修学旅行から大石先生の健康はつまずいたようだった。三学期にはいってまもなくのこと、二十日近く学校を休んでいる大石先生の枕もとへ、ある朝一通のはがきがとどいた。
拝啓、先生の御病気はいかがですか。私は毎日、朝礼の時になると、心配になります。大石先生がいないとせえがないと、小ツルさんや富士子さんもいっています。男子もそういっています。先生、早くよくなって、早くきてください。岬組はみんな心配しています。小夜奈良。
岬組の生徒たちの真情にふれた思いで、ふと涙ぐんだ先生も、最後の小夜奈良で、思わずふきだした。早苗からだった。
「さよならを、ほら、こんなあて字がはやってるんよ、お母さん」
朝食をはこんできた母親に見せると、
「字もうまいでないか、六年生にしちゃあ」
「そう、一ばんよくできるの。師範へいくつもりのようだけど、少しおとなしすぎる。あれで先生つとまるかな」
口ではなかなか意志表示をしない早苗のことを心配していうと、
「だけど、おまえ、久子だって六年生ぐらいまでは口数のすくない、愛嬌のない子だったよ。それがまあ、このせつはどうして、口まめらしいもの」
「そうかしら、わたし、そんなに口八丁?」
「だって、教師が口が重たかったらこまるでないか」
「そうよ。だからわたし、この山石早苗という子が、教壇に立ってものがいえるかしらと、心配なの」
「じぶんのこと忘れて。久子だって人の前じゃろくに唱歌もうたえなかったじゃないか。それでもちゃんと、一人前になったもの」
「ふーん。そうだったわ。いま唱歌すきなの、もしかしたら子どものときの反動かな」
「ひとりっ子のはにかみもあったろうがね。そのはがきの子もひとりっ子かい」
「ううん。六人ぐらいのまん中よ。姉さんは赤十字の看護婦だそうよ。じぶんは先生になりたいって、それも綴方に書いてあるの。きいたって口ではいわないくせに、綴方だと、すごいこと書くのよ。これからは女も職業をもたなくては、うちのお母さんのように、つらい目をする、なんて、よっぽどつらい目をみてるらしいの」
「おまえと同じじゃないか」
「でもわたしは、小さいときからちゃんと人にもいってたわ。先生になる、先生になるって。山石早苗ときたら、何にもいやしない。いつでもみんなのうしろにかくれているみたいなくせに、書かせるとちゃんとしてるの」
「いろいろ、たちがあるよ。こうしてはがきをよこしたりするところ、なかなかうしろにかくれちゃいないから」
「そうなの。そして、小夜奈良なんだもの、おもしろい」
はがき一枚につりこまれて思わずすすんだ朝食だった。そのあとも、まるで鏡にでも見入るようにそのはがきを見つめ、やがては子どもたちのことがつぎつぎと浮かんできた。川本松江はどうしたであろうか。
――てんぷら一丁ッ!
かん高に叫んでいた桃われの娘。桟橋前「しまや」という看板をおぼえてかえり、手紙を出してみたが、返事はこなかった。小学校四年生しか修めていない子どもには手紙をかくすべもわからなかったのだろうか。それとも本人の手に渡ったかどうかもあやしい……。あの夜、うさんくさそうに出てきたおかみさんも、事情がわかるとさすがにあいそよく、
「まあま、それはそれは。ようきておくれましたな。さ、先生、どうぞおかけなさんせ」
中へ招じいれ、せまい畳の縁台に小さな座ぶとんを出してすすめたりした。しかし話をするのはおかみさんばかりで、松江はだまってつっ立っていた。いつのまにか男の生徒が五、六人やってきて、縄のれんの向こうに顔をならべているのを見ると、大石先生は立ちあがらずにいられなかったのだ。
「じゃあまたね。もうすぐ船がくるでしょうから」
いとまをつげたが、べつに見送りにもこなかった。許されなかったのであろう。わざとふりむきもせず、さっさと歩きだすと、ぞろぞろついてきた生徒たちは思い思いのことをいった。
「先生、だれかな、あの子?」
「先生、あのうどんやと一家(親類)かな?」
本校にはたった一日しか顔を出さなかった松江を、だれも松江と気づいていないのは、その中に岬の子どもがまじっていなかったからであろう。へたにさそい出したりしなかったことを、松江のためによろこびながら、今でも一種のもどかしさで思いだされる松江であった。同じ年に生まれ、同じ土地に育ち、同じ学校に入学した同い年の子どもが、こんなにせまい輪の中でさえ、もうその境遇は格段の差があるのだ。母に死なれたということで、はかりしれぬ境遇の中にほうり出された松江のゆくすえはどうなるのであろうか。彼女といっしょに巣立った早苗たちは、もう未来への羽ばたきを、それぞれの環境のなかで支度している。将来への希望について書かせたとき、早苗は教師と書いていた。子どもらしく先生と書かずに、教師と書いたところに早苗の精いっぱいさがあり、甘っちょろいあこがれなどではないものを感じさせた。六年生ともなれば、みんなはもうエンゼルのように小さな羽を背中につけて、力いっぱいに羽ばたいているのだ。
変わっているのは、マスノの志望であった。学芸会に「荒城の月」を独唱して全校をうならせたマスノは、ひまさえあれば歌をうたい、ますますうまくなっていた。歌にむかうとき彼女の頭脳は特別のはたらきをみせ、楽譜をみてひとりで歌った。田舎の子どもとしては、それはじつに珍らしいことだった。彼女の夢のゆきつくところは音楽学校であり、そのために彼女は女学校へゆくといった。
女学校組はマスノのほかにミサ子がいた。あまりできのよくないミサ子は、受験のための居残り勉強にいんうつな顔をしていた。彼女の頭は算数の原理を理解する力も、うのみにする記憶力にもかけていた。しかもそれをじぶんでよく知っていて、無試験の裁縫学校にゆきたがった。だが彼女の母はそれを承知せず、毎日、彼女にいんうつな顔をさせた。なんとかして県立高女に入れたい彼女の母は、熱心に学校へきていた。その熱意で娘の脳みその構造が変わりでもするように。それでもミサ子は平気だった。