← Library‹ 柳橋物語 前篇 七

おせんは足袋たびのこはぜかがりを始はじめた。お針はりの師匠ししょうにも話はなしてみたのだが、まだ賃ちん縫ぬいをするには無理むりだというし、洗濯せんたくや使つかい走はしりでは幾いくらのものにもならない。結局けっきょくおらくの捜さがしてきて呉くれたのがその仕事しごとだった。その頃ころはまだ足袋たびは多おおく紐ひもで結むすんだものだったが、上方かみがたのほうで仕出しだしたこはぜが穿はき脱ぬぎに手軽てがるなのと穿はいたかたちが緊しまるのとでその年としの春はるあたりから江戸えどでも少すこしずつ用もちいはじめていた。まだ流行りゅうこうするまでにはなっていないので、仕事しごとの数かずはそうたくさんはないが、手間賃てまちんがかなりよかったし、家いえにいてできることがなによりだった。足袋たびは革かわと木綿もめんと二に種しゅあった。木綿もめんは近年きんねんひろまりだしたもので、穿はきぐあいも値段ねだんも恰好かっこうなのだが、木綿もめんよりは丈夫じょうぶであり温あたたかいので、一般いっぱんにはまだ革かわを用もちいることが旺さかんだった。おせんの受取うけとる仕事しごとも、革かわのほうがむつかしかった。なにしろ熊くまの皮かわを鞣なめして、型かたを置おいたり染そめたりしたものなので、針はりが通とおりにくく、すぐ指ゆびを傷きずつけたり針はりを折おったりする。然しかしそれだけ手間賃てまちんも高たかいから、馴なれてくれば革足袋かわたびのほうが稼かせぎが多おおくやり甲斐がいがあった。

七なな月がつのなかば頃ころから源六げんろくはぼつぼつ起おきはじめた。左ひだりの半身はんしんはやっぱり不ふ自由じゆうで、手ても足あしも、そっちだけは満足まんぞくに動うごかせず、舌したのもつれもなかなかとれなかった。十じゅう五ご日にちの中元ちゅうげんには荷葉飯かようめしを炊たき、刺さし鯖さばを付つけるのが習ならわしである、おせんも久ひさしぶりに庖丁ほうちょうを持もって鯖さばを作つくり、膳ぜんには酒さけをつけた。医者いしゃから量りょうさえ過すごさなければ呑のむほうがよいと云いわれていたのだが、源六げんろくは要心ようじんぶかくなって、それまで盃さかずきを手てにしなかったのである。

「久ひさしいもんだが、はらわたへしみとおるようだ」源六げんろくはうっとりと眼めを細ほそくしながら云いった、「……ほんとうに毒どくでなければ、これから少すこしずつやってみるかな、なんだか身内みうちにぐっと精せいがつくようだ」

「お医者いしゃさまがそう云いうんですもの、それはあがるほうがよくってよ」

「だがなにしろこんなからだで酒さけを呑のむなんぞは、それこそ罰ばつが当あたるというもんだからな、みんなおまえの苦労くろうになるんだから」

「いやだわ、また同おなじことを」

「おまえに礼れいを云いうんじゃあない、自分じぶんが仕合しあわせだということを云いいたいんだ、子こにかかる親おやはざらにあるが、こうして孫まごにかかれる者ものは世間せけんにもそうたくさん有あるわけじゃあない、然しかもまだ十じゅう八はちやそこらの娘むすめになにもかもおっかぶせて、こうして気楽きらくに養生ようじょうができるということはたいへんなもんなんだ、まったくたいへんなもんなんだ、おれは、そいつが嬉うれしいんだ」病気びょうきからなみだ脆もろくなっていた源六げんろくは、もうぽろぽろと大おおきな涙なみだをこぼしていた、「……おれはおまえになんにもしてやらなかった。十じゅう三さんや十じゅう四よんから飯めしを炊たかせたり肴さかなを作つくらせたり、使つかい走はしりをさせたりしただけだ、帯おびひと筋すじ、いや簪かんざし一いち本ほん買かってやったことがなかった、ところがおまえはむすめの手て内職ないしょくで、おれを医者いしゃにもかけ薬くすりも買かって呉くれる、おれが好すきだと思おもう物ものは、そう云いわなくとも膳ぜんへのっけて呉くれる、諄まこといようだが礼れいを云いうんじゃあないぜ、おれは、来年らいねんはもう六十ろくじゅう九きゅうだ、この年としになって、はじめておれはおんなというものがわかった、おまえのして呉くれることを見みて、はじめておんなの有難ありがたさというものがわかったんだ、男おとこのおれにできないことを、まだ十じゅう八はちのおまえがりっぱにやってのける、それはおまえがおんなだからだ、ああおせん、おれはこれが四十よんじゅう年ねんむかしにわかっていたらと思おもうよ」

四十よんじゅう年ねんむかしといえばまだ生いきていたお祖母そぼさんのことを云いうのではなかろうか、おせんはお祖母そぼさんのことはなに一ひとつ聞きいていない。父ちちも母ははもそのことはついぞ口くちにしなかった。そこにはなにか事情じじょうがあったに違ちがいない、そして今いま源六げんろくは悔恨かいこんにうたれている、どんな事情じじょうかわからないけれど、おんなというものの有難ありがたさをその頃ころに知しっていたら、そう云いう言葉ことばの中うちには、なにかとり返かえし難がたい後悔こうかいの思おもいが感かんじられるのだった。

「人間にんげんは調子ちょうしのいいときは、自分じぶんのことしか考かんがえないものだ」源六げんろくは涙なみだをながれるままにしてそう続つづけた、「……自分じぶんに不運ふうんがまわってきて、人ひとにも世間せけんにも捨すてられ、その日ひその日ひの苦労くろうをするようになると、はじめて他人たにんのことも考かんがえ、見みるもの聞きくものが身みにしみるようになる、だがもうどうしようもない、花はなは散ちってしまったし、水みずは流ながれていってしまったんだ、なに一ひとつとり返かえしはつきあしない、ばかなもんだ、ほんとうに人間にんげんなんてばかなものだ」

「もうたくさんよお祖父そふさん、そんなに気きを疲つからせては病気びょうきに悪わるいわ、過すぎたことは過すぎたことじゃないの、それよりこれから先さきのことを考かんがえましょう、あせらずゆっくり養生ようじょうすれば、お祖父そふさんだってまた仕事しごとができるようになってよ、二人ふたりで稼かせげば暮くらしだって楽らくになるし、ときにはいっしょに見物けんぶつあるきだってできるわ、今年ことしは忘わすれずに染井そめいの菊きくを見みにいきましょうよ」

「ああそうしよう、おせん、見みせる見みせるといって、ずいぶん前まえから約束やくそくばかりしていたからな、そうだ今年ことしこそきっと見みにいこう」

けれども菊きく見みにはゆけなかった。悪わるくはならないが、左ひだり半身はんしんがいつまでもはっきりせず、とうてい遠とおあるきなどできなかったから、……利きくという薬くすりはできる限かぎり試ためしてみた、加持かじも祈祷きとうもして貰もらった、「夏なつに出でた中風ちゅうぶうは霜しもがくれば治なおるものだ」そう云いう人ひとが多おおいので、おせんも源六げんろくもひそかにそれを楽たのしみにしていたが、霜月しもつきがきてもそんなようすはなく、やがて十じゅう一いち月がつも終おわりに近ちかくなった。

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