南をうけた小さい入江にそって、村道が海と陸とのへだてとなって東西へのび、段々畑の連なった広い丘を背負って四、五十軒の家が海にむかって並んでいる。健のおばあさん家はこの村の真中どころにあり、切手やはがきなどを売っていた。門のそばの板壁には赤い四角な郵便箱がかかっている。毎日お昼すぎごろになると郵便屋がその箱をあけにきた。健がおばあさんの家へ来てから、もうかれこれひと月になる。健はときどきお母さんの手紙を持ってきてくれる郵便屋さんが大好きで、今日もその姿を見ると、一人で縁に寝ころんで絵本を見ていたのが急に起きあがって、かけだして行った。郵便屋さんは大きな鍵をガチャガチャさせて箱の横腹をあけた。口がちょうど健の目の上の高さなので、背のびをすると箱の中がよく見える。いつも手紙やはがきが重なりあっていた。
「郵便さん、健に手紙来とるか。」
健はきまって、そうきくのであった。
「来とらんがいの。」
「ほうよ、そんな仰山、みなよその手紙か。」
「はあ、よそのてまぎじゃ。」
郵便さんは健の口まねで答え、箱の中からつかみ出した手紙やはがきを手のひらの上でそろえて黒い鞄の中にしまい、箱の中に細い紐で結えてぶら下がっている判こを帳面に押して、ぱたんと蓋をしめた。
「さよなら健ちゃん。」
郵便さんは自転車に乗って走っていった。だんだん遠ざかっていく黒いうしろ姿が村はずれの藪のかげにかくれて見えなくなると、健はくるりと左をむいた。道路にむかって開けはなしの門までのあいだを、つま先に踵をつけて小きざみに足をかわした。今朝おろし立ての鼻緒に赤い紙をないこんである藁草履がうれしかった。
鬼ごとするもんようって来い!
鬼ごとするもんようって来い!
裏の荒神様の森で、つれをよび集める子供の声がする。珍しく家で遊んでいた太郎と秀子が、そろいの藁草履をつっかけて土間から裏口へかけだして行った。健も急いであとを追っかけた。よくふとって顔は一つ年上の太郎より大きいのに、背は一つ年下の秀子と同じくらいよりなかった。大きい頭をふりながら走ると、よたよたしていつでも秀子にさえまけた。健はゆっくりと荒神様の石段を上がっていった。そこは秀吉の朝鮮征伐のときに、人夫としてこの村からかり立てられて行った人たちが朝鮮から持って帰って植えたものだといい伝えられている、三本のバベの木でこんもりとした森をつくり、空をおおって大きくひろがった枝の下に荒神様の社があった。三本の親木は、そのどれもみな健たちが五人手をつないでやっと抱えられるほどの大木であった。社の前の空地で、五、六人の子供がじゃんけんをしていた。つかまえ鬼である。健ははじめてなので、じゃんけんなしで仲間入りをしたが、すぐ鬼になった。おもしろくて、はあはあ笑いながら追いまわした。つかまえようとすると、くるりとはずされた。こんどこそやっとつかまえたと思うと、取ってがえしにやられて、また鬼である。松の根方や、大小のバベの木を縫って、石の鳥居や燈籠をぐるぐるめぐって追っかけた。くりくりした丸い胴体に、ちょこんとのっかった、並はずれの大きな頭をふりふり駆けた。健より足のおそいものは誰もない。健はいつまでたっても鬼よりほかになれなかった。胸がどきどきしてきた。顔をしかめ、立ちどまってフウフウ肩で息をした。鬼が立ちどまると、みんなも立ちどまった。
鬼が来んまに豆煎って噛あまそ
鬼が来んまに豆煎って噛あまそ
みんな健の間近へよって来て、思い思いに鬼をとりまいてしゃがみ、てんでに地べたをかきまぜて豆を煎った。鬼が身をかまえると、さっと腰を浮かしてわあっと逃げだす。健は真顔になって追っかけた。真赤に上気して、ころびころび駆けた。紺の毛糸のズボンがずれて足にからまった。とうとう泣きそうな顔でバベの木に胸をつけてもたれこんでしまった。
鬼が来んまに豆煎って噛あまそ
もう健は見むきもしなかった。バベの木の小枝にもぶれついている青黒い葉っぱや、黒いざらざらした木肌のところどころに、もやしのようにひょろひょろと伸びた薄赤い新芽を手あたりしだいにむしっては捨てた。山茶花のような艶のある小さい葉が足下に落ちて、たまっていった。やがて、健はしょぼしょぼと鳥居の方へ歩きだした。
「健ちゃん、もうせんのか、え。」
「健ちゃん、鬼んなってやるせに来い。」
口々に呼びかける。それでも健はとうとう敵に背をむけて荒神様の石段をおりかけた。ずっこけたズボンを胸までこきあげて、一段一段を念入りにおりて行った。
鬼んなってつらかってえ
大根の葉あがからかってえ
みんなのなぶる声が追っかけてきた。石段をおり、細い小路を横切るとすぐ家の空地であった。右の納屋の前の大きな柿の木の下でおばあさんが豚の飯米をつくっていた。健はそのそばへよって行って、だまってしゃがみこんだ。
大根の葉あがからかってえ
からかう声がまだ聞こえる。おばあさんは菜っ葉をきざむ手を休めずに、一人で帰ってきた健に笑いかけた。
「健、どうしたん。」
健は眉をよせ、上唇をせりあげるようにしてかたく口をつぐんでいた。
「なあ、荒神様で遊んでこい。仰山つれがおろがいや、太郎もおろがいや。」
おばあさんは荒神様の方をふりむいていった。
「ほたって、みんなが大根の葉あがからかって、いうんじゃもん。」
「そうか、そりゃ困ったなあ。大根の葉あがからかったんかいや。」
笑いながらおばあさんは菜っ葉をきざんでしまい、大きな板を柿の木に立てかけておいて流し場の方へ行った。米のとぎ汁や残飯の入っている桶を持ってきてそれを豚桶に移したり、醤油工場からもらってきた大豆の煮汁をそれにまぜ合わせたりした。健はつきまわっておばあさんが立つたびに立ち、しゃがむたびにしゃがんだ。
「おばあさん、豚ん家い健も行こうか。」
「そうよなあ、大根の葉あがからかったんなら仕方がない。豚ん家いでも行きましょうかいな。」
「みんなに黙って行こうか。」