平さんは独り者で、手作りの小屋に住んでいる。古い材木の柱を四本立て、まわりに古板を打ち付け、屋根も古板の上へ古トタンを張ったものだ。出入り口はひらき戸だが、躯を跼めなければならないほど小さく、南側に一メートル四方ばかりの窓が一つ、それも手作りで、くもりガラスが篏めてあった。
人の住んでいる家は生きているようにみえるものだ。住んでいる人によっては、その家が性格を備えているようにみえる場合さえ少なくない。――平さんの「小屋」は平さんの手作りだから、もっとも単純に彼の性格をあらわしている筈である。その筈であるのに、小屋はまったく無性格で、些かの特徴もなく、古材木と古板を寄せ集めた「小屋」という以外には、なんらの意味もふぜいも感じられなかった。
こういう「街」の住人たちは、その貧しい住居のどこかを、なにかのかたちで飾ろうとする。釣忍を吊るとか、欠けた鉢で朝顔を育てるとか、軒先の僅かな地面に草花を植えるとか、または朽ちかかったような自分の住居の、柱や敷居を拭きみがきしたり、羽目板や戸袋を飽きずに水洗いするとか、その人その人の美的感覚と好尚によって、それらから謙遜な慰安とくつろぎを得ているようであった。
平さんはそんなことはしなかった。そこはどの長屋からもはなれていて、まわりは不毛の空地であり、地面は砕けた瓦や瀬戸物や、コークス殻などで蔽われているため、草も満足には生えないし、平さんの足でできた踏みつけ道が、道ともいえないほどかすかに、その空地を横切っているだけであった。小屋の窓の外に一本、高さ一メートルばかりの細い枯木が立っているが、枯れてから幾年も経つのだろう、いまではなんの木であるかもわからなかった。
平さんの小屋とその周囲には、生命というものが感じられなかった。そこに見られるのは、人にかえりみられなくなった荒廃ではなく、不毛と枯死そのもののようであった。
平さんは誰ともつきあわず、日常の挨拶も殆んどしなかった。本当の名もとしもわからない。見たところ五十歳から六十歳のあいだらしいが、ときによると七十ちかい老人のように、力なくやつれてみえることもあった。躯は小柄で痩せているけれども、筋肉はひき締って、陽にやけた皮膚にもつやがあり、いかにも健康そうだし、眉の濃い細おもての顔も、よく見るとなかなか品があった。
「若いころはきっといい男ぶりだったろうね」とかみさんたちは云いあった、「いまだって捨てたもんじゃないだろう、このあいだ誰かさんが、夜なかに這い込んでったっていうじゃないか」
「なま睡の出るような話じゃあないの、誰かさんって誰よ」
「およしよお吉さん、云いだしっぺってこと知らないの」
云いだしっぺといわれたかみさんはふんと鼻を鳴らし、それからすました顔で続けた。
「誰かさんは誰かさんさ、こう云えばご本人にはわかるだろ、自分たちで思い当らないんなら、他人のことで気を揉むんじゃないよ」
「それはいいけどさ、肝心なことはうまくいったのかい」
「ほんとか嘘かわからないけどもね、平さんは小屋の中で、蝋燭をとぼして坐ってたって」
眼が落ちくぼみ、頬がこけて、乏しい蝋燭の火がゆれると、その顔が骸骨のようにみえた。そうして、はいっていった女を見た彼は、低いしゃがれ声で、「お蝶か」と云った。それは墓の下からでも聞えてくるような声で、女は骨の凍るほどそうけ立ち、そのまま夢中で外へとびだしたという。
「嘘かほんとか知らないけどね、その道にかけちゃあ腕っこきの誰かさんだし、狙ってものにしなかったためしのない人だから、案外そのとおりかもしれないよ」
「お蝶って誰だろう」
「この長屋うちのどこかにいるかもしれないね」
「それとも別れたか死んだかした、もとのおかみさんかもしれないしね」
こういう噂話が、平さんの耳に届いたかどうかはわからない。彼は石のように無くちで、そっけなく、頑固に自分の孤独を守っていた。
平さんのしょうばいは、マットレスを作って売ることだった。廃品回収業者のたて場から、ぼろ布を買って来る。小屋の外に煉瓦と石で組んだ即席竈があり、煮炊きをするようになっているが、そこに石油罐を掛け、買って来たぼろ布を入れて煮る。脂や汚れをおとすのだろう、煮あげたぼろは陽に干したうえ、二センチ幅くらいに裂き、それを縒って、――自分で工作したらしい原始的な織り機にかけ、丹念にマットレスを編みあげる。風呂場の足拭きとか、火鉢の下敷くらいの用にしかならないのだろうが、丹念に、しっかりと編みあげるから、平さんの品は好評で、かなりとくいも多いようであった。
平さんは無くちで、近所づきあいもせず、日常の挨拶もしないことはすでに記した。尤もそれまでに一人だけ、ときたまたずねる知人があった。ボス猫のとらの飼い主である半助がその相手だが、たずねていってもあまり話はしなかった。半助は臆病で気の弱そうな、絶えず人に殴られるのを恐れているような男であり、これまた人嫌いで、飼い猫のとらにだけはものを云うけれども、人間とは口をききたがらない性分だったから、平さんと二人では話のはずみようがないのだ。――平さんがたずねていって、半日くらい坐っていても、話し声は殆んど聞えない。ときたまどちらかが、今日は天気がいいなと云えば、うん、よく晴れたなと片方が答える。かなり時間が経ち、もう忘れたころになって、世間の景気は相変らずだなと片方が云えば、相変らずだと一方が答え、それっきり声はとだえる、というふうであった。
そのうちに、その半助もいなくなった。
半助は人に連れ去られたのである。連れ去ったのは刑事だともいうし、半助がいかさま賽を作っていたため、プロの賭博者たちが掠っていったのだともいわれた。どちらにもせよ、平さんはたった一人の友達――ともいえないだろうが、ともかくただ一人の知人を失い、また自分ひとりのくらしに戻った。