← Library‹ 孤島の鬼 諸戸屋敷

近寄ちかよると、諸戸もろと屋敷やしきの荒廃こうはいの有様ありさまは、一層いっそう甚はなはだしいものであった。くずれた土塀どべい、朽くちた門もん、それを這入はいると、境さかいもなくてすぐ裏庭うらにわが見みえているのだが、不思議ふしぎ千万せんばんなことには、その庭にわが、まるで耕たがやした様ように、一面いちめんに掘ほり返かえされて、少すこしばかりの樹木じゅもくも、あるものは倒たおれ、あるものは根ねこそぎにして放ほうり出だしてあるといった塩梅あんばいで、目めも当あてられぬ乱脈らんみゃくであった。それが屋敷やしき全体ぜんたいの感かんじを、実際じっさい以上いじょうに荒あれすさんだものに見みせていた。

怪物かいぶつの真黒まっくろな口くちみたいに見みえる玄関げんかんに立たって、案内あんないを乞こうと、暫しばらくは何なんのいらえもなかったが、再三さいさん声せいをかけている内うちに、奥おくの方ほうから、ヨタヨタと一人ひとりの老婆ろうばが出でて来きた。

夕暮ゆうぐれの薄暗うすぐらい光線こうせんのせいではあったが、私わたくしは生うまれてから、あんな醜怪しゅうかいな老婆ろうばを見みたことがなかった。背せが低ひくい上うえに、肉にくが垂たれ下さがる程ほどもデブデブ肥こえ太ふとっていて、その上うえ傴僂せむしで、背中せなかに小山こやまの様ような瘤こぶがあるのだ。顔かおはと云いうと、皺しわだらけの渋紙色しぶかみいろの中なかに、お玉たまじゃくしの恰好かっこをした、キョロンとした目めが飛出とびだし、唇くちびるが当あたり前まえでないと見みえて、長ながい黄色きいろい乱杭歯らんぐいばが、いつでも現あらわれている。その癖くせ上歯うわばは一いち本ほんもないらしく、口くちを塞ふさぐと、顔かおが提灯ちょうちんの様ように不ふ気味きみに縮ちぢまってしまうのだ。

「誰だれだえ」

老婆ろうばは、私わたくし達たちの方ほうをすかして見みて、怒おこった様ような声こえで尋たずねた。

「僕ぼくですよ。道雄みちおですよ」

諸戸もろとが顔かおをつき出だして見みせると、老婆ろうばはじっと見みていたが、諸戸もろとを認みとめると、びっくりして、頓狂とんきょうな声こえを出だした。

「オヤ、道みちかえ。よくまあお前まえ帰かえって来きたね。あたしゃもう、一生いっしょう帰かえらないのかと思おもっていたよ。そして、そこの人ひとはえ」

「これ、僕ぼくの友達ともだちです。久ひさし振ぶりで家いえの様子ようすが見みたくなったものですから、友達ともだちと一緒いっしょに、はるばるやって来きたんですよ。丈五郎じょうごろうさんは?」

「マアお前まえ、丈たけ五郎ごろうさんだなんて。お父ちちつぁんじゃないか。お父ちちつぁんとお云いいよ」

この醜怪しゅうかいな老婆ろうばは諸戸もろとの母親ははおやだった。

私わたくしは二人ふたりの会話かいわを聞きいていて、諸戸もろとが父親ちちおやのことを丈たけ五郎ごろうという名なで呼よんだのも異様いように感かんじたが、それよりも、もっと不思議ふしぎなことがあった。と云いうのは、老婆ろうばが「お父ちちつぁん」と云いった。その調子ちょうしが、気きのせいか、軽業かるわざ少年しょうねん友之助とものすけが死しぬ少すこし前まえ口くちにした「お父ちちつぁん」という呼声よびごえと、非常ひじょうによく似にていたことである。

「お父ちちつぁんはいるよ。でもね、此頃このごろ機嫌きげんが悪わるいから、気きをつけるがいいよ。まあ兎とに角かく、そんな所ところに立たっていないで、お上のぼりな」

私わたくし達たちは黴臭かびくさい真暗まっくらな廊下ろうかを幾曲いくまがりかしてとある広ひろい部屋へやに通とおされた。外観がいかんの荒廃こうはいしている割わりには、内部ないぶは綺麗きれいに手入ていれがしてあったけれど、それでも、どこやら廃墟はいきょといった感かんじをまぬがれなんだ。

その座敷ざしきは庭にわに面めんしていたので、夕闇ゆうやみの中なかに広ひろい裏庭うらにわと、例れいの土蔵どぞうのはげ落おちた白壁しらかべの一部いちぶがぼんやり見みえたが、庭にわにはやっぱり、無残むざんに掘返ほりかえしたあとが歴々ありありと残のこっていた。

暫しばらくすると、部屋へやの入口いりぐちに、物もの怪のけの気配けはいがして、諸戸もろとの父親ちちおやの怪かい老人ろうじんが、ニョイと姿すがたを現あらわした。それが、もう暮くれ切きった部屋へやの中なかを、影かげの様ように動うごいて、大おおきな床とこの間まを背せにして、フワリと坐すわると、いきなり、

「道みち、どうして帰かえって来きた」

と、とがめる様ように云いった。

そのあとから、母親ははおやが這入はいって来きて、部屋へやの隅すみにあった行燈あんどんを持もち出だし、老人ろうじんと私わたくし達たちの間あいだに置おいて、火ひをともしたが、その赤茶あかちゃけた光ひかりの中なかに浮上うきあがった怪かい老人ろうじんの姿すがたは、梟ふくろうの様ように陰険いんけんで醜怪しゅうかいなものに見みえた。傴僂せむしで背せの低ひくい点てんは、母親ははおやとそっくりだったが、その癖くせ、顔かお丈だけは異様いように大おおきくて顔かお一面いちめんの女郎蜘蛛じょろうぐもが足あしを拡ひろげた感かんじの皺しわと、兎うさぎみたいに真中まんなかで裂さけている醜みにくい上唇うわくちびるとが、一目ひとめ見みたら一いち生涯しょうがい忘わすれることが出来できない程ほどの深ふかい印象いんしょうを与あたえた。

「一いち度ど家やが見みたかったものだから」

と、諸戸もろとはさい前まえ母親ははおやに云いった通とおりを答こたえて、傍かたわらの私わたくしを紹介しょうかいした。

「フン、じゃあ貴様きさまは約束やくそくを反古ほごにした訳わけだな」

「そういう訳わけじゃないけれど、あなたに是非ぜひ尋たずねたいことがあったものだから」

「そうか。実じつは俺おれの方ほうにも、ちと貴様きさまに話はなしたい事ことがある。マア、いいから逗留とうりゅうして行いけ。本当ほんとうを云いうと、俺おれも一いち度ど貴様きさまの成人せいじんした顔かおが見みたかったのだよ」

私わたくしの力ちからでは、その時ときの味あじを出だすことが出来できないけれど、十じゅう何なん年ねんぶりでの、親子おやこの対面たいめんは、ざっとこんな風ふうな、誠まことに変へんてこなものであった。肉体にくたいばかりでなくて、精神せいしん的てきにも、どこか片輪かたわな所ところがあると見みえて、言葉ことばや仕草しぐさや、親子おやこの情じょうという様ようなものまで、まるで普通ふつうの人間にんげんとは違ちがっている様ように見みえた。

そんな変へんてこな状態じょうたいのままで、この不思議ふしぎな親子おやこは、ポツリポツリと、それでも一いち時間じかんばかり話はなしをしていた。その内うち今いまでも記憶きおくに残のこっているのは、次つぎの二ふたつの問答もんどうである。

「あなたは近頃ちかごろどこかに旅行りょこうをなすったのじゃありませんか」

諸戸もろとが何なんかの折おりに、その点てんに触ふれて云いった。

「いんや、どこへも行いかない。のうお高たか」

老人ろうじんは傍そばにいた母親ははおやの方ほうを振向ふりむいて助勢じょせいを求もとめた。気きのせいかその時とき老人ろうじんの目めが、ある意味いみをこめてギョロリと光ひかった様ように見みえた。

「東京とうきょうでね、あなたとそっくりの人ひとを見みかけたんですよ。若もしかしたら、私わたくしに知しらせないで、こっそり東京とうきょうへ出でられたのかと思おもって」

「馬鹿ばかな。そんな、この年としで、不ふ自由じゆうな身体からだで、東京とうきょうなんぞへ出でて行いくものかな」

だが、そう云いう老人ろうじんの目めが、やや血走ちばしって、額がくが鉛色なまりいろに曇くもったのを、私わたくしは見逃みのがさなんだ。諸戸もろとは強しいて追及ついきゅうせず、話頭わとうを転てんじたが、暫しばらくすると、又また別べつの重要じゅうような質問しつもんを発はっした。

「庭にわが掘返ほりかえしてある様ようですが、どうしてこんなことをなすったのですか」

老人ろうじんは、この不意ふい撃うちに会あって、ハッと答こたえに窮きゅうしたらしく長ながい間あいだ押おし黙だまっていたが、

「ナニ、これはね、のうお高だか、六ろくめの仕業しわざだよ。ホラお前まえも知しっている通とおり、家いえには可哀想かわいそうな一人前いちにんまえでない連中れんちゅうを養やしなってあるが、その内うちに六ろくという気違きちがいがいるのだよ。その六ろくが、何なんの為ためだか庭にわをこんなにしてしまった。気違きちがいのことだから、叱しかる訳わけにも行いかぬのでね」と答こたえた。私わたくしにはそれが、出でまかせの苦くるしい言訳いいわけだとしか思おもえなんだ。

その夜よるは、同おなじ座敷ざしきに床ゆかを取とって貰もらって、私わたくし達たちは枕まくらを並ならべて寝しんについた。でも、二人ふたりとも昂奮こうふんの為ために仲々なかなか眠ねむれない。と云いって迂闊うかつな話はなしも出来できぬので、まじまじと押おし黙だまっていたが、静しずかな夜よるに心こころがすんで行いくにつれて、寝静ねしずまった広ひろい屋敷やしきのどこかで、細々ほそぼそと異様いような人声ひとごえが、切きれては続つづいているのが、聞きこえて来きた。

「ウウウウウウ」

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