← Library‹ 痴人の愛 二十八

さて、話はなしはこれから三四さんよ年ねんの後あとのことになります。

私わたくしたちは、あれから横浜よこはまへ引ひき移うつって、かねてナオミの見みつけて置おいた山手やまての洋館ようかんを借かりましたけれども、だんだん贅沢ぜいたくが身みに沁しみるに従したがい、やがてその家いえも手狭てぜまだと云いうので、間まもなく本牧ほんもくの、前まえに瑞西スイス人の家族かぞくが住すんでいた家いえを、家具かぐぐるみ買かって、そこへ這入はいるようになりました。あの大だい地震じしんで山手やまての方ほうは残のこらず焼やけてしまいましたが、本牧ほんもくは助たすかった所ところが多おおく、私わたくしの家いえも壁かべに亀裂きれつが出来できたぐらいで、殆ほとんどこれと云いう損害そんがいもなしに済すんだのは、全まったく何なんが仕合しあわせになるか分わかりません。ですから私わたくしたちは、今いまでもずっとこの家いえに住すんでいる訳わけなのです。

私わたくしはその後ご、計画けいかく通とおり大井おおい町まちの会社かいしゃの方ほうは辞職じしょくをし、田舎いなかの財産ざいさんは整理せいりしてしまって、学校がっこう時代じだいの二に三さんの同窓どうそうと、電気でんき機械きかいの製作せいさく販売はんばいを目的もくてきとする合資ごうし会社かいしゃを始はじめました。この会社かいしゃは、私わたくしが一番いちばんの出資しゅっし者しゃである代かわりに、実際じっさいの仕事しごとは友達ともだちがやってくれているので、毎日まいにち事務じむ所しょへ出でる必要ひつようはないのですが、どう云いう訳わけか、私わたくしが一日ついたち家いえにいるのをナオミが好このまないものですから、イヤイヤながら日ひに一いち遍へんは見廻みめぐることにしてあります。私わたくしは朝あさの十じゅう一いち時じ頃ころに、横浜よこはまから東京とうきょうに行いき、京橋きょうばしの事務じむ所しょへ一いち二に時間じかん顔かおを出だして、大概たいがい夕方ゆうがたの四よん時じ頃ころには帰かえって来きます。

昔むかしは非常ひじょうな勤勉きんべん家かで、朝あさは早起はやおきの方かたでしたけれども、この頃ごろの私わたくしは、九きゅう時じ半はんか十じゅう時じでなければ起おきません。起おきると直すぐに、寝間着ねまきのまま、そっと爪先つまさきで歩あるきながら、ナオミの寝室しんしつの前まえへ行いって、静しずかに扉とびらをノックします。しかしナオミは私わたくし以上いじょうに寝坊ねぼうですから、まだその時分じぶんは夢現ゆめうつつで、

「ふん」

と、微かすかに答こたえる時ときもあり、知しらずに寝ねている時ときもあります。答こたえがあれば私わたくしは部屋へやへ這入はいって行いって挨拶あいさつをし、答こたえがなければ扉とびらの前まえから引ひき返かえして、そのまま事務じむ所しょへ出でかけるのです。

こう云いう風ふうに、私わたくしたち夫婦ふうふはいつの間あいだにか、別々べつべつの部屋へやに寝ねるようになっているのですが、もとはと云いうと、これはナオミの発案はつあんでした。婦人ふじんの閨房けいぼうは神聖しんせいなものである、夫おっとといえども妄みだりに犯おかすことはならない、―――と、彼女かのじょは云いって、広ひろい方ほうの部屋へやを自分じぶんが取とり、その隣となりにある狭せまい方ほうのを私わたくしの部屋へやにあてがいました。そうして隣となり同士どうしとは云いっても、二ふたつの部屋へやは直接ちょくせつつながってはいないのでした。その間あいだに夫婦ふうふ専用せんようの浴室よくしつと便所べんじょが挟はさまっている、つまりそれだけ、互たがいに隔へだたっている訳わけで、一方いっぽうの室むろから一方いっぽうへ行いくには、そこを通とおり抜ぬけなければなりません。

ナオミは毎朝まいあさ十じゅう一いち時じ過すぎまで、起おきるでもなく睡ねむるでもなく、寝床ねどこの中なかでうつらうつらと、煙草たばこを吸すったり新聞しんぶんを読よんだりしています。煙草たばこはディミトリノの細ほそ巻まき、新聞しんぶんは都と新聞しんぶん、それから雑誌ざっしのクラシックやヴォーグを読よみます。いや読よむのではなく、中なかの写真しゃしんを、―――主おもに洋服ようふくの意匠いしょうや流行りゅうこうを、―――一いち枚まい々々丁寧ていねいに眺ながめています。その部屋へやは東ひがしと南みなみが開ひらいて、ヴェランダの下したに直すぐ本牧ほんもくの海うみを控ひかえ、朝あさは早はやくから明あかるくなります。ナオミの寝台しんだいは、日本にっぽん間かんならば二十にじゅう畳じょうも敷しけるくらいな、広ひろい室へやの中央ちゅうおうに据すえてあるのですが、それも普通ふつうの安やすい寝台しんだいではありません。或ある東京とうきょうの大使たいし館かんから売うり物ものに出でた、天蓋てんがいの附ついた、白しろい、紗しゃのような帳とばりの垂たれている寝台しんだいで、これを買かってから、ナオミは一層いっそう寝心地ねごこちがよいのか、前まえよりもなお床離とこばなれが悪わるくなりました。

彼女かのじょは顔かおを洗あらう前まえに、寝床ねどこで紅茶こうちゃとミルクを飲のみます。その間あいだにアマが風呂場ふろばの用意よういをします。彼女かのじょは起おきて、真まっ先さきに風呂ふろへ這入はいり、湯上ゆあがりの体からだを又また暫しばらく横よこたえながら、マッサージをさせます。それから髪かみを結ゆい、爪つめを研みがき、七ななつ道具どうぐと云いいますが中々なかなか七ななつどころではない、何十なんじゅう種しゅとある薬くすりや器具きぐで顔かおじゅうをいじくり廻まわし、着物きものを着きるのにあれかこれかと迷まよった上うえで、食堂しょくどうへ出でるのが大概たいがい一いち時じ半はんになります。

午ひる飯をたべてしまってから、晩ばんまで殆ほとんど用ようはありません。晩ばんにはお客きゃくに呼よばれるか、或あるいは呼よぶか、それでなければホテルへダンスに出でかけるか、何なんかしないことはないのですから、その時分じぶんになると、彼女かのじょはもう一いち度どお化粧けしょうをし、着物きものを取とり換かえます。夜会やかいがある時ときは殊ことに大変たいへんで、風呂場ふろばへ行いって、アマに手伝てつだわせて、体たいじゅうへお白粉しろいを塗ぬります。

ナオミの友達ともだちはよく変かわりました。浜田はまだや熊谷くまがいはあれからふッつり出入でいりをしなくなってしまって、一いちと頃ころは例れいのマッカネルがお気きに入はいりのようでしたが、間まもなく彼かれに代かわった者ものは、デュガンと云いう男おとこでした。デュガンの次つぎには、ユスタスと云いう友達ともだちが出来できました。このユスタスと云いう男おとこは、マッカネル以上いじょうに不ふ愉快ゆかいな奴やつで、ナオミの御ご機嫌きげんを取とることが実じつに上手じょうずで、一いち度ど私わたくしは、腹立はらだち紛まぎれに、舞蹈会ぶとうかいの時とき此奴こいつを打ぶん殴なぐったことがあります。すると大変たいへんな騒さわぎになって、ナオミはユスタスの加勢かせいをして「気違きちがい!」と云いって私わたくしを罵ののしる。私わたくしはいよいよ猛たけり狂くるって、ユスタスを追おい廻まわす。みんなが私わたくしを抱だき止とめて「ジョージ! ジョージ!」と大声おおごえで叫さけぶ。―――私わたくしの名前なまえは譲治じょうじですが、西洋せいよう人にんは George の積つもりで「ジョージ」「ジョージ」と呼よぶのです。―――そんなことから、結局けっきょくユスタスは私わたくしの家いえへ来こないようになりましたが、同時どうじに私わたくしも、又またナオミから新あたらしい条件じょうけんを持もち出だされ、それに服従ふくじゅうすることになってしまいました。

ユスタスの後あとにも、第だい二に第だい三さんのユスタスが出来できたことは勿論もちろんですが、今いまでは私わたくしは、我われながら不思議ふしぎに思おもうくらい大人おとなしいものです。人間にんげんと云いうものは一いち遍へん恐おそろしい目めに会あうと、それが強迫きょうはく観念かんねんになって、いつまでも頭あたまに残のこっていると見みえ、私わたくしは未いまだに、嘗かつてナオミに逃にげられた時ときの、あの恐おそろしい経験けいけんを忘わすれることが出来できないのです。「あたしの恐おそろしいことが分わかったか」と、そう云いった彼女かのじょの言葉ことばが、今いまでも耳みみにこびり着ついているのです。彼女かのじょの浮気うわきと我わが儘ままとは昔むかしから分わかっていたことで、その欠点けってんを取とってしまえば彼女かのじょの値打ねうちもなくなってしまう。浮気うわきな奴やつだ、我わが儘ままな奴やつだと思おもえば思おもうほど、一層いっそう可愛かわいさが増まして来きて、彼女かのじょの罠わなに陥おちいってしまう。ですから私わたくしは、怒おこれば尚更なおさら自分じぶんの負まけになることを悟さとっているのです。

自信じしんがなくなると仕方しかたがないもので、目下めしたの私わたくしは、英語えいごなどでも到底とうてい彼女かのじょには及およびません。実地じっちに附つき合あっているうちに自然しぜんと上達じょうたつしたのでしょうが、夜会やかいの席せきで婦人ふじんや紳士しんしに愛嬌あいきょうを振ふりまきながら、彼女かのじょがぺらぺらまくし立たてるのを聞きいていると、何なにしろ発音はつおんは昔むかしから巧うまかったのですから、変へんに西洋せいよう人臭ひとくさくって、私わたくしには聞ききとれないことがよくあります。そうして彼女かのじょは、ときどき私わたくしを西洋せいよう流りゅうに「ジョージ」と呼よびます。

これで私わたくしたち夫婦ふうふの記録きろくは終おわりとします。これを読よんで、馬鹿々々ばかばかしいと思おもう人ひとは笑わらって下ください。教訓きょうくんになると思おもう人ひとは、いい見みせしめにして下ください。私わたくし自身じしんは、ナオミに惚ほれているのですから、どう思おもわれても仕方しかたがありません。

ナオミは今年ことし二十にじゅう三さんで私わたくしは三十さんじゅう六ろくになります。

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