それがいつかの女だと知ると、松造は入りかけた足を戻してこのまま帰ると云った。おいくの顔にも露骨な侮蔑の色があらわれ、わざとらしく子供の手を取ってさっと先へ出ていった。まるでとりなしようもない、おせんは、やむなく夫婦の荷包を取って来て渡した。松造は紙にくるんだ物をおせんに与え、――贅ったことはいらないからこれで友助のところへ送り膳を届けるように、また余ったのはその女にもやって早く出てゆかせるように、さもないと幸太郎のためにもよくないから、そういうことを低く囁いて去っていった。
おもんは病気にかかっていた。汗と垢とで寄りつけないほど臭い躯を、どうにか上へあげ、べとべとに汚れたぼろをぬがせて、ともかくも膚を拭いてやろうとしたが、余りに痩せ衰えたあさましい裸を見ると、おせんは総身にとりはだの立つほど慄然とした。呼吸は激しく、躯は火のような熱である。そして両の乳房はどちらもひしゃげて、どす黒い幾すじかの襞になっていた。
「おせんちゃん、あんた見て呉れた」おもんはしゃがれた声でそう云った、「――ようよう家が持てたのよ、あんたに見て貰おうと思って、……これでひと安心だわ、あんたも越して来なさいよ、いっしょに此処で暮そうじゃないの、ねえおせんちゃん、あたしもあんたも、ずいぶん苦労したんだもの、いいかげんにもう楽になってもいい頃よ、ねえ、この家あんたに気にいって」
「ええ気にいったわ」おせんは自分の単衣を出して彼女の上へ掛けてやった、「――とてもいい家だわ、おもんちゃん、でも少しじっとしていてね、あたしいまお医者を呼んで来るから、動かないで待っているのよ」
おせんは幸太郎を負ってとびだした。
三軒たずねて断わられ、四軒めに佐野正からの口添えで、駒形町の和泉杏順という医者が来て呉れた。診断は労咳ということだった。それもひじょうに重くなっているので、当分は絶対安静にしなければならない、話もさせてはならないと云われた。こちらの生活を察したものだろう、もし必要ならお救い小屋へ入れる手配をしてやってよい、そう云って呉れたので、そこへゆけば充分な治療がして貰えるのであろうかと訊いたが、病気がここまで進んではどんな名医でも手のつけようがない、あとはただ静かに死ねるようにしてやるばかりだという。それなら自分にとってはたった一人の友達だから、ここで死ぬまでみとってやりたいと思う。こう答えて医者を送り出した。
その月いっぱいおせんは満足に眠れない日を過した。もう高価な薬も、むだだというので、ふりだしのような物を呉れるだけだったから、薬代はさしてかからなかったが、幾らかでも精のつくように卵とか鳥などを与えたいと思うので、毎日買い物をできるだけ詰めても、佐野正への借りが少しずつ殖えていった。
――松造は六七日おきぐらいに来たけれども、おもんの寝ているのを見ると、持って来た物を置いてすぐに帰っていった。あのときあのように云ったにしては、かくべつ機嫌を悪くしたようにもみえず、却って持って来て呉れる物のなかに卵や胡麻や榧の実などが殖えたくらいである。特に榧の実は労咳にいいそうで、日に三粒ずつそのたびに焼いて、熱いうち食うようにと念を押したりした。……医者はいくばくもないように云ったけれども、八月にはいると熱も下り、食欲もついて、眼の色なども活き活きとしてきた。それまで話は禁じられていたし自分でもそれだけの元気はなかったらしいのが、少しずつ口をききはじめ、夜など寝つけないことがあると、静かな歌うような口ぶりでよく昔のことを話したがった。年月にすれば僅か三年あまりのことだけれど、あの火事のまえ、二人が仲良くお針の師匠の家へかよっていたじぶんのことは、十年も十五年も昔のようにしか思えないのである。
「お花さんていうひとがいたわねえ、髪の毛の赭い、おでこの、お饒舌りばかりしていつもお師匠さんに叱られていた、――あのひとあんなにがらがらだし、歯を汚なくしていたんであたし嫌いだったけれど、いま思うと悪気のない可愛いひとだったのね」
「それからお喜多さんてひと覚えている、おせんちゃん、意地が悪いのと蔭口ばかりきくのでみんなに厭がられていたでしょう、あたしも、お弁当の中へ虫を入れられたことがあるわ、でも考えてみるとあのひと寂しかったんだわ、誰も親しくして呉れる者がないので、寂しいのと嫉ましいのであんな風になったのよ、あたしたちこそ思い遣りがなかったんだわね」
「おもとさんと絹さん、それからおようちゃんの三人はお嫁にいったの、お絹さんは向う両国の佃煮屋へいって、去年だかもう赤ちゃんができたわ、――みんないい人ばかりだったわねえ、いつかみんなでいっぺん会いたいわねえ、おせんちゃん」
そんなに話しては躯に障るからと注意するのだが、すぐにまたひきいれられるような口ぶりで語りだすのである。その頃には頬のあたりが肉づいてきたためだろう、色こそ悪いが以前の顔だちをとり戻して、まなざし言葉つきなど、あの頃の明るい人なつっこいおもんがそのまま感じられるようになった。――その調子でゆけば或いは全快したかもしれない、全快はしなかったにしても、そう急にいけなくなるようなことはなかったに違いない、しかしそれから間もなく思いがけない出来事が起こって、おもんは悲しい終りを遂げなければならなかった。
八月の十五日、月見のしたくに団子を拵えたあと、柳原堤へいって供え物の芒や、青柿などを買って帰る途中、同じ買い物帰りのおたかと偶然いっしょになった。挨拶しただけで別れようとすると、どういう積りでかいっしょについて歩きだし、例のとおりの気の好い話しぶりで、庄吉さんもこんど頭梁のところの婿になってめでたい、花嫁は家付きだけれど、年は十七で気だても優しく、縹緻も十人なみ以上だそうである、これであのひとも苦労のしがいがあったというものだ。こういうことを問わず語りに云った。
「庄さんがお婿さんになったんですって」おせんは半ばうわのそらで訊き返した、「――頭梁って、阿部川町の、住込みだっていうあの頭梁の家ですか」