幸太郎は粥を喰べるようになってから却っておせんの乳房を欲しがった。起きているときはさほどでもないが、寝るときは握っているか口に含んでいないと眠らない。初めはとても擽ったくて我慢できなかったが、どうしてもきかないので少しずつ触らせているうち、慣れたというのだろうか、その頃ではさして苦にもならず、どちらかといえば自分から与えてやるようにさえなっていた。
「吸っちゃあいやよ、幸ちゃん、吸うと擽ったいからね、ただ銜えてるだけ、そう、こっちのお手々もそうやって握るだけよ、乳首をつままないでね、ああちゃんとっても擽ったいんだからね、そうそう、そうやっておとなしくねんねするのよ」
添寝をして片乳を口に含ませ片乳を握らせていると、ふしぎな一種の感情がわいてきて、思わず子供を抱きしめたり頬を吸ってやりたくなることがある、からだぜんたいが、あやされるような重さ、こころよいけだるさに包まれ、どこか深い空洞へでも落ちてゆく陶酔と、なんのわずらいも心配もない安定した気持とを感ずるのであった。
――三日の夜は幸太郎の寝つきが悪く、いくたびも乳をつよく吸っておせんを驚かした。十時ころにいちど用を達させ、それから少しうとうとしたと思うと、痛いほど激しくまた乳を吸われた。からだじゅうの神経がひきつるような感覚におそわれ、おせんは思わず声をあげて乳を離させた。
「いやよ幸ちゃん、吃驚するじゃないの、どうして今夜はそうおとなしくないの」
「ああちゃん、ばぶばぶ、いやあよ」
「なあに、なにがいやなの」
こう云って頭をもたげたとき、すぐ表のところで水の中を人の歩く音が聞えた。まだ眠けはさめきっていなかったが、おせんはただごとでないと思ってとび起き、
「おばさん、おばさんたいへんよ」
と、叫びだした。
それからあとの出来事は記憶が慥かでない。勘十がまず表へ見に出ようとして、「これあいけねえ土間がもういっぺえだ」と喚いたこと、なにかを取出したり包んだりする夫婦のひどく狼狽したようす、すぐ近くで「水だ、水だ、みんな逃げろ」と呼びたてる声がしたこと、幸太郎を背負って、てまわりの物を包んで、お常の手から奪うようにかなり大きな包を受取って、裏へ出るとそこがもう膝につく水だったこと、まっ暗な夜空に遠くの寺で撞く早鐘や半鐘の音が、女や子供たちの呼び交わす悲鳴とともに、悪夢のなかで聞くようなすさまじい響きを伝えていたことなど、殆んどがきれぎれの印象としてしか、残っていなかった――そのなかで忘れることのできないのは、背に負った幸太郎のことである。おせんは怖がらせまいと思って、絶えずなにかしら話しかけていた。
「ほらじゃぶじゃぶ、おもちろいわねえ、じゃぶじゃぶ、みんなしてじゃぶじゃぶ、幸坊も大きくなったらじゃぶじゃぶねえ」
「ああちゃん、ばぶばぶ、おもちよいね、はは」
子供は背中ではねた。笑いごえもたてた。しかし同時に震えていた。怖いのだ、怖いけれども自分でそれをまぎらわそうとしている、こんな幼い幸太郎が、……おせんはいじらしさに胸ぐるしくなり、いくら拭いても涙が出てきてしかたがなかった。
「強いのね幸坊は」おせんは首をねじるようにして頬ずりした、「――なんにも怖くはないのよ、ね、じゃぶじゃぶ、みんなで観音さまへいきまちょ、はいじゃぶじゃぶ」
勘十夫婦とどこではぐれたかも覚えはなかった。猿屋町あたりでお常が忘れ物を思いだし、「あれだけは」と泣くような声をあげた。諦めろとか引返すとか云うのを聞きながら、揉み返すひとなみに押されてゆくうち、気がついてみると二人はみえなくなっていた。湯島の天神さまへということはうちあわせてあったので、いずれは会えると思い、そのまま避難者の群といっしょに湯島へいってしまったが、それが勘十夫婦との別れになったのであった。
聖堂の裏の空地に建てられたお救い小屋で、おせんはまる十日のあいだ窮屈なくらしをした。そのあいだにずいぶん捜しまわったが、勘十にもお常にも会えず、見たという者さえなかった。そのときの水は本所と深川を海のようにし、西岸も浅草通りを越して、上野の広小路あたりさえ道に溢れ、四日ばかりは少しも減るようすがなかった。――だが夫婦はみがるのことでもあり二人いっしょだから、どう間違っても溺れるようなことはないであろう、家へ帰れば会えるにちがいないと思っていた。
水は七日めあたりから退きはじめた。おせんは子供を負って、まだ泥水が脛まであるうちからなんども平右衛門町へいった。あたりはひどいありさまで、流されたり毀れたりした家が多く、勘十の大きな物置などかたちも無かったが、住居のほうは小さいのと藁や蓆が絡みついたためか、少し傾いただけで残っていた。十日めには床もやや乾いたし、梶平にいる友助の女房がすすめるので、お救い小屋をひきはらって来たが、勘十夫婦はやはり姿をみせず、そのままついに会うことはできなかった。
おせんが本当に生きる苦しさを経験したのはそれからのちのことであった。それまでは勘十とお常がいて呉れたし、半分はあたまをいためてもののけじめも明らかではなく、苦労というほどの思いはせずに済んで来た。けれどもこんどは自分のちからで生きなければならない、さいわい住居だけはある、友助の女房がいろいろ気を配って、古いものだが蒲の敷畳も入れて呉れたし、屋根や羽目板のいたんだところも直して呉れた。まだ暑い季節なので寝起きもすぐに困りはしなかった。だがたび重なる災難で世間一般に生活のゆきづまりがひどく、誰にしても他人の面倒などみている余裕はない、おせんはまず友助の好意で材木の屑をわけて貰い、それを売り歩いて僅かに飢をしのぐことから始めた。
――庄さんは帰って呉れないかしら。
心ぼそくなるとよくそう思った。
――去年の地震や火事のことを聞かなかったのかしら、あんなにひどかったのだもの、上方へだって評判がいった筈だのに、もしも聞いたとしたら、せめて手紙ぐらい呉れてもいい筈だのに。しかしそのあとからすぐ自分を叱った。