつなくらしをした。そのあいだにずいぶん捜さがしまわったが、勘かん十じゅうにもお常つねにも会あえず、見みたという者ものさえなかった。そのときの水みずは本所ほんじょと深川ふかがわを海うみのようにし、西岸せいがんも浅草あさくさ通とおりを越こして、上野うえのの広小路ひろこうじあたりさえ道みちに溢あふれ、四よん日かばかりは少すこしも減へるようすがなかった。――だが夫婦ふうふはみがるのことでもあり二人ふたりいっしょだから、どう間違まちがっても溺おぼれるようなことはないであろう、家いえへ帰かえれば会あえるにちがいないと思おもっていた。

水みずは七なな日にちめあたりから退しりぞきはじめた。おせんは子供こどもを負おって、まだ泥水どろみずが脛はぎまであるうちからなんども平右衛門へいえもん町まちへいった。あたりはひどいありさまで、流ながされたり毀こわれたりした家いえが多おおく、勘かん十じゅうの大おおきな物置ものおきなどかたちも無なかったが、住居じゅうきょのほうは小ちいさいのと藁わらや蓆むしろが絡からみついたためか、少すこし傾かたむいただけで残のこっていた。十とお日かめには床ゆかもやや乾かわいたし、梶かじ平たいらにいる友助ともすけの女房にょうぼうがすすめるので、お救すくい小屋こやをひきはらって来きたが、勘かん十じゅう夫婦ふうふはやはり姿すがたをみせず、そのままついに会あうことはできなかった。

おせんが本当ほんとうに生いきる苦くるしさを経験けいけんしたのはそれからのちのことであった。それまでは勘かん十じゅうとお常つねがいて呉くれたし、半分はんぶんはあたまをいためてもののけじめも明あきらかではなく、苦労くろうというほどの思おもいはせずに済すんで来きた。けれどもこんどは自分じぶんのちからで生いきなければならない、さいわい住居じゅうきょだけはある、友助ともすけの女房にょうぼうがいろいろ気きを配くばって、古ふるいものだが蒲がまの敷しき畳たたみも入いれて呉くれたし、屋根やねや羽目板はめいたのいたんだところも直なおして呉くれた。まだ暑あつい季節きせつなので寝起ねおきもすぐに困こまりはしなかった。だがたび重かさなる災難さいなんで世間せけん一般いっぱんに生活せいかつのゆきづまりがひどく、誰だれにしても他人たにんの面倒めんどうなどみている余裕よゆうはない、おせんはまず友助ともすけの好意こういで材木ざいもくの屑くずをわけて貰もらい、それを売うり歩あるいて僅わずかに飢うえをしのぐことから始はじめた。

――庄しょうさんは帰かえって呉くれないかしら。

心こころぼそくなるとよくそう思おもった。

――去年きょねんの地震じしんや火事かじのことを聞きかなかったのかしら、あんなにひどかったのだもの、上方かみがたへだって評判ひょうばんがいった筈はずだのに、もしも聞きいたとしたら、せめて手紙てがみぐらい呉くれてもいい筈はずだのに。しかしそのあとからすぐ自分じぶんを叱しかった。

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