山羊はいつも柿の木につながれました。赤ん坊に気をとられて、おろそかにしているうちに、柿の実はいつのまにか大きくなり、そろそろ、青から赤色にうつりかかっています。柿の木の下は、夏は凉しい風がふき、冬はあたたかい日だまりをつくります。フミエたちは小さいときから、年中、この柿の木の下が遊び場でした。家の裏口の方が表通りへ近いので、出かけるにも、かえるにも、たいてい裏口からでした。裏口の戸を開けると、もうそこの屋根びさしの上まで、柿の枝はのびているので、柿の木は家の中がまる見えのわけです。学校へゆくにも、井戸ばたへゆくにも、物置へゆくにも、柿の木の下を通らねばなりません。人のよく通るところへ、柿は植えるものだそうです。根本をよくふまれると柿は丈夫になるということです。柿の木の下をいったりきたり、一家は毎日、柿の木に見守られた日々をおくっているわけです。柿は、おじいさんが子供だった日から、しらがになって、この木の下で倒れた日までのことを、見ていたわけです。だから昔、おばあさんがおよめにきたことも、そしておとうさんや三太郎おばさんが生れたことも、その三太郎おばさんがだんだん大きくなってお嫁にいったことも、フミエたちのおかあさんが、三太郎おじさんの家からおよめにきたことも、そうしてフミエや洋一が次々と生れたことも、みんな見ていたわけです。いつか洋一がだだをこねて、この柿の木にしばりつけられたことも、柿の木はおぼえているでしょう。おとうさんの小さかったころには、村にはまだお菓子やの店がなくて、あまいものといえば、お砂とうだったということです。子どものおとうさんは、黒ざとうをもらうことがたのしみで、その黒ざとうは、柿の葉の上にのせて、もらっていたといいます。柿の葉を、おさとうのはっぱだと、小さいおとうさんはいっていたという話を、いつかきいたことがあります。あの、つるつるとして、きれいに光っている柿の葉は、ほんとうにおさとうをのせるのに、つごうのよい葉っぱです。秋がきて、だんだん柿の葉が落ちてゆくことは、おしくてならなかったけれど、葉が落ちるとおさとうはもらえないかわりに、柿の実はちゃんと赤くなるのは不思議だったと、三太郎おばさんも話したことがありました。
そんな小さい時のおとうさんたちの姿も柿の木は知っているでしょう。柿の木はそれをどこにおぼえているのでしょうか。
「柿の実はなぜ、あーおい。」
「まだしぶいから、あーおい。」
フミエと洋一は柿の木の下で、去年も歌った、ふたりの歌を、くりかえしました。
「柿の実はなぜ、あーかい。」
「甘いから、あーかい。」
「柿の葉はなぜ、あーおい。」
「青いから、あーおい。」
「ちがうよ、まだうれんからだよ。」
「ちがいませんよ、もう赤い実も、あーるよ。」
「そんなら、葉っぱだって、赤いのがあーるよ。」
二人はむちゅうになって柿の木を見上げています。おじいさんの命をちぢめてまで、実をつけさせた柿の木は、しかし二人の目にはなんとなく、いつもとちがったものに見えました。実が小さいのです。木全体の姿も、どことなく、いつもとちがっています。そこへやってきた三太郎おじさんをつかまえて、洋一は心配そうにいいました。
「おじさん、今年の柿、小さいね。」
「ふむ。」
おじさんは一しょに柿の木を見あげていましたが、
「なるほどな。もう年よりだからな。」
といいました。
「いやだな。」
洋一がさもいやそうにいうと、
「いいじゃないか、これはおじいさんの兄弟だったんだから。洋一のもあるんだろ。」
元気づけるように、おじさんはいいました。
「あるにはあるけどもさ、まだ実が五つぐらいしかならないもん。」
「あたり前さ、はじめからたくさんはならんよ。桃栗三年柿八年といってな、何でも約束があるんだよ。この木が年よりになったのも約束さ。人間と同じだ。お前たちが大人になると、小さい柿も大きくなるよ。あ、そうだ、新之助にも一本、くれるか。」
おじさんは思いついたように、洋一に相談しました。
「うん、やるよ、小さい木、三本もあるんだから。」
きょうは新之助が三太郎おじさんのうちにもらわれてゆく日なのでした。ちょうど日曜日なので、そのおわかれのごちそう作りに、三太郎おばさんも朝から手つだいにきていました。新之助をやることは、あまり洋一が反対なので、とりやめていましたが、二人一度の子そだてでおかあさんのからだがだんだんやせてゆくのと、洋一が承知したのとで、急に話がもとにもどったのです。赤ん坊は何にもしらず、柿の木の下でゆりかごの中に向い合って、ねむっています。やがて目をさまして、一人は三太郎おばさんにだかれ、山羊と柿の木を一本おともにつれて、この家を出てゆくことでしょう。
山羊は、ぼくがつれていってやろう――
洋一がそんなことを考えているとき、日出海が目をさまし、急に大声で泣き出しました。すると、いつもの調子で新之助も一しょに目をさまし、大きな口をあけて、手足をばたばたさせながら泣きさけびました。
「ああ、おっぱい、いまもってくるからね。」
フミエが家の中へ走りこみました。
柿の木は、こういう風景を、にこにこ笑いながら見おろしているようです。柿の木にとっては、この下でかわされる子供たちの話や、歌声や、ときどきはむずかって泣きやまぬ赤ん坊の泣声や、道ばたまでとどく、長い繩でつながれた山羊が、草をたべている姿など、毎日見ても、見あきない風景でありましょう。そして、あまりの面白さに、人間にはわからぬ柿の木の声で、はっ、はっと笑い出すと、そのはずみに柿の葉が散るのかもしれません。さやさやと、かすかな音がしたと思うと、赤くもみじした柿の葉が二三枚、はらりと散ってきました。まだみんな青いのに、その葉はすっかり色づいています。赤や、青や、黄や、いろんな色がまじっている、美しい柿のもみじです。洋一は柿の木を見あげ、それから赤ん坊たちの方へ、からだごとうなずきかけながら、
「柿の実は、なぜ、あーかい。」
とあやしました。フミエにお乳をもらって、まんぷくの赤ん坊はごきげんで、からだじゅうをゆさぶってよろこびます。
「あかいから、あーかい。」
フミエがそれに答えると、また、きゃっ、きゃっと笑いました。柿の葉はまた二三枚、ちらちらと舞いおりてきました。それはほんとに赤ん坊の笑いにさそわれて、笑っているかのようでした。