海も空も地の上も戦火から解放された終戦翌年の四月四日、この日朝はやく、一本松の村をこぎだした一隻の伝馬船は、紺がすりのモンペ姿のひとりのやせて年とった小さな女を乗せて、岬の村の方へ進んでいった。静かな海に靄はふかくたちこめていて、岬の村は夢のなかに浮かんでいるようにみえたが、やがてのぼりはじめた太陽に醒まされるように、その細長い姿を、しだいにくっきりと、あらわしはじめた。
「あ、ようやっと晴れだした」
まだ十二、三と見える船頭は、小さなからだ全体を動かして櫓を押しすすめながら、まだ遠い岬の村に眺めいった。目ばかりかがやいているようなその男の子に、同じように岬の村に目を見はっていた女は、いとおしむような声で話しかけた。
「岬、はじめてかい、大吉?」
みかけによらず、若い声である。
「うん、岬なんぞ、用がなかったもん」
ふりかえりもせずに答えた。
「そうじゃな。お母さんでさえ、ずっとくることなかったもんなあ。岬というところは、そんなとこじゃ。あれから十八年! ほう、ふた昔になる。お母さんも年よせたはずかいな」
なんとそれは、大石先生の、ひさしぶりの声と姿である。今日、彼女は十三年ぶりの教職にかえり、しかも今、ふたたび岬の村へ赴任するところなのだ。まえには自転車に乗ってさっそうとかよっていた先生も、今ではそんな若さがなくなったのであろうか。ところが、そうばかりではなかったのだ。戦争は自転車までも国民の生活からうばいさって、敗戦後半年のいま、自転車は買うに買えなかった。岬へ赴任ときまったとき、はたと当惑したのはそれだった。途中まであったバスさえも、戦争中になくなったまま、いまだに開通していない。昔でさえも、自転車でかよった八キロの道は、歩いてかようしかなかった。とうてい、からだのつづくはずがないと考えて、母子三人岬へ移ろうかといいだしたとき、一言で反対したのが大吉だった。船でおくり迎えをするというのだ。船だとて借りるとすれば、相当の礼もしなければならない。
「雨がふったら、どうする?」
「そしたら、お父さんの合羽きる」
「風の強い日は、こまるでないか」
「…………」
「あ、心配しなさんな。風の日は歩いていくよ」
返事につまった大吉を、いそいで助けたものだ。あしたはあしたの風がふく。あしたのことまで考えてはいられなかった永い年月は、雨や風ぐらいでへこたれぬことだけは、教えてくれた。戦争は六人の家族を三人にしてしまったけれど、だからなお、残った三人はどうでも生きねばならないのだ。大吉は六年生になっている。並木は四年だった。出がけに渚に立って母の初出勤を見おくってくれた並木も、もうそろそろ学校へ出かける時分だと思って一本松をふりかえった。久しぶりに沖からながめる一本松も、昔のままに見える。なんの変化も見られぬその村にさえ、大きな変化をきたした戦争の果ての敗戦。
「大吉、つかれないかい。手に豆ができるかもしれんな」
「豆ができたって、すぐにかたまらァ ぼく、平気だ」
「ありがたいな。でも、明日からもっと早目に出かけようか」
「どうして?」
「先生の息子が、毎日ちこくじゃあ、なにがなんでもふがわるい。そのうちお母さんも、また自転車を手にいれる算段するけども」
「へっちゃらだあ。ちゃんと理由があると、叱られんもん。船で、おくったげる」
ゆっくりと、櫓についてからだを前後に動かしながら、得意の顔で笑った。
「うまいな、櫓押すの。やっぱり海べの子じゃな。いつのまにおぼえたん」
「ひとりで、おぼえるもん。六年生なら、だれじゃって押せる」
「そうかね。お母さんもおぼえよかな」
「そんなこと、ぼくがおくってあげる」
「そうそう、森岡正という子がいてな、一年生なのに、お母さんを舟でおくってあげるっていったことがあった。昔――。もう戦死したけんど」
「ふーん。教え子?」
「そう」
ふっと涙が出た。生きていれば、もうよい若者になったろうと、五年前、桟橋で別れたきりの正を思いだし、それが幼い日のおもかげとかさなって浮かんできた。あれきりついに会うことのなかった正。そしてもう永久に会うことのできなくなった教え子たち。はげしい戦いにたおれた今、幾人がふたたび故郷の土をふみ、ふたたび会えるかと思うと、心は暗くしずむ。
悪夢のように過ぎたここ五年間は、大石先生をも人なみのいたでと苦痛のすえに、小さな息子にいたわられながら、このへんぴな村へ赴任してこなければならぬ境遇に追いこんでいた。わが身に職のあることを、はじめて彼女は身にしみてありがたがった。教え子の早苗にすすめられて願書は出してみたものの、着てゆく着物さえもないほど、生活は窮迫の底をついていた。不如意な日々の暮しは人を老いさせ、彼女もまた四十という年よりも七八つもふけている。五十といっても、だれが疑がおう。
いっさいの人間らしさを犠牲にして人びとは生き、そして死んでいった。おどろきに見はった目はなかなかに閉じられず、閉じればまなじりを流れてやまぬ涙をかくして、何ものかに追いまわされているような毎日だった。しかも人間はそのことにさえいつしかなれてしまって、立ちどまり、ふりかえることを忘れ、心の奥までざらざらに荒らされたのだ。荒れまいとすれば、それは生きることをこばむことにさえなった。そのあわただしさは、戦いの終った今日からまだ明日へもつづいていることを思わせた。戦争はけっして終ったとは思えぬことが多かった。
原爆の残虐さが、そのことばとしての意味だけで伝えられてはいたが、まだほんとうの惨状を知らされていなかったあの年の八月十五日、ラジオの放送を聞くために学校へ召集された国民学校五年生の大吉は、敗戦の責任を小さなじぶんの肩にしょわされでもしたように、しょげかえって、うつむきがちに帰ってきた。