フミエたちの家では、畠といえば裏の空地にやさいを作ることのほか、百姓はしていませんでした。おとうさんが船のりだったからです。おかあさんはずっとせんから、よその仕立ものをしていました。昔から裁縫がすきで、だから上手でもあるらしく、となりの村からまでたのみにきました。中納戸の戸だなの中は、いつも仕立ものが一ぱいで、おかあさんはいつでも仕事におわれていました。フミエたちが夜中に目をさますと、電灯をひくく下げて、せっせと針を動かしているおかあさんを、みないことはないくらいです。けれど、そのおかあさんに久しぶりに赤ちゃんができることになり、だんだんその日が近づくと、もう仕事をやめて家の中をかたづけはじめました。戸だなの中に残っている仕立ものにそれぞれたのまれた人の名札をつけたり、とどけるものはとどけたり、そしてそれを手伝っているフミエに、
「女のお産は命がけと昔からいわれているでしょう。もしものとき、あとに恥をのこさないように。フミエは女だからよくおぼえていらっしゃい。」
あらたまったようなおかあさんの言葉に、フミエはうなずきながら、思わず涙ぐみました。もしもおかあさんにどうかあったらどうしようと思ったからです。しかしおかあさんは平気で、
「そんな心配そうな顔しないでもいいの。案じるより産むがやすい、というくらいだからね、おかあさんはちっとも案じていないのよ。」
それでフミエはやっと安心しました。そのまたあくる日のことでした。夕食のあとおかあさんは、
「どうも今夜のような様子ですから、よろしくおたのみします。」
とおばあさんにいいました。そしてフミエに手伝わせて奥の納戸に床をのべ、部屋の片すみに柳ごうりなどをならべました。こうりの中に生れてくる赤ん坊の着物や、おしめが入っているのを、フミエも洋一もよく知っているので、もううれしくてなりません。洋一はおかあさんのそばへすりよっていって、
「ね、男の子だよ。」
とささやきました。おかあさんはふきだし、そしてすぐまじめな声になり、
「そんなこと、いうものじゃないのよ、どっちが生れても喜んでちょうだい。」
フミエはさすがになんにもいいませんでしたが、でも心の中では妹の方がいいと思いました。男だと洋一は自分だけの弟のようなかおをして、なかなかだかしてはくれまいと思ったからです。やがて産婆さんがみえると、
「さあ、きょうはおばあさんの部屋ですよ。もう八時すぎたでしょう。早くおやすみ。」
おかあさんの言葉に調子を合せて、産婆さんも白いエプロンをきながら、
「あしたの朝おめめがさめると、ちゃんと赤ちゃんがいますからね、たのしみにしておやすみなさい。」
フミエと洋一はねまきをかかえ、めいめいの枕をもっていんきょ所へゆきました。おばあさんはもう先にきて、二人のためにねどこをのべてくれているところでした。そこは六畳と四畳半のはなれで、二メートルほどの長さの廊下一つで、母屋とつながっていました。けれど、その廊下は奥納戸につづいているので、今日はそこを通ることをとめられ、二人は土間におり、柿の木の下を通っていんきょ所へゆきました。廊下の戸をたててあるので母屋の物音は、なんにもきこえません。おばあさんは二人のねどこをさしずし、
「さあ、おとなしくねなされよ。」
そういって電灯にとりつけてあるひもを引くと、部屋の中は急に二燭のうすあかりに変りました。おばあさんの足音がきこえなくなると、二人は暗い灯の下で、小さな声で、生れてくる赤ん坊のことを話しあいました。それはこれまでに何度も二人で話したことばかりです。しかし何べん話してもまるではじめてのような気がしました。まして今夜は、その弟だか妹だかいよいよほんとに生れるというのですから、なかなかおとなしくねむるわけにはゆきません。
「ぼくは、男だと思う。」
「私は女の子よ。」
こんなことを何度もくりかえしたのち、きりをつけるために二人はかけをしてねむることにしました。ふとんをかぶりじっと目をつぶりましたが、目はつぶっていてもひとりでに笑えてきます。がまんがならなくなった洋一は、フミエによびかけます。
「ね、姉ちゃん、もしも男の子だったら、ぼくが勝ったんだから百円くれるね。」
「うんあげる、そのかわり女の子だったら洋ちゃんがくれるんだよ。」
「うん。」
「ゆびきり。」
フミエが小指をさし出すと、洋一も自分の小ゆびをそれにからませました。
ゆびきり かねきり かり山へ とんでゆけ
二人は力いっぱい手をふり、そしていよいよこんどこそはと、ほんとにふとんをひっかぶり、やがて静かな寝いきを立てはじめました。どちらが勝つか、勝ってもまけてもたのしいかけごとです。
いく時間をねむったか、二人が目をさましたのはもういつもよりおそい、六時すぎのことでした。フミエがさきに、ぱっとはねおきますと、そのけはいで目をさました洋一もとびおきました。顔を見合せながら、耳をすますと、母屋の方から赤ん坊の泣声がきこえてきます。二人はわれさきにぞうりをつっかけて母屋の方へ走りました。裏戸があいていて、かまどの下をたいているおばあさんが二人を見、だまって手を横にふりました。さわぐなという意味だと感じて、二人ははっとして立ちどまりました。おばあさんはにこにこして、こんどは、おいでおいでをします。その無言の笑顔は、二人の胸に、静かによろこびをつたえてきました。足音をしのばせるようにして、二人はおばあさんに近づき、その両わきにしゃがみました。
「男の子じゃった。しかも二人。」
それをきくと、フミエも洋一もびっくりしてしまって、すぐには次の言葉が出てきません。そのおどろきの大きさのために、二人は、弟の生れた喜びが、急には心の底からわき上ってこないのでした。
「ふたりって、ふた子のこと?」
フミエが不安そうにきくと、洋一も目をぱちくりさせて、おばあさんの答をまちました。おばあさんはしかし、さも何でもなさそうにいうのです。