← Library‹ 孤島の鬼 岩屋島

相談そうだんが纏まとまると、私わたくし達たちは何なんよりも先まず、神田かんだの洋食ようしょく屋やの二に階かいの、額がくの中なかへ隠かくして置おいた、系図けいず帳ちょうと双生児ふたごの日記にっきのことが気掛きがかりであった。

「日記にっきにしろ系図けいず帳ちょうにしろ、僕ぼく達たちが持もっていては非常ひじょうに危険きけんだ。暗号あんごう文ぶんさえ覚おぼえ込こんで置おけば、外そとのものに別段べつだん値打ねうちがある訳わけではないから、一層いっそ二ふたつとも焼やき捨すててしまう方かたがいい」

諸戸もろとは、神田かんだへ走はしる自動じどう車しゃの中なかで、こんな意見いけんを持出もちだした。私わたくしも無論むろん賛成さんせいであった。

だが、洋食ようしょく屋やの二に階かいに上のぼって、心覚こころおぼえの額がくの破やれ目めから手てを入いれて探さぐって見みると、どうした事ことか、その中なかは空からっぽで、何なんの手答てごたえもない。下したの人ひと達たちに尋たずねても、誰だれも知しらぬ。第一だいいち昨日きのうからその部屋へやへ這入はいった者ものは一人ひとりもないとの答こたえであった。

「やられたんだ。彼奴あいつは我々われわれの一挙いっきょ一動いちどうを、少すこしも目めを離はなさず見張みはっているんだ。あんなに注意ちゅういしたんだがなあ」

諸戸もろとは賊ぞくの手並てなみに感嘆かんたんして云いった。

「だが、暗号あんごう文ぶんが敵てきの手てに渡わたっては、一刻いっこくも猶予ゆうよ出来できませんね」

「愈々いよいよ明日あす立たつ事ことに極きめた。もうこうなっては、逆ぎゃくにこちらからぶっつかって行いく外そとに手段しゅだんはないよ」

その翌日よくじつ、忘わすれもせぬ大正たいしょう十じゅう四よん年ねん七しち月がつ二十にじゅう九きゅう日にち、私わたくし達たちは旅たび支度したくも軽かろやかに、南海なんかいの一いち孤島ことうを目めざして、いとも不思議ふしぎな鹿島かしま立たちをやったのである。

諸戸もろとはただ旅たびをすると云いい残のこして、留守るすは書生しょせいと婆ばあやに預あずけ、私わたくしは神経しんけい衰弱すいじゃくを治なおす為ために、友達ともだちの帰省きせいに同行どうこうして、田舎いなかへ行いくとの理由りゆうで、会社かいしゃを休やすみ、家族かぞくの同意どういをも得えた。丁度ちょうど七なな月がつの末すえで、暑中しょちゅう休暇きゅうかに間まもなかったので、家族かぞくも会社かいしゃの人ひと達たちも、別段べつだん私わたくしの申出もうしでを怪あやしみはしなかった。

「友達ともだちの帰省きせいに同行どうこうする」事実じじつ夫それに相違そういなかった。だが、何なんという不思議ふしぎな帰省きせいであったろう。諸戸もろとは父ちちの膝元ひざもとへ帰かえるのだ。併しかし、父ちちの顔かおを見みる為ためではない。父ちちの罪業ざいごうを審さばき父ちちと闘たたかう為ために帰かえるのだ。

志州ししゅうの鳥羽とばまでは汽車きしゃ、鳥羽とばから紀伊きいのK港こうまでは定期ていき船せん、それから先さきは所ところの漁師りょうしにでも頼たのんで渡わたして貰もらう外そとには、便船びんせんとてもないのである。定期ていき船せんと云いっても、現在げんざいでは三千さんぜん噸トン級きゅうの立派りっぱな船ふねが通かよっているが、その時分じぶんのは、二三百にさんびゃく噸とんのボロ汽船きせんで旅客りょかくも少すくなく、鳥羽とばを離はなれると、もう何なんだか異郷いきょうの感かんじで、非常ひじょうに心細こころぼそくなったものである。そのボロ汽船きせんに一いち日にちゆられて、やっとK港こうに着つくとK港こうそのものがうら淋さびしい漁師りょうし村むらに過すぎないのに、更さららに断崖だんがいになった人ひとも住すまぬ海岸かいがんを、海上かいじょう五ご里り、言葉ことばさえ通つうじ兼かねる漁師りょうしの小舟こぶねで、殆ほとんど半日はんにちを費ついやして、漸ようやく岩屋いわや島しまへ着つくのである。

途中とちゅう別段べつだんのこともなく、私わたくし達たちは七なな月がつ三十さんじゅう一いち日にちの昼ひる頃ころ、中継なかつぎのK港こうに上陸じょうりくした。

桟橋さんばしは即すなわち魚さかな市場しじょうの荷に上じょう所ところで、魚形ぎょけい水雷すいらいみたいな鰹かつおだとか、腸はらわたの飛とび出だした、腐くさりかかった鮫さめだとかが、ゴロゴロと転ころがり、磯いその香かと腐肉ふにくの臭においがムッと鼻はなをついた。

桟橋さんばしを上のぼった所ところに、旅館りょかん料理りょうりと看板かんばんを出だした、店先みせさきに紙かみ障子しょうじの目立めだつ様ような、汚きたならしい家いえがある。私わたくし達たちはとりあえずそこへ這入はいって、材料ざいりょう丈だけは新鮮しんせんな、鰹かつおのさしみで昼食ちゅうじきをやりながら、女房にょうぼうをとらえて、渡舟としゅうの世話せわを頼たのんだり、岩屋いわや島しまの様子ようすを尋たずねたりした。

「岩屋いわや島しまかな。近ちかいとこやけど、まだ行いって見みたこともありませんけど、何なんや気味きみの悪わるいとこでのんし。諸戸もろと屋敷やしきを別べつにして六七ろくしち軒けんも漁師りょうしのうちがありますやろか。見みるとこも何なんもない、岩いわばっかりの、離はなれ島じまやわな」

女房にょうぼうは分わかり悪にくい言葉ことばでこんなことを云いった。

「その諸戸もろと屋敷やしきの旦那だんなが、近頃ちかごろ東京とうきょうへ行いったという噂うわさを聞きかないかね」

「聞きかんな。諸戸もろと屋敷やしきの傴僂くつまさんが、ここから汽船きせんに乗のりなしたら、じき分わかるさかいに、滅多めったに見逃みのがしやしませんがのんし。そやけど、傴僂くつまさんとこには、帆前船ほまえせんがあるさかいにのんし。勝手かってにどこへでも舟ふねを着つけて、わしらの知しらん内うちに、東京とうきょうへ行いったかも知しれんな。あんた方かた、諸戸もろと屋敷やしきの旦那だんなを御ご存知ぞんじかな」

「いや、そういう訳わけじゃないが、一寸ちょっと岩屋いわや島しままで行いって見みたいと思おもうのでね。あすこまで舟ふねを渡わたしてくれる人ひとはないだろうかね」

「サア、天気てんきがええのでのんし、生憎あいにく皆みな漁りょうに行いってるさかいになあ」

だが、私わたくし達たちが頻しきりに頼たのむものだから、方々かたがた尋たずね廻まわって、結局けっきょく一人ひとりの年としとった漁師りょうしを傭やとってくれた。それから賃銭ちんせんの交渉こうしょうをして、サアお乗のりなさいと用意よういが出来できるまでには、気きの長ながい田舎いなかのことで、小こ一いち時間じかんもかかった。

舟ふねはチョロと称しょうする小ちいさい釣舟つりぶねで、二人ふたり乗のるのがやっとであった。「こんな舟ふねで大丈夫だいじょうぶか」と念ねんを押おすと、老ろう漁夫ぎょふは「気遣きづかいない」と云いって笑わらった。

沿岸えんがんの景色けしきは、どこの半島はんとうにもよく見みる様ような、切きり立たてた断崖だんがいの上部じょうぶに、こんもりと森もりの端はしが縁ふちどり、山やまと海うみとが直ただちに接せっしている感かんじであった。幸さいわい海うみはよく凪ないでいたけれど、断崖だんがいの裾すそは、一帯いったいに白しろく泡立あわだって見みえた。諸所しょしょに胎内たいないくぐりめいた穴あなのある奇巌きがんがそそり立たっていた。

日ひの暮くれぬ内うちに島しまに着つかぬと、今夜こんやは闇やみだからというので、老ろう漁夫ぎょふは船足ふなあしを早はやめたが、大おおきく突出とっしゅつした岬みさきを一ひとつ廻まわると、岩屋いわや島しまの奇妙きみょうな姿すがたが眼前がんぜんに現あらわれた。

全島ぜんとうが岩いわで出来できているらしく、青あおいものはほんの少すこししか見みえず、岸きしは凡すべて数すう丈じょうもある断崖だんがいでこんな島しまに住すむ人ひとがあるかと思おもわれる程ほどであった。

近ちかづくに従したがって、その断崖だんがいの上うえに、数すう軒けんの人家じんかが点在てんざいするのが見みえて来きた。一方いっぽうの端はしに何なんとなく城廓じょうかくを思おもわせる様ような大おおきな屋根やねがあって、その側がわに白しろく光ひかっているのが、問題もんだいの諸戸もろと屋敷やしきの土蔵どぞうらしかった。

舟ふねは間まもなく島しまの岸きしに達たっしたが、安全あんぜんな舟着ふなつき場ばへ這入はいる為ためには、断崖だんがいに沿そって暫しばらく進すすまなければならなかった。

その間あいだに一いち箇所かしょ、断崖だんがいの裾すそが、海水かいすいの為ために浸蝕しんしょくされて出来できたものであろう、真暗まっくらな奥行おくゆきの知しれぬ洞穴ほらあなになっている所ところがあった。舟ふねは洞穴ほらあなの半町はんちょうばかり沖おきを進すすんでいたのだが、老ろう漁夫ぎょふは、それを指差ゆびさして、こんなことを云いった。

「この辺へんの者ものは、あの洞穴ほらあなの所ところを、魔まの淵ふちと云いいますがのんし、昔むかしからちょいちょい人ひとが呑のまれるので、何なんやらの祟たたりや云いうてのんし、漁師りょうし共ともが恐おそれて近寄ちかよりませんのじゃ」

「渦うずでもあるの」

「渦うずという訳わけでもないが、何なんやらありますのじゃ。一番いちばん近ちかくでは、十じゅう年ねんばかり前まえにのんし、こんなことがありましたげな」

と云いって、老ろう漁夫ぎょふは次つぎの様ような、奇妙きみょうな話はなしをしたのである。

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