← Library‹ 季節のない街 がんもどき

かつ子こは十じゅう五ご歳さいになる。同おなじとしごろの少女しょうじょに比くらべると、背丈せたけも低ひくいし肉付ししつきも悪わるく、胸むねも平ひらべったいし腰こしも細ほそかった。肌はだはつやのない茶色ちゃいろで、きめが荒あらく、腕うでや脛すねにはかなり濃こい生毛うぶげが伸のびていた。――きりょうもよくはない、どこがどうとはいえないが、ぜんたいとして少女しょうじょらしい新鮮しんせんさがなく、生活せいかつの苦くるしさをつぶさに経験けいけんした中年ちゅうねんの女おんな、といったような印象いんしょうがつよかった。

かつ子こは伯父おじ夫妻ふさいに育そだてられ、いまでも伯父おじ夫妻ふさいと三さん人にんで生活せいかつしている。伯父おじの綿めん中ちゅう京太きょうたは五十ごじゅう六ろく、伯母おばのおたねは五十ごじゅう七なな。かつ子こは伯母おばの妹いもうとの子こで、生うまれるとすぐ伯母おばに引取ひきとられた。詳くわしい事情じじょうはわからないが、その生うみの母はははかつ子こを生うんでまもなく、某ぼう商事しょうじ会社かいしゃの社長しゃちょうと結婚けっこんし、そちらにも三さん人にんの子こがあり、贅沢ぜいたくな生活せいかつをしているという。――かつ子こを引取ひきとるとき約束やくそくしたそうで、いまでも実母じつぼから伯父おじ夫妻ふさいに、きまった額がくの仕送しおくりがあるし、かなえという実母じつぼ自身じしんも、年ねんに三さん度どから五ごたびくらいは、この「街まち」へたずねて来くるのである。

綿めん中ちゅう京太きょうたはもと中ちゅう学校がっこうの教師きょうしをしていたという。口くちだけは達者たっしゃであるが、徹底てっていした酒呑さけのみの怠なまけ者もので、かなえからの仕送しおくりはもとより、妻つまとかつ子この稼かせぎまで、殆ほとんど呑のみしろにしてしまい、自分じぶんは仕事しごとらしいことをなに一ひとつしようとしなかった。

京太きょうたはなにごとにも分類ぶんるい学がく的てきな注ちゅうを付つける癖くせがあった。

「ぼくの酒さけは遺伝いでん学がくのプレザンプルだあね」

「この魚さかなは切身きりみにして煮にてしまったから、もはや動物どうぶつ学がくでなくして衛生えいせい学がくに属ぞくすらあね」

などというのである。彼かれは自分じぶんの容貌ようぼうに大おおきな誇ほこりをもっている。ことに横顔よこがおには絶対ぜったいの自信じしんがあった。彼かれはこれを「ジョン・バリモアズ・プロフィル」と自称じしょうし、酔よっているときは、妻つまやかつ子こにまでそれを見みせようとしきりに横向よこむきのポーズをとるのであった。

「ぼくの鼻はなをみたまえ」と京太きょうたは飲のみ相手あいてに云いう、「これはもはや骨相こっそう学がくや人ひと躰からだ解剖かいぼう学がくの問題もんだいではなく、美学びがくの対象たいしょうそのものなんだよ」

顔面がんめん神経しんけい痙攣けいれんという持病じびょうのある島しまさんが、この「街まち」へ移うつって来きてからまもなく、二人ふたりはかなり親したしいつきあいをするようになったが、或あるとき京太きょうたが自分じぶんの鼻はなについて解説かいせつしたところ、島しまさんはにやっと敏速びんそくに笑わらって反問はんもんした。

「びがくねえ」島しまさんは感心かんしんしたように云いい、自分じぶんの鼻はなを指ゆびさしてきいた、「つまり鼻び学がくというわけだね、病理びょうり的てき鼻び学がくか、わるくはないな」

容貌ようぼうに自信じしんのある者ものに向むかって、容貌ようぼうに関かんする皮肉ひにくを云いってはならない。島しまさんのは皮肉ひにくにもならないじぐちにすぎなかったが、京太きょうたは感情かんじょうをそこねたようで、それからは島しまさんとあまり飲のまないようになった。

「本当ほんとうにいやな天気てんきだね」とおたねが或あるとき云いった、「頭あたまの芯しんまでかびが生はえそうだよ」

梅雨つゆが長ながびいて、古ふる畳たたみに青あおかびの生はえるようなうっとうしい日ひが続つづいていた。おたねはかつ子こと二人ふたりで造花ぞうかづくりの内職ないしょくをしてい、京太きょうたは独ひとりで、朝あさから冷酒ひやざけを飲のんでいたが、妻つまのさもくさくさしたような言葉ことばを聞きくと、急きゅうにまじめな顔かおつきで問とい返かえした。

「おまえは天気てんきがどうのこうのというが、それは気象きしょう学がくとしての文句もんくか、それとも天文てんもん学がくとしての文句もんくか」

北きたの長屋ながやに付属ふぞくして、二に戸こ建だての古屋ふるやがあり、あまりに古ふるく、手入ていれもしないため、ぜんたいが南みなみへかしがっており、いまにも倒たおれそうにみえるため、そちら側がわに三さん本ほんの長ながい杉すぎ丸太まるたで突つっかい棒ぼうがしてあった。――ところで、暴風ぼうふう雨うがやって来くると、その家いえの住人じゅうにんたちは、いそいでその突つっかい棒ぼうを取とりはずすのである。これは誰だれでもいちおう「逆ぎゃくじゃないか」と疑うたがいをもつ。嵐あらしになるのだから、そのときこそ突つっかい棒ぼうをする、というのが一般いっぱん的てきな考かんがえだからだ。けれどもその家いえの住人じゅうにんは、「それは常識じょうしきというものでこの家いえには通用つうようしない」という。もしもその家いえに突つっかい棒ぼうをすれば、強風きょうふうのため家やはばらばらになってしまう。突つっかい棒ぼうを取とりはずしてやれば、家いえは風かぜの強弱きょうじゃくに順応じゅんのうしてゆらゆらと揺ゆれる。要ようするに風かぜに抵抗ていこうしないことが、この家いえの唯一ゆいいつの保全ほぜん法ほうなのだ、ということであった。

「それはもはや建築けんちく学がくでは論ろんじられないな」京太きょうたは話はなしを聞きいていった。「むしろそれは、材料ざいりょう強弱きょうじゃく学がくの問題もんだいだあね」

妻つまのおたねは従順じゅうじゅんであった。亭主ていしゅより一ひとつとし上うえというひけめなどではない。二人ふたりともそんなとしではなくなっているし、京太きょうたは酒さけが専門せんもんであり、よそで飲のむにも女おんなっけのある店みせへは決けっしてはいらない。

女おんなっ臭くさいのはなにより酒さけをまずくする、というのが彼かれの口癖くちぐせであった。――また、彼かれが中学ちゅうがく教師きょうしだったという感かんじはあって、妻つまやかつ子こに対たいしても、乱暴らんぼうなことをしたりどなりつけたりするようなためしはなかった。――したがって、おたねの従順じゅうじゅんさは生うまれついた性分しょうぶんであろうが、貧まずしい家計かけいのやりくりと休やすむ暇ひまのない内職ないしょく稼かせぎに追おわれながら、ぐちをこぼしたこともないし、亭主ていしゅにはたらいてくれといったこともなかった。

「世間せけんにはくらしに困こまって、親子おやこ心中しんじゅうをする者ものがいくらもあるんだよ、可哀かわいそうにね」おたねは仕事しごとをしながら、かつ子こによくそういった、「そういう人ひとからみれば、生いきてゆけるだけまだあたしたちは仕合しあわせさ、ほんとに、親子おやこ心中しんじゅうする人ひとの気持きもちはどんなだろうね」

かつ子こは黙だまったまま、そっと聞きこえないくらいに低ひくく太ふと息いきをつくか、仕事しごとの手てを止とめて、古ふる畳たたみの一いち点てんを見みまもるかするだけである。

かつ子こほどこまめにはたらく者ものもないし、かつ子こほど口くちかずの少すくない者ものも珍めずらしかった。

生うまれてすぐ引取ひきとったということだし、おたねには血ちを分わけた姪めいだから、しんみの親子おやこと変かわらない情愛じょうあいがかよっている筈はずである。にもかかわらず、ここへ引越ひっこして来くるとほどなく、近所きんじょのかみさんたちはかつ子こが夫婦ふうふの実子じっしでないことに気きづいた。

それは四よん年ねんまえで、かつ子こはまだ十じゅう一いち歳さいだったが、学校がっこうへいっている時間じかんをべつにすると、かつ子このはたらいている姿すがたを見みないことがないし、その動作どうさには少女しょうじょらしい愛嬌あいきょうや明あかるさがなく、あまりにてきぱきとおとなめいていて、鞭むちででも躾しつけられたかと思おもわれるくらいであった。

「なんだろう、あの子こ」その当時とうじよく近所きんじょのかみさんたちは云いったものだ、「なにを云いってもあのきみの悪わるい眼めでじろっと見みるばかりで、返辞へんじもろくさましやあしない、唖おしつんぼかね」

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