〔註、この間に幼年時代の思出数々記しあれど略す〕
助八さんは、よいお爺さんだと云うことがだんだん分って来ました。けれども、よいお爺さんではありますけれども、誰か外の人から(ひょっとしたら神さまかも知れません。それでなければ、あの怖い「お父つぁん」かも知れません)やさしくしてはならんと、いいつけられているのだということが、よくよく分って来ました。
私は(秀ちゃんも吉ちゃんも)話がしたくて仕様がないのに、助八さんは歌を教えてしまうと、私が悲しんでも、知らん顔をして行ってしまいます。長い間ですから、時々話をすることもありますが、少し少し喋ると、何か目に見えないものが、口をふさぎに来た様に、黙ってしまいます。「馬鹿」のおよねさんの方が、よっぽど沢山喋りました。けれども、私の聞き度いことは、少ししか云いませなんだ。
字や物の名や、人間の心のことを覚えたのは、たいがい助八さんに教えてもらったのですが、助八さんは「わしは学問がないのでいかぬ」と申されましたから、字も沢山は教えてもらいません。
ある時助八さんが三冊本を持って上って来て、「こんな本がわしの行李の中に残っていたから、絵でも見るがいい。わしにも読めぬから、お前にはとても字を読むことは出来ないけれど、わしが色々な話をすると、ひどい目に合わされるから、この本を読めなくても、読んでいる間には、お前のよい話相手になるだろうから」と云って、三冊の本を下さいました。
本の名は「子供世界」と「太陽」と「思出の記」です。表紙に大きな字で書いてありますから、本の名だと思います。「子供世界」というのは面白い、絵の沢山ある本で、一番よく読めました。「太陽」は色々なことが並べて書いてあります。半分位は今でもむずかしくて分りません。「思出の記」というのも、悲しい楽しい本です。度々読むと、この本が一番好きになりました。それでも沢山分らない所があります。助八さんに尋ねても、分ることも、分らぬこともあります。
絵も、字で書いてあることも、遠い遠い所の、まるで私とは違ったことばかりですから、分る所でも本当に分っているのではありません。夢みたいに思えるばかりです。それから、遠い所にある世界には、もっともっと、私の知っている百倍も、色々な物や考え方や字などがあるのだそうですが、私は三冊の本と、助八さんの少しの話丈けしか知りませんから、「子供世界」に書いてある太郎という子供でさえ知っていることで、私の少しも知らない様なことが、沢山沢山あるでしょうと思います。世界では、学校というものがあって、小さい子供にでも沢山沢山教えて下さるのだそうですから。
本を貰いましたのは、助八さんが来る様になってから、二年位あとでしたから、私の十二位の年かも知れません。けれども、貰ってから二年か三年は、読んでも読んでも、分らぬことばかりでした。助八さんに訳をたずねても、教えて下さる時は少しで、あとはたいがいおとしさんの唖みたいに、返事をしなさいませんでした。
本が少し読める様になったのと、本当に悲しい心が分る様になったのと、同じでした。片輪というものが、どの位悲しいものかということが、一日ずつ、ハッキリハッキリ分って来ました。
私が書いているのは、秀ちゃんの方の心です。吉ちゃんの心は、私の思っている様に別々なものとすると、秀ちゃんには分りません。書いているのは、秀ちゃんの方の手なのですから。けれども、壁の向うの音が聞える位には吉ちゃんの心も分ります。
私の心は、吉ちゃんの方が、秀ちゃんよりも、よっぽど片輪です。吉ちゃんは本も秀ちゃんの様に読めませんし、お話をしても、秀ちゃんの知っていることを、沢山知りません。吉ちゃんは力だけ強いのです。
それですけれども、吉ちゃんの心も、私が片輪者だということを、ハッキリハッキリ知って居ります。吉ちゃんと秀ちゃんは、そのことを話しする間は、喧嘩をしません。悲しいことばかり話します。
一番悲しかったことを書きます。
ある時御飯のお菜に、知らぬお肴がついて居りましたので、あとで助八さんにお肴の名を聞きましたら、章魚と申しました。章魚というのは、どんな形ですかと尋ねますと、足の八つあるいやな形の魚だと申しました。
そうすると、私は人間よりも章魚に似ているのだと思いました。私は手足が八つあります。章魚の頭は幾つあるか知りませんが、私は頭の二つある章魚の様なものです。
それから章魚の夢ばかり見ました。本当の章魚の形を知りませんものですから、小さい私の様な形のものだと思って、その形の夢を見ました。その形のものが、沢山沢山、海の水の中を歩いている夢を見ました。
それから少しして、私の身体を二つに切ることを考え始めました。よくしらべて見ますと、私の身体の右の方の半分は、顔も手も足も腹も秀ちゃんの思う様になりますが、左の半分は顔も手も足も少しも秀ちゃんの思う様になりません。左の方には、吉ちゃんの心が這入っているからだと思います。それですから、身体を半分に切ってしまったら、一人の私が、二人の別々の人間になれると思いました。助八さんとおとしさんの様に、別々の秀ちゃんと吉ちゃんになって、勝手に動いたり、考えたり、眠ったり出来ると思いました。そうなれたらどんなに嬉しいでしょうと思いました。
秀ちゃんと吉ちゃんを別の人間としますと、秀ちゃんのお尻の左側と、吉ちゃんのお尻の右側とが、一つになってしまっているのです。そこを切ればちょうど二人の人間になれます。
ある時、秀ちゃんが吉ちゃんに、この考えを話しましたら、吉ちゃんも喜んでそうしようと申しました。けれども、切る物がありません。のこぎりとか庖丁とかいうものを知って居りますが、まだ見たことがありません。そうすると、吉ちゃんが、喰いついて切ろうと申しました。秀ちゃんが、そんなことは出来ませんと云うのに、吉ちゃんは、えらい力で喰いつきましたが、私はキャッと云って、大きな声でなき出しました。秀ちゃんの顔も、吉ちゃんの顔も、一っしょに泣き出しました。それで、吉ちゃんは一ぺんだけでこりてしまいました。