← Library‹ 季節のない街 ちょろ

本名ほんみょうは土川つちかわ春彦はるひこという。五ご年ねんばかりまえにこの「街まち」へ移うつって来きたが、それ以来いらいずっと、三十さんじゅう七なな歳さいだと自分じぶんでは云いい張はっている。近所きんじょの人ひとたちで四十よんじゅう五ご、六ろく歳さいよりも若わかいとみる者ものはないが、当人とうにんはいつきかれても三十さんじゅう八はちだと答こたえた。

妻つまは幾いく人にんあったかわからない。この土地とちへ来きてからでさえ三さん人にん変かわり、三さん人にんめが出でていったあと、すでに一いち年ねん以上いじょうも独身どくしんぐらしをしていた。

彼かれは一いちメートル六ろく〇れいぐらいの背丈せたけで、筋肉きんにく質しつの痩やせた躯むくろつきに、顔かおも痩やせて小ちいさく、眼めだまと口くちだけが際立きわだって大おおきかった。――彼かれはおちつきのない男おとこであった。春彦はるひこという自分じぶんの名なを恥はずかしがる程度ていどに神経しんけい質しつで、愛他あいた精神せいしんと利己りこ主義しゅぎを兼かね備そなえた即物そくぶつ的てきセンティメンタリストで、そうして事業じぎょう家かであった。

土川つちかわ春彦はるひこの頭脳ずのうの中なかには、いつも大おおきな事業じぎょう計画けいかくがすし詰づめになっていた。この点てんでは、同おなじ住人じゅうにんである八田はった公こう兵へいと共通きょうつうしているようだが、そういう見みかたは一知いっち半解はんかいで、実際じっさいにはここの住人じゅうにんの過か半数はんすうが、――たとえ空想くうそうだけに終おわるとしても、みなひとかどの事業じぎょう家かであり企業きぎょう家かなのであった。

真偽しんぎのほどはさだかでないが、土川つちかわ春彦はるひこは株屋かぶや街がいに関係かんけいがあり、しばしばぼろい儲もうけをするといわれていた。ここの住人じゅうにんで株屋かぶや街がいへ出入でいりするような者ものはいない、とすればその噂うわさは当人とうにんの口くちから出でたと考かんがえるほかはないし、彼かれの日常にちじょうのくらしぶりを見みると、ときどきどこかで、幾いくらかずつ儲もうけて来くること、それも日雇ひやとい労務ろうむや、臨時りんじ仕事しごとではなく、手てをきれいにしたままで儲もうける、ということは確たしかなようであった。

彼かれがどれくらいおちつかない人間にんげんであるかを証明しょうめいすることはむずかしい。詳くわしく知しっているのは、彼かれの妻つまであった幾いく人にんかの女性じょせいと、さらに幾いく人にんかの同居どうきょ人にんたちだけであろう。いや、そのほかにこの街まちの子供こどもたちがいる。彼かれには「ちょろ」という渾名あだながあり、それは海岸かいがんにいるふな虫むしのことだそうであるが、あのいつもちょろちょろと右往うおう左往さおうしているふな虫むしを、土川つちかわ春彦はるひこに当あて篏はめたところは、子供こどもの観察かんさつの正確せいかくさとするどさにおどろくばかりである。

彼かれの家いえにはつねに同居どうきょ人にんがおった。まだ妻つまがいたじぶんにも、必かならず一人ひとりは同居どうきょ人にんがおったのである。不ふ定期ていきの同居どうきょ人にんでどれも長ながくはいない、三十さんじゅう日にちでいなくなる者ものもあるし百ひゃく日にち以上いじょういる者ものもあった。彼かれがここへ来きてからいっしょになった二人ふたりめの妻つまは、そういう同居どうきょ人にんのひとりと逃亡とうぼうしたのであるが、その男おとこは同居どうきょ人にんになって七なな日かしか経たっていなかったのだ。

これらの同居どうきょ人にんは、すべて土川つちかわ春彦はるひこ自身じしんがつれて来くるもので、どこからつれて来くるのか、どういう縁故えんこがあるのか誰だれにもわからなかったが、ふしぎなことに、それらは躯むくろつきとか性分しょうぶんとか、または口くちのききかたなどにどこかしら似にたところがあり、子供こどもたちはかれらに「かぼちゃ」という共通きょうつうの渾名あだなを付つけた。

かぼちゃという渾名あだなは、代々だいだいの同居どうきょ人にんたちの風貌ふうぼうと人柄ひとがらをかなりよくあらわしていた。かれらの躰格たいかくには大小だいしょうがあり、顔かおだちや年齢ねんれいもまちまちだったが、のっそりと鈍重どんじゅうなところや、口くちべたで怠なまけ者ものだという条件じょうけんでは、多少たしょうの差さこそあれみな同類どうるいに属ぞくしていた。

そしていま、七なな代だい目めのかぼちゃが同居どうきょしているのだ。土川つちかわ春彦はるひこは彼かれのことをばんくんと呼よぶが、どういう字じを書かくのかわからない。としは三十さんじゅうから四十よんじゅうのあいだであろう、中肉ちゅうにく中背ちゅうぜいで、固太かたぶとりのいい躯むくろつきをしているが、動作どうさはのろくさいし口くちがおもく、一いち日にちじゅうごろごろして、団扇うちわを動うごかすのと、めしを食くうとき以外いがいには、殆ほとんどなにもしないのであった。

「きみは英気えいきをやしなっていたまえ、いまにぼくが事業じぎょうを始はじめたらはたらいてもらうからな」土川つちかわ春彦はるひこであるところのちょろはそう繰くり返かえした、「きみの役やくはいまのところ聞きき役やくさ、ぼくは話はなし相手あいてなしじゃあ十じゅう分ふんもがまんのできない性分しょうぶんでね、きみはただぼくの話はなしの聞きき役やくになってくれればいいんだよ」

ばんくんの眼尻めじりがさがって眼めが細ほそくなり、厚あつい唇くちびるがごくかすかに動うごく。おそらく微笑びしょうしたのであろうが、しんじつ微笑びしょうしたのかどうかを判別はんべつするのは、困難こんなんなことだろうと思おもう。――この七なな代だい目めかぼちゃの無口むくちさと、動作どうさのたとえようのない緩慢かんまんさには、さすがの土川つちかわ春彦はるひこも内心ないしんおどろいたようであった。これまでのかぼちゃは同おなじのろまな怠なまけ者ものでも、なにか一ひとつ二ふたつは家事かじの手助てだすけをした。食事しょくじのあと片かたづけとか、掃除そうじとか、火ひをおこすとか、水みずを汲くむとか――完全かんぜんにやらないとしても、とにかく手助てだすけをするというかたちだけはみせたものだ。尤もっとも一長いっちょう一短いったんで、かれらは七なな代だい目めのように、春彦はるひこの饒舌じょうぜつをおとなしく聞きく能力のうりょくはなかった。話はなしが自分じぶんの関心かんしん事じに及およぶと、黙だまっているだけの忍耐にんたい力りょくを失うしない、口くちべたは口くちべたなりについ自分じぶんの意見いけんを述のべる、ということになった。しかしそれには春彦はるひこも、不ふ本意ほんいながら一いち歩ほをゆずった。がまんがならないのは、異論いろんを述のべることさえもせず、卑怯ひきょうにも眠ねむったふりをするような者ものがいたことで、むろんそんな男おとこは同居どうきょ人にんとしても長続ながつづきはしなかったのだ。

ばんくんは徹底てっていした無為むい徒食としょく主義しゅぎ者しゃではあるけれども、聞きき役やくとしては満点まんてんに近ちかい資格しかくの保持ほじ者しゃであり、したがって春彦はるひこは、従来じゅうらいのどの同居どうきょ人にんよりもこの七なな代だい目めが気きにいっていた。

「人間にんげんには合性あいしょうというものがあるんだな、きみ」とちょろが云いう、「ぼくは女房にょうぼうを八はち人にん、――いや、正確せいかくには十じゅう人にん持もったがね、みんな合性あいしょうがなかったんだろう、長ながいので二に年ねん、これは一人ひとりっきりで耳みみの遠とおい女おんなだった。塩鯖しおさばの焼やいたのが大だい好物こうぶつで、或あるときなんか味噌みそ汁しるにまで入いれて喰たべたんで仰天ぎょうてんしたっけ、その女おんなのことを思おもうといまでも塩鯖しおさばを焼やく匂においが鼻はなにつくくらいだ、耳みみが遠とおいと鼻はなや舌したなんぞも幾分いくぶんかなまるんじゃないかな」

土川つちかわ春彦はるひこが十じゅう人にんの妻つまについて語かたるのを、七なな代だい目めは辛抱しんぼうづよく聞きいていた。辛抱しんぼうづよく、というのは客観きゃっかん的てきに云いったまでで、実際じっさいに彼かれの内部ないぶへはいってみればそうではなく、躯むくろがそこに坐すわって、ちょろの話はなしを聞きいているようにみえるだけであり、本当ほんとうの彼かれ自身じしんは、その肉にく躰からだの中なかで睡眠すいみんをとっているか、または、その肉にく躰からだからぬけだして、どこかしら静しずかなところで欠伸あくびでもしているかもわからないのであった。

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