浜は学校帰りの子供たちをまじえてだんだん活気づいてきた。健は、その群に近づいていったが、はいりそびれて、うらやましそうに見ていた。健の洋服はよごれ、暖かくなって下着は一枚ぬがされた。それでも健はまだ村になじめず、毎日のようにお母さんの帰りが待たれた。
汽船が通る。欧州航路の大きい汽船、近海まわりの小さい汽船、もっと小さい上方通いの発動機船がポンポン音を立てて行き来する。子供たちにとってはそれらの船はみな軍艦になった。沖へ向いて声援した。大きな軍艦が小さい軍艦を追いこした。蒸汽波が沖からうねりながら押しよせてくる。小さい漁舟が木の葉のようにゆられている。子供たちは、喊声をあげて陸の方へかけだした。ザザア! と大波が打ちよせ、打ちかえし、時化のようにはげしかった。波は一寄せごとに小さくなり、あとは嘘のように静かなもとの海辺になった。今度は陸戦隊であった。子供たちは手に手に棒切れを持って敵も味方もなくかけまわった。健は棒切れが頭にあたりそうでうろうろした。やっとそれをのがれると、こんどは誰かの頭にあたりそうで、ひやひやして目をしばたたいたりした。
郵便飛行機が飛んできた。東の方からうなりがだんだん近づいてくると子供たちは遊びをやめて空を仰いだ。両手をあげてばんざいで迎えるもの、片手を額にかざしてその姿に見入るもの。
「見える、見える、わいら、乗っとる人が見えたがいや。」
「あっ、羽に日の丸がついとるど。」
「英語書いとんも見えたど。」
頭の真上をとび去る飛行機から、めいめい誰もが気づかないものを見つけだそうと顔を空に向けて夢中になっているうちに、いつかその姿を見送っていた。
「飛行機のおっさん、のせておくれえ!」
とつぜん大声で叫んだ。健である。みな笑いだしたが、しかしすぐそれに和して子供たちはみな四股をふんだ。
「飛行機のおっさん、のせておくれえ!」
「一、二の、三! 飛行機のおっさん、のせておくれえ!」
飛行機はだんだん小さくなり、やがて見えなくなってしまった。いつか、日が落ちかかっていた。家へ帰ると太郎のお父さんも醤油工場から帰ったばかりでまだ仕事着のまま縁に腰かけていた。太郎も秀子もお父さんにもぶれついて甘ったれていた。太郎たちのお父さんは健のお父さんの兄で、双児のようによく似た顔をしている。健は小きざみに草履を引きずりながらそばへ寄っていって、おじさんの顔を見あげ、ふ、ふ、と笑った。おじさんは立ちあがって健の方へ近づいて手をひろげた。醤油工場のにおいがした。
「どら、どら、健、おお、重たいぞ、重たいぞ、なかなか持ちあがらんぞ。こりゃ重たい、健は克ちゃんの兄やんだけあって石のように重たいわい。」
おじさんは健の両脇を抱え、重たくて重たくてたまらない顔をしてだんだん持ちあげていって、とうとう頭の上まで差し上げをしてふりまわした。健はうれしくてたまらなかった。大きく口を開けて、わは、は、はと笑った。台所の方でおばあさんの貰い笑いが聞こえた。
「太郎も重たいか見て、ようお父さん。」
「秀ちゃんも。」
縁の上にいる二人がだんごになってお父さんに飛びついてきた。
「こら、危ない、危ない。」
二人を腰で支えながら、おじさんはしずかに健を草履の上におろした。茶の間でおばあさんの声がした。
「さあさ、みんなご飯じゃぞえ、太郎も、健も、早よおいで。」
「わあい、ごはんじゃ、ごはんじゃ。」
太郎も秀子もそのまま茶の間へとんでいった。
「太郎一等賞っと!」
「秀子も一等賞っと。」
二人が大きな声で叫んでいる。ちゃぶ台の上の食器ががちゃがちゃ音を立てているのが聞こえる。健はおじさんといっしょに縁の右手の入口へまわり、暗い土間へ入っていった。太郎のお母さんが大きな鍋をさげてかまとこから出てきた。
「太郎さんのお母さん、今日は味噌汁炊いたんよ、うまげなかざがするがい。」
「ま、この子のいうこと。」
太郎のお母さんは、茶の間の上り框の鍋すけに鍋を置き、土間の小縁で着物を着かえているおじさんと顔を見あわせて笑った。
「じっさい健は変ったとこがあるぞな、やれ鶏が笑いよったとやら、蟻が走れと言わいでも走ったとやら、たいがいこまかいとこがあるっちゃ。どだい太郎らとちごとる。」
おじさんは呆れたようにいいながら、帯を結び、かまとこをぬけて流し場の方へ手を洗いにいった。健は草履をていねいにぬぎそろえ、小縁を這いあがると上の間をかけぬけて、太郎の横にすわり、
「健、一等賞!」
天井にむかってどなった。太郎が承知しない。肘をよせてせまってきた。
「あ、あ、健一等ちがわい、太郎が一等じゃがい。こら、健のぐずま、健のびりっこ、びりかす、びり等賞よ、馬鹿くそよ!」
「健、ほたって草履ぬぎよったんで。」
健は申しわけなさそうに額に皺をよせていった。ただ、そこへ坐れば一等賞だと思ったのが、ビリ等賞で馬鹿くそなのは、自分がぐずまであったことだと思って、一生けんめいにいいわけをしようとするのだが、言葉までがぐずまになってもどってくるのであった。そうなると太郎はよけいに承知しない。向きなおって健を小突きまわした。
「ええい、健のぐずま、健はいつでもぐずまじゃがい。健の馬鹿くそよ、健はケがつくケン十郎、ケレレンのケレブクロをケッタカ、ケッタカ。蹴ってやる。おどれや。もう健帰にくされ、健はうちの子とちがうがい、健家い帰にくされ。」
健は泣きそうになった。助けを求めてぐるりを見たが、おばあさんは仏壇におひかりをあげに立っていていなかった。太郎はますます開きなおった。
「こら健、帰にくされいいよんのに帰なんかい! もう飯くわさんぞ!」
「ほたって健、帰んでもお母さんがおらんので、ほたらどうすん?」
健は太郎と膝をつき合わせ、一生けんめいであった。
「ええい、帰にくされ、ここは太郎ん家じゃがい、帰にくされ、一人で帰にくされ。」
「ほたら健、誰と寝るん?」
健の声はだんだんふるえてきた。
「一人で寝くされ、一人で寝よったら、化けもんが出てきてとって食うぞ、ほら、早よう帰にくされ。」
太郎がしつこく小突いていると、秀子が尻馬に乗ってきて健のうしろにまわった。