小雨のけむる六月の午後、その親子が街をあるいてゆく。父親は四十歳ぐらい、子供は六歳か七歳であろう。六歳にしても並よりは小さいし痩せているが、父親との話しぶりを聞くと、少なくとも七歳にはなっているように思えた。
親も子もぼろを着て、板のように擦り減った古下駄をはいている。着ているぼろは袷とも綿入とも区別がつかない。俗にいう虎刈りのまま伸びた頭の毛や、痩せた不健康な顔つきは、極めて普遍的な乞食姿であり、実際にもこの父と子は乞食同様の生活をしていた。
乞食同様といったのは、生活のかたちがそうなのであって、内容にはかなりへだたりがあるからなのだ。食物も衣類も他人から貰うし、犬小屋のような住居で寝起きをしているが、道傍に坐って銭乞いをするようなことはない。中通りとか本通りなどで、女の人がときどき子供に幾らか呉れることがあると、子供は「ありがとう」とおじぎをして受取るが、世間の子供と変ったところはないし、物欲しそうな感じはまったくなかった。――それはまた、父と子の会話にもあらわれている、いま小雨のけむる街を、傘もささずにあるいてゆきながら、二人はいつか建てる筈である自分たちの家について語っていた。
「場所は丘の上がいいな」と父親が云う、「日本人は昔から山の蔭とか谷間とか、丘のふところとかね、低いところばかり好んで家を建てる癖があった」
「そうだね、ほんとだ」と子供は考えぶかそうな顔つきで頷く、「ハマへいったときもさ、けとうの家はみんな丘の上とか、中ぐらいの高みにあるけれど、日本人の家はきまって谷みたいな、低いところにあったね」
「それにも理由はあるんだな」と父親は続ける。日本は地震が多いし台風も多い、木造家屋はそれらに弱いため、なるべく風あたりの少ない、天災に際して危険度の低い土地を選ぶようになった。
「だが、それだけでもない」
日本人は「陰影」というものに敏感で、直射光よりも間接光、あけひろげた明るさより、遮蔽物によってやわらげられた光りを好んだ。生活の中に静寂の美をとりいれ、ぎらぎらした物は避けるという習慣があった。
「だからけとうのように石で建てた家の中で、靴をはいたままどかどかくらす、っていう生活にはなじめないんだな、なかなか」
「ふーん」と子供は仔細らしく首をかしげる、「そうだね、ぼくも石の家なんか好きじゃないな、寒いしさ、石の家なんかいやだな」
「それもさ、そうばかりも云えないんだよ、これが」父親は反省するように云う、「たしかに日本人には木造建築が合ってるけれども、こういう、木と泥と紙で出来てる家にばかり住んでるとさ、長いとしつきのあいだには、民族の性格までがそれに順応して、持続性のない軽薄な人間ができてしまうんだな」
父親はそこで欧米人の性格について語り、かれらの能力を支えてきたものは、石と鉄とコンクリートで造った家とか、靴をはいたまま、テーブルに向って食事をし、大きな宴会もする、という生活であると云った。
子供はその一語一語を注意ぶかく聞き、相槌を打つべきところへくると、さも感じいったように頷いたり溜息をついたり、唸ったりした。父親の口ぶりも自分の子に話すようではなく、子供のほうもまた父の話を聞いているようではない。いつもそうなのだが、二人は父と子というよりは、少しとしの違った兄弟か、ごく親密な友人同志といったふうであった。
「それにしてもさ、さていよいよ自分の家を建てるとなるとね、これはこれで問題がべつなんだな、自分たちがそこに住む家となるとさ、民族性は民族性だけれども、現実の問題はまたね」
「みんぞくせえはたいしたことないと思うな、ぼくは」
「そう云うけどね、これはきみたちの将来に関係するんだよ、ぼくたちおとなは先もそう長くはないんだしさ、これから性格を立体的に持ってゆこうとしてもむりだろうがね、きみたちやきみたちの子や孫のことも考えなければならないとするとさ、やはり一概に個人的な好みばかりも云ってはいられないんだな」
「そうだね、うん、ほんとだ」
街は雨のうちに黄昏れかかってき、往来はタクシーや通行人たちや、トラックなどでそうぞうしくなっていた。けれども、その親子にとってはまったく無縁なことのようだったし、タクシーの運転手や通行人や、街筋の商店の人たち、それらの店頭で買い物をする人たちにとっても、この親子はそこに存在しないのと同じことのようであった。
日が昏れるとその父子は住居へ帰る。それはわれわれの「街」の八田じいさんの家に添ってあり、つまりじいさんの家の羽目板にくっつけて、古板を合わせて作った物であった。高さ一メートル五〇、幅が一メートルちょっと、長さ二メートル弱の、犬小屋そっくりの手製の寝小屋で、中には板を重ねた床と、藁と蓆がつくねてあり、それが父子の寝具であった。
小屋の外にビール箱があり、中には丼が二つと箸、ふちの欠けたゆきひらと、でこぼこにへこみのあるニュームの牛乳沸しが入れてあった。ビール箱の脇に、針金で巻いた七厘があるが、針金を解けばばらばらになること間違いなしというほど、使い古した毀れ物であった。
父子は小屋の外で食事をする。ゆきひらと牛乳沸しの中に、めしと汁などがはいっていて、それはパンとシチューであったり、チャーハンとコーヒーであったり、肉と野菜と魚と、パン屑や米のめしの入り混った、なんと云いようもない食物であったりしたが、父も子も、それがどんな料理であるかについては、無関心であった。
無関心だというより、実際にはその物自体から注意をそらし、嗅覚や味覚や視覚を、できる限り他の方向へ集中することにつとめているようであった。
だがこれは通例ではあっても、不変なものではなかった。ときにその汁、またはめしやパンのあいだに、二人の味覚をよびさますような物の出て来ることがあった。
「ほう、これはこれは」と父が肉の小片を箸ではさみ出す、「珍しいな、ロースト・ビーフらしい、それも上手にレアーに仕上げてある、このまん中のとこを赤いままで焼き止めるのがこつなんだな、おまえ食うか」