← Library‹ 二十四の瞳 二 魔法の橋

とっぱなまで四よんキロの細長ほそながい岬みさきのまん中なかあたりにも小ちいさな部落ぶらくがある。入いり海うみにそった白しろい道みちは、この小しょう部落ぶらくにさしかかるとともに、しぜんに岬みさきを横よこぎって、やがて外海そとうみぞいに、海うみを見みおろしながら小石こいし先生せんせいの学校がっこうのある岬みさき村むらへとのびている。この外そと海うみぞいの道みちにさしかかる前後ぜんごに、本校ほんこうへかよう生徒せいとたちと出であうのが、毎日まいにちのきまりのようになっていて、もしも、少すこしでも場所ばしょがちがうと、どちらかがあわてねばならぬ。

「わあ、小石こいし先さき生いきたぞう」

急きゅうに足あしばやになるのはたいてい生徒せいとのほうだが、たまには先生せんせいのほうでも、入いり海うみぞいの道みちで行ゆく手てに生徒せいとの姿すがたを見みつけ、あわててペタルに力ちからを入いれることもある。そんなとき、生徒せいとのほうの、よろこぶまいことか。顔かおをまっかにして走はしる先生せんせいにむかって、はやしたてた。

「やあい、先生せんせいのくせに、おくれたぞォ」

「月給げっきゅう、ひくぞォ」

そして、わざと自転じてん車しゃの前まえに法度はっとする子こどもさえあった。そんなことがたびかさなると、その日ひ家いえへ帰かえったときの先生せんせいは、お母ははさんにこぼした。

「子こどものくせに、月給げっきゅうひくぞォだって。勘定かんじょうだかいのよ。いやんなる」

お母ははさんは笑わらいながら、

「そんなこと、おまえ、気きにする馬鹿ばかがあるかいな。でもまあ、一いち年ねんのしんぼうじゃ。しんぼう、しんぼう」

だが、そういってなぐさめられるほど、苦痛くつうは感かんじていなかった。なれてくると、朝あさはやく自転じてん車しゃをとばす八はちキロの道みちのりはあんがいたのしく、岬みさきを横よこぎるころにはスピードが出でてきて、いつのまにか競争きょうそうをしていた。それがまた生徒せいとの心こころへひびかぬはずがなく、負まけずに足あしが早はやくなった。シーソーゲームのように押おしつ押おされつ、一いち学期がっきも終おわったある日ひ、用事ようじで本校ほんこうへ出でむいていった男おとこ先生せんせいはみょうなことをきいてかえった。この一いち学がく期間きかん、岬みさきの生徒せいとは一いち度どもちこくしないというのだ。片道かたみち五ごキロを歩あるいてかよう苦労くろうはだれにもわかっていることで、昔むかしから、岬みさきの子こどものちこくだけは大目おおめに見みられていたのだが、逆ぎゃくに一いち度どもちこくがないとなると、これは当然とうぜんほめられねばならぬ。もちろん、一大いちだい事件じけんとしてほめられたのだ。男おとこ先生せんせいはそれを、じぶんの手柄てがらのように思おもってよろこび、

「なんしろ、今年ことしの生徒せいとんなかには、たちのよいのがおるからなあ」

五ご年ねん生せいのなかにたったひとり、本校ほんこうの大おおぜいのなかでも群ぐんをぬいてできのよい女おんなの子こがいることで、岬みさきからかよっている三十さんじゅう人にんの男女だんじょ生徒せいとがちこくしなかったようにいった。だがそれは、じつは女じょ先生せんせいの自転じてん車しゃのためだったのだ。しかし、女じょ先生せんせいだとて、そうとは気きがつかなかった。そして、たびたび、この岬みさきの村むらの子こどもらの勤勉きんべんさに感心かんしんし、いたずらぐらいはしんぼうすべきことだと思おもった。そう思おもいながら、心こころの中なかではじぶんの勤勉きんべんさをも、ひそかにほめてやった。

――わたしだって、途中とちゅうでパンクしたときにちこくしただけだわ。わたしは八はちキロだもの――などと。そして窓まどの外そとに目めをやり、じぶんをいつもはげましてくれるお母ははさんのことを思おもった。おだやかな入いり海うみはいかにも夏なつらしくぎらぎら光ひかって、母ははのいる一本松いっぽんまつの村むらは白しろい夏雲なつぐもの下したにかすんで見みえた。あけっぴろげの窓まどから、海風うみかぜが流ながれこんできて、もうあと二ふた日かで夏休なつやすみになるよろこびが、からだじゅうにしみこむような気きがした。だが、少すこし悲かなしいのは、なんとしても気きをゆるさぬような村むらの人ひとたちのことだ。それを男おとこ先生せんせいにこぼすと、男おとこ先生せんせいは奥歯おくばのない口くちを大おおきくあけて笑わらい、

「そりゃあ無理むりな注文ちゅうもんじゃ。あんたが、なんぼ熱心ねっしんに家庭かてい訪問ほうもんしてもですな、洋服ようふくと自転じてん車しゃがじゃましとりますワ。ちっとばかりまぶしくて、気きがおけるんです。そんな村むらですからな」

女じょ先生せんせいはびっくりしてしまった。顔かおを赤あからめ、うつむいて考かんがえこんだ。

――着物きものきて、歩あるいてかよえというのかしら。往復おうふく四よん里り(十じゅう六ろくキロ)の道みちを……。

夏休なつやすみ中ちゅうにもなんどかそれについて考かんがえたが、決心けっしんのつかぬうちに二に学期がっきがきた。暦こよみのうえでは九きゅう月がつといっても、永ながい休やすみのあとだけに暑あつさは暑あつさ以上いじょうにこたえ、女じょ先生せんせいの小ちいさなからだは少すこしやせて、顔色かおいろもよくなかった。その朝家ちょうかを出でかけるとき、先生せんせいのお母ははさんはいったのである。

「なんじゃかんじゃというても、三さん分ぶんの一いちは過すぎたでないか。しんぼう、しんぼう。もうちょっとのしんぼう」

手てつだって自転じてん車しゃを出だしてくれながら、なぐさめてくれた。しかし、先生せんせいでもお母ははさんの前まえでは、ちょっとわがままをいってみたくなることは、ふつうの人間にんげんと同おなじである。

「あーあ、しんぼ、しんぼか」

腹はらでも立たてているように、さあっと自転じてん車しゃをとばした。しばらくぶりに風かぜをきって走はしるこころよさが身みにしみるようだったが、今日きょうからまた、自転じてん車しゃでかようことを思おもうと気きが重おもくなった。休やすみ中ちゅうなんどか話はなしがでて、岬みさきで部屋へやでも借かりようかといってもみたが、けっきょくは自転じてん車しゃをつづけることになったのである。自転じてん車しゃも、朝あさはよいけれど、焼やけつくような、暑熱しょねつのてりかえす道みちを、背中せなかに夕陽ゆうひをうけてもどってくるときのつらさは、ときに呼吸いきもとまるかと思おもうこともある。岬みさきの村むらは目めの前まえなのに、日ひがな毎日まいにち馬鹿ばか念ねんをいれて、入いり海うみをぐるりとまわってかようことを考かんがえると、くやしくてならない。しかも自転じてん車しゃは岬みさきの人ひとたちの気きにいらないというのだ。

あんちきしょ!

口くちに出だしてはいわないが、目めの前まえに横よこたわる岬みさきをにらまえると、思おもわず足あしに力ちからがはいる。めずらしく波なみのざわめく入いり江えの海うみを右みぎにへだてて、岬みさきに逆行ぎゃっこうして走はしりながら、ああ、と思おもった。今日きょうは二百にひゃく十とお日かなのだ。そうと気きがつくと、なんとなくあらしをふくんだ風かぜが、じゃけんに頬ほおをなぐり、潮しおっぽい香かおりをぞんぶんにただよわせている。岬みさきの山やまのてっぺんがかすかにゆれ動うごいているようなのは、外海そとめの波なみの荒あらさを思おもわせて、ちょっと不安ふあんにもなった。途中とちゅうで自転じてん車しゃをおりねばならないかもしれぬからなのだ。そうなると自転じてん車しゃほどじゃまものはない。しかし、だからといって今いまおりるわけにはもうゆかないのだと考かんがえながら、いつしか、空想くうそうは羽はねのある鳥とりのように飛とびまわっていた。

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