← Library‹ 二十四の瞳 一 小石先生

十じゅう年ねんをひと昔むかしというならば、この物語ものがたりの発端ほったんは今いまからふた昔むかし半はんもまえのことになる。世よの中なかのできごとはといえば、選挙せんきょの規則きそくがあらたまって、普通選挙法ふつうせんきょほうというのが生うまれ、二に月がつにその第だい一いち回かいの選挙せんきょがおこなわれた、二にか月げつ後ごのことになる。昭和しょうわ三さん年ねん四し月がつ四よん日か、農山漁村のうさんぎょそんの名なが全部ぜんぶあてはまるような、瀬戸内海せとないかいべりの一いち寒村かんそんへ、若わかい女おんなの先生せんせいが赴任ふにんしてきた。

百ひゃく戸こあまりの小ちいさなその村むらは、入いり江えの海うみを湖みずうみのような形かたちにみせる役やくをしている細長ほそながい岬みさきの、そのとっぱなにあったので、対岸たいがんの町まちや村むらへゆくには小舟こぶねで渡わたったり、うねうねとまがりながらつづく岬みさきの山道さんどうをてくてく歩あるいたりせねばならない。交通こうつうがすごくふべんなので、小しょう学校がっこうの生徒せいとは四よん年ねんまでが村むらの分ぶん教場きょうじょうにゆき、五ご年ねんになってはじめて、片道かたみち五ごキロの本村ほんそんの小しょう学校がっこうへかようのである。手作てづくりのわらぞうりは一日ついたちできれた。それがみんなはじまんであった。毎朝まいあさ、新あたらしいぞうりをおろすのは、うれしかったにちがいない。じぶんのぞうりをじぶんの手てで作つくるのも、五ご年ねん生せいになってからの仕事しごとである。日曜にちよう日ひに、だれかの家いえへ集あつまってぞうりを作つくるのはたのしかった。小ちいさな子こどもらは、うらやましそうにそれをながめて、しらずしらずのうちに、ぞうり作つくりをおぼえてゆく。小ちいさい子こどもたちにとって、五ご年ねん生せいになるということは、ひとり立だちを意味いみするほどのことであった。しかし、分ぶん教場きょうじょうもたのしかった。

分ぶん教場きょうじょうの先生せんせいは二人ふたりで、うんと年としよりの男おとこ先生せんせいと、子こどものように若わかい女じょ先生せんせいがくるのにきまっていた。それはまるで、そういう規則きそくがあるかのように、大昔おおむかしからそうだった。職員室しょくいんしつのとなりの宿直室しゅくちょくしつに男おとこ先生せんせいは住すみつき、女じょ先生せんせいは遠とおい道みちをかよってくるのも、男おとこ先生せんせいが三さん、四よん年ねんを受うけもち、女じょ先生せんせいが一、二いちに年ねんと全部ぜんぶの唱歌しょうかと四よん年ねん女おんな生せいの裁縫さいほうを教おしえる、それも昔むかしからのきまりであった。生徒せいとたちは先生せんせいを呼よぶのに名なをいわず、男おとこ先生せんせい、女おなご先生せんせいといった。年としよりの男おとこ先生せんせいが恩給おんきゅうをたのしみに腰こしをすえているのと反対はんたいに、女じょ先生せんせいのほうは、一いち年ねんかせいぜい二に年ねんすると転任てんにんした。なんでも、校長こうちょうになれない男おとこ先生せんせいの教師きょうしとしての最後さいごのつとめと、新米しんまいの女おんな先生せんせいが苦労くろうのしはじめを、この岬みさきの村むらの分ぶん教場きょうじょうでつとめるのだという噂うわさもあるが、うそかほんとかはわからない。だが、だいたいほんとうのようでもある。

そうして、昭和しょうわ三さん年ねんの四よん月がつ四よん日かにもどろう。その朝あさ、岬みさきの村むらの五ご年ねん生せい以上いじょうの生徒せいとたちは、本校ほんこうまで五ごキロの道みちをいそいそと歩あるいていた。みんな、それぞれ一ひとつずつ進級しんきゅうしたことが心こころをはずませ、足あしもとも軽かるかったのだ。かばんの中なかは新あたらしい教科きょうか書しょにかわっているし、今日きょうから新あたらしい教室きょうしつで、新あたらしい先生せんせいに教おしえてもらうたのしみは、いつも通とおる道みちまでが新あたらしく感かんじられた。それというのも、今日きょうは、新あたらしく分ぶん教場きょうじょうへ赴任ふにんしてくる女おんな先生せんせいに、この道みちで出であうということもあった。

「こんどのおなご先生せんせい、どんなヤツじゃろな」

わざとぞんざいに、ヤツよばわりをするのは、高等こうとう科か――今いまの新制しんせい中学ちゅうがく生せいにあたる男おとこの子こどもたちだ。

「こんどのもまた、女じょ学校がっこう出でえ出でえの卵たまごじゃいよったぞ」

「そんなら、また半人前はんにんまえ先生せんせいか」

「どうせ、岬みさきはいつでも半人はんにん前まえじゃないか」

「貧乏村びんぼうむらなら、半人はんにん前まえでもしようがない」

正規せいきの師範しはん出でではなく、女じょ学校がっこう出での準じゅん教員きょういん(今いまでは助教じょきょうというのだろうか)のことを、口くちのわるい大人おとなたちが、半人はんにん前まえなどというのをまねて、じぶんたちも、もう大人おとなになったようなつもりでいっているのだが、たいして悪気わるぎはなかった。しかし、今日きょうはじめてこの道みちを歩あるくことになった五ご年ねん生せいたちは、目めをぱちくりさせながら、今日きょう仲間なかま入いりをしたばかりの遠慮えんりょさで、きいている。だが、前方ぜんぽうから近ちかづいてくる人ひとの姿すがたをみとめると、まっさきに歓声かんせいをあげたのは五ご年ねん生せいだった。

「わあ、おなご先生せんせいェ」

それは、ついこないだまで教おしえてもらっていた小林こばやし先生せんせいである。いつもはさっさとすれちがいながらおじぎを返かえすだけの小林こばやし先生せんせいも、今日きょうは立たちどまって、なつかしそうにみんなの顔かおをかわるがわる見みまわした。

「今日きょうで、ほんとにおわかれね。もうこの道みちで、みんなに出であうことはないわね。よく勉強べんきょうしてね」

そのしんみりした口調くちょうに涙なみだぐんだ女おんなの子こもいた。この小林こばやし先生せんせいだけは、これまでの女おんな先生せんせいの例れいをやぶって、まえの先生せんせいが病気びょうきでやめたあと、三さん年ねん半はんも岬みさきの村むらを動うごかなかった先生せんせいであった。だから、ここで出であった生徒せいとたちは、いちどは小林こばやし先生せんせいに教おそわったことのあるものばかりだ。先生せんせいがかわるというようなことは、本来ほんらいならば新しん学期がっきのその日ひになってはじめて分わかるのだが、小林こばやし先生せんせいは、かた破やぶりに十とお日かもまえに生徒せいとに話はなしたのである。三さん月がつ二十にじゅう五ご日にちの修業式しゅうぎょうしきに本校ほんこうへいった帰かえり、ちょうど、いま、立たっているこのへんで、別わかれのことばをいい、みんなに、キャラメルの小箱こばこを一ひと箱はこずつくれた。だからみんなは、今日きょうこの道みちを新あたらしい女じょ先生せんせいが歩あるいてくるとばかり思おもっていたのに、それを迎むかえるまえに小林こばやし先生せんせいにあってしまったのである。小林こばやし先生せんせいも、今日きょうは分ぶん教場きょうじょうにいる子こどもたちに、別わかれのあいさつにゆくところなのであろう。

「先生せんせい、こんどくる先生せんせいは?」

「さあ、もうそろそろ見みえるでしょう」

「こんどの先生せんせい、どんな先生せんせい?」

「しらんのよ、まだ」

「また女じょ学校がっこう出でえ出でえ?」

「さあ、ほんとにしらんの。でもみんな、性しょうわるしたら、だめよ」

そういって小林こばやし先生せんせいは笑わらった。先生せんせいもはじめの一いち年ねんは途中とちゅうの道みちでひどく困こまらされて、生徒せいとの前まえもかまわず泣ないたこともあった。泣なかした生徒せいとはもうここにはいないけれど、ここにいる子この兄あにや姉あねである。若わかいのと、なれないのとで、岬みさきへくるたいていの女おんな先生せんせいが、一いち度どは泣なかされるのを、本校ほんこう通かよいの子こどもらは伝説でんせつとして知しっていた。四よん年ねんもいた小林こばやし先生せんせいのあとなので、子こどもたちの好奇心こうきしんはわくわくしていた。小林こばやし先生せんせいと別わかれてからも、みんなはまた、こんどくる先生せんせいの姿すがたを前方ぜんぽうに期待きたいしながら、作戦さくせんをこらした。

「芋女いもじょォって、どなるか」

「芋いも女おんなでなかったら、どうする」

「芋いも女おんなに、きまっとると思おもうがな」

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