← Library‹ 季節のない街 たんばさん

たんばさんはもう六十ろくじゅう二、三にさんになるな、と或ある者ものが云いう。まだ五十ごじゅう代だいだと云いう者ものもあるし、七十ななじゅうにはなっていると主張しゅちょうする者ものもある。当人とうにんは柔和にゅうわに笑わらって、自分じぶんでもわからない、忘わすれてしまったようだ、などと云いって話はなしをそらしてしまう。名前なまえもたんばさんと呼よばれるだけで、それが姓せいなのか渾名あだななのかわからない。住民じゅうみん登録とうろくがどうなっているか、――ここではそういう問題もんだいに関心かんしんをもつ者ものはいない、ことにたんばさんはそうで、彼かれがなに者ものであるかと疑うたがう余地よちもないほど、ここの住人じゅうにんたちはたんばさんを頼たよりにしていた。困こまったことにぶっつかったとき、悲かなしいとき苦くるしいとき、癪しゃくに障さわったとき、うれしいとき、そしてそれらがどうしようもないとき、かれらはたんばさんをたずねる。

寒かん藤ふじ清郷きよさと先生せんせいもたんばさんのところへ幾いくたびか相談そうだんにいったし、ヤソの斎田さいた先生せんせいでさえ、ひそかに知恵ちえを借かりにいったくらいであった。

たんば老人ろうじんがいつからここに住すんでいるか、覚おぼえている者ものはなかった。親おやの代だいから住すみついているという「いも屋やの惣そうさん」もはっきりした記憶きおくがない、――八はち年ねんまえだったか九きゅう年ねんまえだったか、と惣そうさんは思おもいだそうとして話はなす。西にしの二に軒けん長屋ながやに「くまん蜂ばち」の吉きちという乱暴らんぼう者しゃがいた。女房にょうぼうに子供こどもが二人ふたり。当時とうじは日雇ひやとい労働ろうどう者しゃだったが、もとは坑夫こうふなどもしたことがあるそうで、酔よって暴あばれだすと手てがつけられなかった。彼かれは日本にっぽん刀とうを一いち本ほん持もっていた。柄がらのところが晒さらし木綿もめんで巻まいてあり、刀身とうしんに刃はこぼれがある。なんとか坑こう山さんで大喧嘩おおげんかがあったとき、十じゅう幾いく人にんかを敵てきにまわして斬きりあいをやり、幾いく人にんとかを斬きった。というのがくまん蜂はちの吉きちの自慢じまん話はなしであった。――その吉きちが、ここへ移うつって来きて一いち年ねんばかりしてから、酔よっぱらって暴あばれだし、例れいの日本にっぽん刀とうで女房にょうぼうや子供こどもを「たたっ斬きってやる」と喚わめきながら、追おいまわした。慣なれているから、女房にょうぼうと子供こどもたちは逃にげてしまい、吉きちは逆上ぎゃくじょうして、家いえの格子こうし口くちの柱はしらへ刀かたなで切きりつけた。こん畜生ちくしょうとか、みやがれとか叫さけびながら、力ちからまかせに切きりつけるのである。どうしようもない、どんななまくらでも抜ぬき身みの日本にっぽん刀とうは凄すごみがあるから、眺ながめていた近所きんじょの人ひとたちも蒼あおくなり、老人ろうじんやかみさんたちの中なかには足あしが竦すくんでしまって、逃にげようにも逃にげられなくなった者ものがいた。

このままおいてはどうなるかわからない、警官けいかんを呼よびにゆこうということになった。

「そのときたんばさんが出でて来きたんだよ、うん」と惣そうさんは語かたる、「長屋ながやのみなさんが遠巻とおまきにして、みんないまにも死しんじまいそうな顔かおで、嵐あらしのときの古ふる雨戸あまどみてえにがたがたふるえてたとき、たんばさんはゆっくりしたあるきぶりで野郎やろうのほうへあるいていった、――てんでもう平気へいきの平左へいざなんだな、うん、おれも見みていたんだが、嘘うそのねえところこいつあやられるぞっと思おもった」

たんばさんはおちついて吉きちの側がわへゆき、なにか話はなしかけた。眺ながめていた人ひとたちはぞっとし、ざっくり斬きられる老人ろうじんの姿すがたが見みえるようで、かみさんたちは眼めをつむり、お互たがいに肩かたへしがみついた。――だがそんなことはおこらなかった。たんば老ろうに話はなしかけられた吉きちは、刀かたなをだらっとさげ、なにか二にた言げんばかりいったとみると、そのまま抜ぬき身みをさげて家いえの中なかへはいってしまった。それだけであった。家いえの中なかはしんとして、べつに暴あばれているようすもない。たんば老人ろうじんは柔和にゅうわな微笑びしょうをうかべながら、みんなのほうへ戻もどって来き、もう大丈夫だいじょうぶですよといって、たち去さった。

みんな奇蹟きせきを見みたように騒さわぎだした。あれは剣術けんじゅつの名人めいじんにちがいないとか、催眠さいみん術じゅつ使つかいだろうとかいいあい、いったいなに者ものだという疑問ぎもんにつき当あたった。――たんばさんじゃないか、知しらないのか、と二、三にさん人にんの者ものがいった。もうながいこといるようだぜ、あんないい人ひとはめったにいやしねえ、本当ほんとうに知しらなかったのか、とかれらはいも屋やの惣そうさんに問といかけた。惣そうさんが親おやの代だいからの定住ていじゅう者しゃだ、ということはよく知しられていたからであろう。惣そうさんはそのとき初はじめてたんば老人ろうじんという存在そんざいを認みとめたのであった。

それにしても、あの手てに負おえない吉きちが、泥酔でいすいし逆上ぎゃくじょうして暴あばれているのをどうしてなだめたか、僅わずか二にた言げんばかり話はなしかけただけなのに、吉きちはなぜ一いち遍へんでしゅんとなったのか、惣そうさんは不審ふしんでたまらなかった。

「そこでおれは、吉きちがしらふのときにきいてみた、いったいあのときたんばさんはなにをいったんだ、ってな、うん」と惣そうさんは語かたった、「するとおめえ、吉きちのやつ頭あたまを掻かきながら、いまさらどうも面目めんぼくねえが、ばかなまねをしてみんなに済すまねえが、といってわけを話はなした」

吉きちの話はなしによると、たんばさんは彼かれの側がわへ来きて、少すこし代かわろうかねといったという。吉きちは振向ふりむいて、へんな老おいぼれだなと思おもい、なんだと問とい返かえした。少すこし私わたくしが代かわろうかっていったんだよ、とたんば老人ろうじんがくり返かえした。そして、片手かたてを柱はしらのほうへ振ふって、一人ひとりじゃ骨ほねが折おれるだろうからなと付つけ加くわえた。

――おらげっそりしちゃった、と吉きちは惣そうさんに告白こくはくした。代かわろうかなってたっておめえ、おらあなにも工事こうじをしているわけじゃねえや、たんばさんはやさしい顔かおで笑わらってらあ、一人ひとりじゃ骨ほねが折おれるだろうったっておめえ、骨ほね替かわりをしてもらえるもんでもありゃあしねえ、それじゃあお願ねがえしますってわけにいくかえ、おらあ手てに持もってる刀かたなと、傷きずだらけになった柱はしらを見みて、急きゅうにげっそりしててれくさくなっちゃって、しょうがねえからうちへへえって、あの日ひはいちんちふて寝ねしちゃったよ。

惣そうさんがその話はなしをするときには、自分じぶんがくまん蜂はちの吉きちそのものにでもなったように熱ねつを入いれ、身振みぶりや表情ひょうじょうや声こえなどに、可能かのうな限かぎりまで実感じっかんをあらわそうとするのであった。

たんば老ろうは彫金ちょうきん師しだと云いっていた。若わかいころは莨入たばこいれの前まえ金具かなぐだとかキセル、簪かんざしなどに素す彫ほりをするのが得意とくいで、いちじは相当そうとうに名なも知しられたが、現在げんざいではそういう品しなを使つかう者ものが稀まれになり、高級こうきゅうなコンパクト、帯留おびどめ、簪かんざし、ペンダントなどを手てがけている。注文ちゅうもんは殆ほとんどないので、自分じぶんで気きの向むいたときに作つくり、昔むかしのお店たなへ持もっていって預あずける。そして、それらの品しなが売うれれば代金だいきんを貰もらうということであった。

「なに、身寄みよりもない独ひとり者ものだし、こうとしをとっては欲よくもないからね」と老人ろうじんは云いう、「まあ死しぬまでの時間じかんつぶしのようなものさ」

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