それから又、地獄巡りの悩ましい旅が始まった。蟹の生肉に餓をしのぎ、洞窟の天井から滴り落ちる僅かの清水に渇を癒して、何十時間、私達は果しもしらぬ迷路の旅を続けた。その間の苦痛恐怖色々あれど、余り管々しければ凡て省く。
地底には夜も昼もなかったけれど、私達は疲労に耐えられなくなると、岩の床に横わって睡った。その幾度目かの眠りから目覚めた時、徳さんが頓狂に叫び立てた。
「紐がある。紐がある。お前さん達が見失ったという麻縄は、これじゃないかね」
私達は思いがけぬ吉報に狂喜して、徳さんの側へ這い寄ってさぐって見ると、確かに麻縄だ。それでは、私達はもう入口間近かに来ているのであろうか。
「違うよ、これは僕達が使った麻縄ではないよ。蓑浦君、君はどう思う。僕達のはこんなに太くなかったね」
道雄が不審相に云った。云われて見ると、成程私達の使用した麻縄ではなさそうだ。
「すると、僕達の外にも、誰かしるべの紐を使って、この穴へ這入ったものがあるのだろうか」
「そうとしか考えられないね。しかも、僕達のあとからだ。なぜと云って、僕達が這入った時には、あの井戸の入口に、こんな麻縄なんて括りつけてなかったからね」
私達のあとを追って、この地底に来たのは、全体何者であろう。敵か味方か。だが、丈五郎夫妻は土蔵にとじ籠められている。あとは片輪者ばかりだ。アア、若しや先日舟出した諸戸屋敷の使用人達が帰って来て、古井戸の入口に気づいたのではあるまいか。
「兎も角も、この縄を伝って、行ける所まで行って見ようじゃないか」
道雄の意見に従って、私達はその縄をしるべにして、どこまでも歩いて行った。
やっぱり、何者かが地底に入り込んでいたのだ、一時間も歩くと、前方がボンヤリと明るくなって来た。曲りくねった壁を反射して来る蝋燭の光だ。
私達はポケットのナイフを握りしめて、足音の反響を気にしながら、ソロソロと進んで行った。一曲りする毎に、その明るさが増す。
遂に最後の曲り角に達した。その岩角の向側に、はだか蝋燭がゆらいでいる。吉か凶か、私は足がすくんで、最早や前進する力がなかった。
その時、突然、岩の向側から異様な叫び声が聞えて来た。よく聞くと単なる叫び声ではない。歌だ。文句も節も滅茶滅茶の、嘗つて聞いたこともない兇暴な歌だ。それが、洞窟に反響して、一種異様の獣の叫び声とも聞えたのだ。思いがけぬ場所で、この不思議な歌を聞いて、私はゾッと身の毛もよだつ思いがした。
「丈五郎だよ」
先頭に立った道雄が、ソッと岩角を覗いてびっくりして、首を引込めると、低い声で私達に報告した。
土蔵にとじ籠めて置いた筈の丈五郎が、どうしてここへ来たか。なぜ妙な歌を歌っているのか。私はさっぱり訳が分らなんだ。
歌の調子は益々高く、愈々兇暴になって行く。そして、歌の伴奏の様にチャリンチャリンと、冴返った金属の音が聞えて来る。
道雄は又ソッと岩角から覗いていたが、やがて、
「丈五郎は気が違っているのだ。無理もないよ。見給え、あの光景を」
と云いながら、ずんずん岩の向側へ歩いて行く。気違いと聞いて、私達も彼のあとに従った。
アア、その時私達の目の前に開けた、世にも不思議な光景を、私はいつまでも忘れることが出来ない。
醜い傴僂親爺が、赤い蝋燭の光に半面を照らされて、歌とも叫びともつかぬことをわめきながら、気違い踊りを躍っている。その足下は、銀杏の落葉の様に、一面の金色だ。
丈五郎は洞窟の片隅にある幾つかの甕の中から、両手に掴み出しては、踊り狂いながら、キラキラとそれを落す。落すに従って、金色の雨はチャリンチャリンと、微妙な音を立てる。
丈五郎は私達の先廻りをして、幸運にも地底の財宝を探り当てたのだ。しるべの縄を失わなんだ彼は、私達の様に同じ道をどうどう巡りすることなく、案外早く目的の場所に達することが出来たのであろう。だが、それは彼にとって悲しい幸運であった。驚くべき黄金の山が、遂に彼を気違いにしてしまったのだから。
私達は駈け寄って彼の肩を叩き、正気づけようとしたが、丈五郎は空な目で私達を見返すばかり、敵意さえも失って、訳の分らぬ歌を歌い続けている。
「分った、蓑浦君。僕達のしるべの麻縄を切ったのは、この親爺だったのだ。奴はそうして僕達を路に迷わせて置いて、自分は別のしるべ縄で、ここまでやって来たのだよ」
道雄がそこへ気づいて云った。
「だが、丈五郎がここへ来ているとすると、諸戸屋敷に残して置いた片輪達が心配だね。若しやひどい目に合わされているのじゃないだろうか」
その実私は、ただ恋人秀ちゃんの安否を気遣っていたのだ。
「もう、この麻縄があるんだから、外へ出るのは訳はない。兎も角一度様子を見に帰ろう」
道雄の指図で、気違い親爺の見張番には徳さんを残して置いて、私達はしるべの縄を伝って、走る様に出口に向った。