← Library‹ 季節のない街 街へゆく電車

その「街まち」へゆくのに一いち本ほんの市電しでんがあった。ほかにも道みちは幾いくつかあるのだが、市電しでんは一いち本ほんしか通つうじていないし、それはレールもなく架線かせんもなく、また車躰しゃたいさえもないし、乗務じょうむ員いんも運転うんてん手しゅ一人ひとりしかいないから、客きゃくは乗のるわけにはいかないのであった。要ようするにその市電しでんは、六ろくちゃんという運転うんてん手しゅと、幾いくらかの備品びひんを除のぞいて、客観きゃっかん的てきにはすべてが架空かくうのものだったのである。

運転うんてん手しゅの六ろくちゃんは「街まち」の住人じゅうにんではない。中通なかどおりと呼よばれる、ちょっとした繁華はんか街がいに、母親ははおやのおくにさんと二人ふたりでくらしていた。父親ちちおやはなかった。死しんだのか別わかれたのか、その消息しょうそくは誰だれも知しらないが、ともかく父親ちちおやを見みた者ものはなかった。おくにさんは女手おんなででてんぷら屋やをいとなみ、六ろくちゃんと二人ふたりで肩身かたみせまくくらしていた。――断ことわっておくが「てんぷら」屋やといっても、じつは精進しょうじん揚あげのことである。

おくにさんは四十よんじゅうがらみで、顔かおも躯からだも肥こえていた。眼めにはあらゆる事物じぶつに対たいする不信ふしんと疑惑ぎわくのいろを湛たたえ、口くちは蛤はまぐりのように固かたくむすばれ、いくらか茶色ちゃいろっぽいかみの毛けは、油あぶらっけなしのひっ詰つめ髪かみに結ゆわれていた。

古ふるい伊勢いせ縞しまか、木綿もめんの布子ぬのこか、夏なつは洗あらいざらした浴衣ゆかたに、白しろい割烹かっぽう前掛まえかけをつけ、夏なつ冬ふゆとおして衿えりに手拭てぬぐいを掛かけていて、黙だまっててんぷらを揚あげたり、客きゃくの応対おうたいをしたりするのであった。衿えりに掛かけた手拭てぬぐいと、白しろい割烹かっぽう前掛まえかけとが、喰たべ物ものを扱あつかう彼女かのじょの動作どうさを、いかにも清潔せいけつらしく見みせるように感かんじられた。

おくにさんは無口むくちだった。客きゃくにもよけいなあいそは云いわず、あたしの揚あげるてんぷらの味あじが充分じゅうぶんにあいそを云いっている筈はずだ、と自負じふしているようなそぶりがちらちらした。――事実じじつはそうでなく、絶たえまなしに六ろくちゃんのことが気きにかかり、絶たえまなしにおそっさまの御ご利益りえきや、奇蹟きせきや、効験こうけんあらたかな祈祷師きとうしの噂うわさなどが、そのいくらか茶色ちゃいろっぽいかみの毛けを油あぶらけなしでひっ詰つめ髪かみに結ゆった頭あたまの中なかで、せめぎあっていたのだ。

一いち日にちのしょうばいが終おわり、店みせを閉しめ、寝ねる支度したくをすませてから、おくにさんは仏壇ぶつだんを開ひらいて燈明とうみょうと線香せんこうをあげ、玩具がんぐのような団扇うちわ太鼓たいこを持もって、六ろくちゃんと並ならんで坐すわる。できるなら標準ひょうじゅん型がたの団扇うちわ太鼓たいこにしたいのだが、近所きんじょに遠慮えんりょがあるし、(なぜなら近所きんじょにはてんぷらを買かってくれる客きゃくが多おおいから)まさか太鼓たいこの大小だいしょうによって、おそっさまの機嫌きげんが変かわるものでもあるまいと思おもい、多少たしょうひけめを感かんじながら、その小ちいさな太鼓たいこでまにあわせているのであった。

「なんみょうれんぎょう」坐すわるとすぐに六ろくちゃんが、仏壇ぶつだんに向むかっておじぎをしながら、母親ははおやに先さきんじてお願ねがいをする、「――おそっさま、毎度まいどのことですが、どうか、かあちゃんの頭あたまがよくなるように、よろしくお願ねがいします。なんみょうれんぎょう」

そして、おくにさんが玩具がんぐのような団扇うちわ太鼓たいこを叩たたき、お題目だいもくをとなえ始はじめるのであった。

おくにさんの祈いのりが、わが子こ六ろくちゃんのためであることは断ことわるまでもない。にもかかわらず、お題目だいもくとおそっさまに対たいする祈念きねんが、主ぬしとして母親ははおやの本復ほんぷくを六ろくちゃんのほうで乞こい願ねがっているところに、天秤てんびんの狂くるいのようなものがあった。

六ろくちゃんはふざけているのではない、あてつけや皮肉ひにくでそんなことをするのでもなかった。かあちゃんが自分じぶんのことで世間せけんに肩身かたみのせまいおもいをし、自分じぶんのためにおそっさまを拝おがんだり、お呪禁まじないをしたり、いろいろな祈祷きとう師しを招まねいたりするのはわかっていた。そんな必要ひつようはない、かあちゃんはそんな心配しんぱいをすることなんか少すこしもないのだ。

どうしてそんなに心配しんぱいばかりするのさ、かあちゃん、なにが不足ふそくなんだい、と六ろくちゃんは幾いくたびも云いった。そうだよ、不足ふそくなんかなんにもないよ、心配しんぱいなんかしちゃあいないよ、とおくにさんはいつも答こたえるが、その顔かおにあらわれている望のぞみを失うしなったような悲かなしみの影かげは、消きえも弱よわまりもしなかった。六ろくちゃんにはそれが気きがかりなのだ、このままでなんの不足ふそくもないのに、精せいをすり減へらしているかあちゃんが哀あわれで、そんなかあちゃんをなんとかしてまともなものにしてやりたい、と念ねんじているのであった。

「お願ねがいします、おそっさま」おくにさんのとなえるお題目だいもくのあいまあいまに、六ろくちゃんはしんそこ祈いのるのであった、「――毎度まいどのことで飽あき飽あきするかもしれないが、かあちゃんのことはよろしくお頼たのみします、なんみょうれんぎょう」

おくにさんは胸むねがせつなくなってくる。もうなん年ねんとなく同おなじおつとめを欠かかさずやっているのだが、わが子このその祈願きがんを聞きくたびに、そのたびごとに胸むねがせつなくなり、涙なみだがこぼれそうになった。

この子こはこんなに親おやおもいで、こんなにちゃんと口くちもきける、きっといまに頭あたまもまともになるだろう、おくにさんはそう信しんじようとする。六ろくちゃんはそういうかあちゃんの顔かおを、憐あわれむような眼めつきで見みまもり、ちょうど母親ははおやが怯おびえている子こをなだめるように、夫おっと丈夫じょうぶだよ、なにも心配しんぱいすることはないよ、万事ばんじうまくいってるじゃないか、気きを楽らくにしなよ、と云いいきかせるのであった。

六ろくちゃんが好すきなのはかあちゃんと、「街まち」の住人じゅうにんである半助はんすけと、半助はんすけの飼かい猫ねこのとらだけで、反対はんたいに云いえば、この二人ふたりと一いち匹ひきだけは六ろくちゃんのことを好すいていた。その他たの人ひとたちを六ろくちゃんは好すかない。かれらは六ろくちゃんをからかったり、悪口わるぐちを云いったり、六ろくちゃんの運転うんてんする市電しでんの妨害ぼうがいをしたりする。特とくに、市電しでんの運転うんてんの邪魔じゃまをする者ものが多おおいので、六ろくちゃんは気きのしずまるときがなかった。

じつに知恵ちえのないはなしだが、その町内ちょうないの人ひとたち、ことに子供こどもたちは、六ろくちゃんのことを電車でんしゃばかと呼よんでいた。そうかもしれない、客観きゃっかん的てきにはそれが当あたっているかもしれないが、主観しゅかん的てきには六ろくちゃんはもっとも勤勉きんべんで、良心りょうしん的てきな、市電しでんの運転うんてん手しゅであった。

朝あさ、――起おきるとすぐに、六ろくちゃんは電車でんしゃの点検てんけんをする。電車でんしゃは車庫しゃこの中なかにあり、車庫しゃこは家いえの横よこのろじにある。

狭せまい勝手かっての揚あげ蓋ふたの隅すみに、古ふるい蜜柑箱みかんばこがあって、その中なかに口くちの欠かけた醤油しょうゆ注そそぎや、ペンチや、ドライバーや、油あぶらじみた軍手ぐんてや、ぼろ布ぬのが整頓せいとんされてある。これらは客観きゃっかん的てきにも存在そんざいするのだが、そこにはまたコントローラーを操作そうさするハンドルや、名札なふだや、腕うで時計とけいや、制帽せいぼうなどが、主観しゅかん的てきには存在そんざいするのである。口くちの欠かけた醤油しょうゆ注そそぎも、主観しゅかん的てきには油差あぶらさしであった。

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