← Library‹ 季節のない街 僕のワイフ

島しまさんは左ひだりの足あしが短みじかい。右みぎの足あしより三さんインチほど短みじかいようだ。しぜん、あるくときにはかなり派手はでにびっこをひいた。

島しまさんは口髭くちひげを立たてている。眉まゆのきりっとした、眼めのきれいな、品しなのいい顔かおだちで、こんな「街まち」に住すむような人柄ひとがらとはみえない。移うつって来きて半年はんとしたらずのうちに、ここの住人じゅうにんたちの殆ほとんどぜんぶと知しりあい、誰彼だれかれの差別さべつなくつきあい、いつもあいそのいい笑わらいと、陽気ようきな話はなしぶりとでみんなに好すかれた。

――ええ、僕ぼくは満足まんぞくしてます、なんの不満ふまんもありませんね。

島しまさんのようすを見みていると、こう云いっているように思おもえる、――この世よもすばらしいし、この世よに生いきているということもすばらしいじゃありませんか、え。

ただ困こまるのは、と近所きんじょの人ひとたちはかげで云いいあった。あの顔かおのやまいだな、足あしのほうはなんでもないが、顔かおのあのやまいだけはどうにも馴染なじめないよ。

島しまさんには一種いっしゅの持病じびょうがある。顔面がんめん神経しんけい痙攣けいれんとでもいうのだろうか、時ときをおいて顔かおにデリケイトな痙攣けいれんがおこり、同時どうじに、喉のどの奥おくのほうからなにかがこみあげてき、喉のどを這はい登のぼって「けけけけふん」というふうな音おとになって鼻はなへぬけるのであった。

向むかいあって見みていると、まず片方かたほうの眉まゆがつりあがり、眼めがすばやいまばたきをする。これが痙攣けいれんのおこる前触まえぶれなのだが、初はじめはたいていの人ひとがウィンクされたように感かんじて狼狽ろうばいするようだ。

私わたくしはへどもどしちゃってね、と古物こぶつ商しょうの小田おださんは云いった。――あの眼めをぱちぱちっとやられたときには、今夜こんやおめえの女房にょうぼうを貸かせよ、とでもいう謎なぞじゃねえかと思おもっちゃってさ。

このウィンクに続つづいて、左右さゆうの眉まゆと眼めと口くちとが、それぞれ勝手かってな痙攣けいれんを始はじめ、鼻はなまでがうごめきだし、そうして喉のどからこみあげてきたものが、「けけけけふん」と鼻はなへぬけるのである。――これらデリケイトな発作ほっさは、まったく不ふ定期ていきにおこった。二に時間じかんも音おん沙汰さたなしでいたり、十じゅう分ふんおきに反復はんぷくしたりする。酔よったときにはしばしば安全あんぜんであるが、そう気きがつくなり激烈げきれつなやつが襲おそってくる、というぐあいであった。

島しまさんには妻つまがいた。島しまさんより十じゅうセンチほど背せが高たかく、躰からだ重えも十じゅうキロは多おおいだろう。脂肪しぼうのたっぷり付ついた腰こしに怒いかり肩がた、手ても足あしも大おおきく、胸むねなどは乳牛にゅうぎゅうほどもあった。

――ほんとだよ、と相あい長屋ながやの女房にょうぼうたちはかげで云いった。あのかみさんが通とおるとうちが揺ゆれて、棚たなの物ものが落おっこちるんだから。

髪かみは茶色ちゃいろで薄うすく、眼めがすわっていて、唇くちびるが厚あつく、左ひだりの頬ほおに青あおい痣あざがあった。――としが幾いくつであるかは見当けんとうがつかない、島しまさんは三十さんじゅう四よんだと云いっているが、彼女かのじょは同おなじくらいにもみえるし、四十よんじゅう五ご、六ろくにみえるときもあった。いつも黙だまっていて、近所きんじょの人ひとたちともつきあわず、朝晩あさばんの挨拶あいさつさえもしないくらいだった。

島しまさんの妻つまは人ひとに好すかれないばかりでなく、むしろ嫌きらわれていたようだ。

彼女かのじょは不ふ機嫌きげんな岩いわのように尊大そんだいで、人ひとを見みるときには「眼めの右下みぎしたの隅すみからみさげる」と云いわれた。また、それと同時どうじに唇くちびるの左ひだりの隅すみが左ひだりのほうへへし曲まがるので、どんなに根性こんじょうわるな者ものでも「あれほど小しょう意地いじのわるい顔かおつきはできないだろう」という評ひょうもあった。

ここの住人じゅうにんたちのつきあいは、物ものの貸かし借かりと、ぐち話はなしの交換こうかんが中心ちゅうしんになっている。他人たにんは泣なき寄より、という言葉ことばがかれらの唯一ゆいいつの頼たよりであり、信仰しんこうであるようにさえみえる。物ものの貸かし借かりといっても、小皿こざらへ一杯いっぱいの醤油しょうゆとか、一いちと摘つまみの塩しおとか、茶碗ちゃわん一杯いっぱいの米べいぐらいのものであるが、貸かしてやったほうは「源みなもとのさんのとこもらくじゃないんだね」と思おもい、自分じぶんのうちにはまだ少すこしはゆとりがあるのだ、というささやかな心こころづよさと優越ゆうえつ感かんをあじわえるのである。それはしばしば、相手あいてにそういう感情かんじょうをたのしませるために、必要ひつようでもない一いちと摘つまみの塩しおを借かりにゆくという、隣人りんじん愛あいのあらわれともなるのであった。

島しまさんの妻つまはそんなことはしなかった。この「街まち」にも八百屋やおやと魚屋さかなやがおり、どちらも戸板といた一いち枚まいに並ならべるだけの品しなしかなかったし、魚さかなは僅わずかな塩物しおものとあらばかり、八百屋やおやは色いろも水気みずけもないしなびた野菜やさいばかりで、両方りょうほうとも市場しじょうで捨すてる屑くずを拾ひろって来くるのだといわれているが、それでも住人じゅうにんたちは、その二に軒けんでけっこうまにあわせていた。だが島しまさんの妻つまは振向ふりむきもせず、買かい物ものにはいつも原はらっぱを越こして中通なかどおりまでいった。

「あの奥おくさんはたいへんなひとだよ」住人じゅうにんのかみさんたちはこう話はなしあった、「このあいだ安やす八百屋やおやでキャベツを買かうのにさ、上うえっ側かわの葉ははしなびてるし傷きずがあるからって云いって、ばりばり剥むいて捨すてちゃうのさ、およそ六、七ろくしち枚まいも剥むいちゃったろうかね、それからあとのキャベツを店みせの人ひとに渡わたして、これを秤はかりにかけておくれと云いうじゃないの、キャベツは一いち個こいくらときまってる、目方めかたで売うるんじゃないって店みせの人ひとが云いったら、こんな傷きずだらけのしなびた葉はまで値段ねだんに入いれるのかい、それで安やす八百屋やおやだなんてよく云いえたもんだ、おまえんとこは貧乏びんぼう人にんの血ちを啜すするんだね、って一いち町ちょう四方しほうに聞きこえるような声こえで喚わめきたてるじゃないの」

客きゃくはこわがって出でてゆくし人ひと立だちはするしで、店みせの人ひともやけくそになったのだろう。そんなら只ただでやるから持もってゆきな、と云いったのがいけなかった。島しまさんの妻つまはひらき直なおって、おらあ乞食こじきじゃねえぞ、と男おとこみたような啖呵たんかをきりだし、結局けっきょくは店みせの人ひとがあやまって、キャベツを秤はかりにかけたうえ値段ねだんをきめた。

「ところが驚おどろくじゃないの、金かねを払はらって帰かえるときにさ、あの奥おくさんは自分じぶんが剥むいて捨すてたキャベツの葉はを拾ひろい集あつめて、買かったキャベツといっしょに抱かかえて、しゃあしゃあと出でてったわよ」

魚屋さかなやへいったときの話はなしもあるが、キャベツの例れいと同おなじように、どこまでが事実じじつかはよくわからない。噂うわさをする女房にょうぼうたちも事実じじつを求もとめているのではなく、島しまさんの妻つまに対たいする共通きょうつうの反感はんかんをたのしめばいいので、話はなしの真偽しんぎは問とわないのであった。

島しまさんはこの「街まち」へ移うつって来くるとすぐ、古物こぶつ商しょうの小田おだ滝たき三さんを呼よんで払はらい物ものをした。

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