徳さんが結婚した。
徳さんは高名な親分「築正」一家の身内だそうで、プロの博奕打ちだということをつねづね誇りにしていた。どこまで信じていいか、誰にも見当はつかない、けれども、賭けごとの好きなことだけは明白な事実であった。
徳さんは時と処とに頓着せず、相手さえあれば賭けを挑んだ。
「よう、一丁いこう、よう」と徳さんはせがむ、「次に来る市電の番号、丁か半か、よう、あれで一丁いこうったら、よう」
「なあ、一丁いこうよ、なあ」と彼はせがむ、「おめえの歯でいこう、上の歯で一丁、下の歯で一丁、それとも上下合わせてでもいいや、丁か半か」
「おっと待った」と彼はいそいで相手を押えるような手まねをする、「その口を閉めちゃあだめだ、口を閉めるとべろで歯の勘定ができるからな、口をあいて、それからべろを出しててくんな、さあ、丁か半か」
羽目板のもくめの数。通行ちゅうの老人のとし。繩の切れっ端。柑橘類の実の袋数。マッチの本数。花の花弁。電車のレール。橋桁。茶碗一杯のめし粒。――このように数えてもきりはない、つまり数の限定した事物以外なら、どんなものでも即座に賭けの材料にするのであった。
彼は三十二歳だと自慢しているが、本当は二十八か九であるらしい。筋肉質ではなく、ぼてっと中太りの躯に、夏も冬も洗いざらした浴衣一枚で、冬にはほころびだらけの半纏をひっかける。縞目もよくわからないほど古い、女物の半纏であるが、――女物じゃないかなどときくと、たいてい一時間ぐらいは、それを着ていてくれと泣いて頼んだ彼女について、よもやと思われるようなのろけを聞かされる。もしも「その話は聞いたよ」とでも云えば、逆にもう一人べつの彼女をひきだしてきて、それこそ二、三日は気が沈むほど聞かされるのがおちであった。――顔はおもながのようでもあり、まるいようでもあり、また、そのどっちでもないようでもあった。眉もはっきりせず、眼は細く、唇は厚く、鼻は蜜柑の皮のように穴だらけだし、顔いちめんにきびを潰した痕だらけである。一メートル六〇そこそこの身長を、「五尺七寸たっぷり」だと自慢し、それを証明するためだろう、人の見るところではいつも背伸びをしていた。
或るとき、この「街」の真吾さんについて、一人の警官が徳さんの家をおとずれた。まだ若い警官で、初めに隣りの島悠吉にきき、それから徳さんの家へ来た、ということがあとでわかった。
「なんですか」警官の姿を見るなり、徳さんはがたがたふるえだした、「なんの用ですか、あっしは竹家のことには関係なしですよ」
「あんたのことじゃない、あんたには関係のないことなんだ」警官は手帳を繰りながら、彼のほうは見ずに云った、「きみは戸部真吾という者を知ってるかね」
自分のことではないと知ったとき、徳さんの硬ばった表情がゆるみ、躯のふるえが止った。そして眼尻をさげて微笑したとたん、つい平生の癖が出た。
「あっしが戸部のことを知ってるか知らねえか」と徳さんは云った、「それで一丁やりませんか、旦那」
警官は不審そうに彼を見た。そして「なにをやるんだね」と反問した。
「わからねえかな、賭けですよ、賭け」
警官の口がゆっくりとあいた。
「旦那が先に賭けるんです」と彼は巧みな口ぶりで云った、「あっしが戸部のことを知ってるか知らねえか、どっちへ賭けるのも旦那の勝手だ、賭けだからいかさまなし、あっしは正直なところを云いますよ、ねえ、一丁やってみませんかい」
旦那にとってこんなに割のいい賭けはない、と云ったそうだ。若い警官がそれにどう答えたかわからない、怒ったともいうし、笑ったとも云うし、なんにも聞えなかったように黙っていたともいう。――明くる日の夕方、彼は家の前で隣りの島さんにつかまった。
島さんには顔面神経痙攣というデリケイトな持病があり、片方の足がちょっと短い。けれども性質は明るくて人づきあいがよく、誰とでもすぐに親しくなり、いつもあいそのいい笑顔をみせた。徳さんとは隣り同志であるが、殆んどつきあわないし、口をきいたこともごくたまにしかなかった。
「きみ、やったね」島さんは彼に向って、にっと笑いながら云った、「なにか大でいりでもあったのかい」
「なんのことです」
「隠すなよ、ゆうべおまわりが来ただろう」
「知ってるんですか」
「ぼくのうちへ先に寄ったんだ、きみも相当な顔らしいな」
「云わないで下さいよ」彼は得意になり、それを隠そうとして頭を掻いた、「ときどきようすをみに来るんです、うるさくってしょうがねえんだが、まあ警察としても役目でしょうからね」
「それほどの顔だとは知らなかった、み直したよ」
「云わないで下さいよ」彼はプロの博奕打ちらしくてれてみせた、「あっしなんざ、まだほんのかけだしなんだから」
徳さんはこの話を、知っている人たちみんなに語った。島さんにとんだところを見られちゃってね、とか、下っ端ならこんなことはないんだが、とか。おれが幹部になるってことを警察ではもう勘づいてるらしい、などとさえ云うのであった。
その徳さんが結婚したのだ。彼は或る夜、結婚したというその若い女を伴れて、近所の家をずっとまわった。
「こんど女房を貰いましてね」と彼はその妻を紹介した、「としは十八、名めえはくに子ってえんです、どうかよろしく」
くに子は一メートル五〇くらいの背丈で、小太りの、かなりなきりょうよしであり、眼も口も鼻もちまちまとしていた。
「くに子って柄かね」と近所のかみさんたちは云いあった、「としだってはたちを二つ三つ越してるよ、十八だって、――ふん、きっとどこかのインチキバーの女給か、小料理屋からでも攫ってきたんだろうさ」
「それならまだしもさ、夜になるとどこかの街の角にでも立ってたんじゃないのかい」
「やさしそうなお面をしてえるけど、一と皮剥けばあれで相当なばくれんだよ」