← Library‹ 狐 六

お父ちちさんが樽屋たるやさんの組合くみあいへいつて、今晩こんばんはまだ帰かえらないので、文六ぶんろくちゃんとお母ははさんはさきに寝やすむことになりました。

文六ぶんろくちゃんは初等しょとう科か三さん年ねん生せいなのにまだお母ははさんといっしょに寝ねるのです。ひとり子ごですからしかたないのです。

「さあ、お祭まつりの話はなしを、母ははちゃんにきかしておくれ」

とお母ははさんは、文六ぶんろくちゃんのねまきのえりを合あわせてやりながらいいました。

文六ぶんろくちゃんは、学校がっこうから帰かえれば学校がっこうのことを、町まちにゆけば町まちのことを、映画えいがを見みてくれば映画えいがのことをお母ははさんにきかれるのです。文六ぶんろくちゃんは話はなしが下手へたですから、ちぎれちぎれに話はなしをします。それでもお母ははさんは、とても面白おもしろがって、よろこんで文六ぶんろくちゃんの話はなしをきいてくれるのでした。

「神子みこさんね、あれよく見みたら、お多福たふく湯ゆのトネ子こだったよ」

と文六ぶんろくちゃんは話はなしました。

お母ははさんは、そうかい、といって、面白おもしろそうに笑わらって、

「それから、もう誰だれが出でたかわからなかったかい」

とききました。

文六ぶんろくちゃんはおもいだそうとするように、眼めを大おおきく見みひらいて、じっとしていましたが、やがて、祭まつりの話はなしはやめて、こんなことをいいだしました。

「母ははちゃん、夜よる、新あたらしい下駄げたおろすと、狐きつねにつかれる?」

お母ははさんは、文六ぶんろくちゃんが何なんをいい出だしたかと思おもって、しばらく、あっけにとられて文六ぶんろくちゃんの顔かおを見みていましたが、今晩こんばん、文六ぶんろくちゃんの身みの上うえに、おおよそどんなことが起おこったか、けんとうがつきました。

「誰だれがそんなことをいった?」

文六ぶんろくちゃんはむきになって、じぶんのさきの問といをくりかえしました。

「ほんと?」

「嘘うそだよ、そんなこと。昔むかしの人ひとがそんなことをいっただけだよ」

「嘘うそだね?」

「嘘うそだとも」

「きっとだね」

「きっと」

しばらく文六ぶんろくちゃんは黙だまっていました。黙だまっている間あいだに、大おおきい眼玉めだまが二に度どぐるりぐるりとまわりました。それからいいました。

「もし、ほんとだったらどうする?」

「どうするって、何なんを?」

とお母ははさんがききかえしました。

「もし、僕ぼくが、ほんとに狐きつねになっちゃったらどうする?」

お母ははさんは、しんからおかしいように笑わらいだしました。

「ね、ね、ね」

と文六ぶんろくちゃんは、ちょっとてれくさいような顔かおをして、お母ははさんの胸むねを両手りょうてでぐんぐん押おしました。

「そうさね」と、お母ははさんはちょっと考かんがえていてからいいました。「そしたら、もう、家いえにおくわけにゃいかないね」

文六ぶんろくちゃんは、それをきくと、さびしい顔かおつきをしました。

「そしたら、どこへゆく?」

「鴉根山からすねやまの方ほうにゆけば、今いまでも狐きつねがいるそうだから、そっちへゆくさ」

「母ははちゃんや父ちちちゃんはどうする?」

するとお母ははさんは、大人おとなが子供こどもをからかうときにするように、たいへんまじめな顔かおで、しかつべらしく、

「父ちちちゃんと母ははちゃんは相談そうだんをしてね、かあいい文六ぶんろくが、狐きつねになってしまったから、わしたちもこの世よに何なんのたのしみもなくなってしまったで、人間にんげんをやめて、狐きつねになることにきめますよ」

「父ちちちゃんも母ははちゃんも狐きつねになる?」

「そう、二人ふたりで、明日あしたの晩ばんげに下駄げた屋やさんから新あたらしい下駄げたを買かって来きて、いっしょに狐きつねになるね。そうして、文六ぶんろくちゃんの狐きつねをつれて鴉からす根ねの方ほうへゆきましょう」

文六ぶんろくちゃんは大おおきい眼めをかがやかせて、

「鴉からす根ねって、西にしの方ほう?」

「成岩なるわから西南せいなんの方ほうの山やまだよ」

「深ふかい山やま?」

「松まつの木きが生はえているところだよ」

「猟師りょうしはいない?」

「猟師りょうしって鉄砲てっぽう打うちのことかい? 山やまの中なかだからいるかも知しれんね」

「猟師りょうしが撃うちに来きたら、母ははちゃんどうしよう?」

「深ふかい洞穴ほらあなの中なかにはいって三さん人にんで小ちいさくなっていれば見みつからないよ」

「でも、雪ゆきが降ふると餌えさがなくなるでしょう。餌えさを拾ひろいに出でたとき猟師りょうしの犬いぬに見みつかったらどうしよう」

「そしたら、いっしょうけんめい走はしって逃にげましょう」

「でも、父ちちちゃんや母ははちゃんは速はやいでいいけど、僕ぼくは子供こどもの狐きつねだもん、おくれてしまうもん」

「父ちちちゃんと母ははちゃんが両方りょうほうから手てをひっぱってあげるよ」

「そんなことをしてるうちに、犬いぬがすぐうしろに来きたら?」

お母ははさんはちょっと黙だまっていました。それから、ゆっくりいいました。もうしんからまじめな声こえでした。

「そしたら、母ははちゃんは、びっこをひいてゆっくりいきましょう」

「どうして?」

「犬いぬは母ははちゃんに噛かみつくでしょう、そのうちに猟師りょうしが来きて、母ははちゃんをしばってゆくでしょう。その間あいだに、坊ぼうやとお父ちちちゃんは逃にげてしまうのだよ」

文六ぶんろくちゃんはびっくりしてお母ははさんの顔かおをまじまじと見みました。

「いやだよ、母ははちゃん、そんなこと。そいじゃ、母ははちゃんがなしになってしまうじゃないか」

「でも、そうするよりしようがないよ、母ははちゃんはびっこをひきひきゆっくりゆくよ」

「いやだったら、母ははちゃん。母ははちゃんがなくなるじゃないか」

「でもそうするよりしようがないよ、母ははちゃんは、びっこをひきひきゆっくりゆっくり……」

「いやだったら、いやだったら、いやだったら!」

文六ぶんろくちゃんはわめきたてながら、お母ははさんの胸むねにしがみつきました。涙なみだがどっと流ながれて来きました。

お母ははさんも、ねまきのそででこっそり眼めのふちをふきました、そして文六ぶんろくちゃんがはねとばした、小ちいさい枕まくらを拾ひろって、あたまの下したにあてがってやりました。

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