← Library‹ 7月7日 七夕

いつもは少すこし寂さびしい感かんじがする商店しょうてん街がいですが、今日きょうはずいぶんとにぎやかです。

アーケードはいろいろな飾かざりで飾かざられて、いくつかのお店みせの前まえには笹ささが立たてられています。笹ささの枝えだには赤あかや黄色きいろ、青あおなどいろいろな色いろの短冊たんざくが糸いとでつるされています。そう、今日きょうは7月がつ7日か、七夕たなばたの日ひです。星ほしのお祭まつりです。一いち年ねんに一いち度ど、天あまの川がわの両側りょうがわに離はなされた織姫おりひめという女性じょせいと彦星ひこぼしという男性だんせいが会あえる日ひです。私わたしたちは、この二人ふたりの幸しあわせな再会さいかいを祝いわいながら、自分じぶんたちの叶かなえたい願ねがい事ごとを紙かみに書かいて、笹ささの枝えだにつるします。この商店しょうてん街がいでは、訪おとずれた買かい物もの客きゃくが自由じゆうに願ねがい事ごとを書かいて、笹ささの枝えだにつるすことができるように、テーブルを用意よういして、その上うえに短冊たんざくとペンが置おかれています。今いま、そのテーブルの前まえに一人ひとりの男おとこの人ひとが立たっています。会社かいしゃ帰かえりのサラリーマンのようです。

◆◇◇◆◇◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆

珍めずらしく仕事しごとが早はやく終おわったタカシは、自宅じたく近ちかくの商店しょうてん街がいを歩あるいていた。

うちに帰かえって料理りょうりするのはめんどくさい。ここで軽かるく晩御飯ばんごはんでも食たべていこうか。

そんなことを考かんがえながら、ふと周まわりを見回みまわしたとき、初はじめて今日きょうは七夕たなばたかと気きがついた。

「七夕たなばたかあ、なつかしいなあ。そういえば、最後さいごに七夕たなばたの飾かざり付つけを見みたのはいつだろう。ずいぶん前まえだったかもしれない。少すくなくとも、社会人しゃかいじんになってからは一回いっかいも見みた記憶きおくがないな」

タカシが社会人しゃかいじんになってもう3年ねんがたつ。1年ねん目めは仕事しごとに慣なれるのに必死ひっし。2年ねん目めは仕事しごとの量りょうが増ふえて、3年ねん目めになると後輩こうはいの面倒めんどうまで見みることになった。この目めまぐるしい3年ねんの間あいだ、タカシが定時ていじの午後ごご6時じまでに仕事しごとを終おえた日ひは一日いちにちもなかった。

「俺おれが最後さいごにした願ねがい事ごとってなんだっただろう。思おもい出だせないな。バスケットボールがうまくなりますように、だったかな。それとも、大学だいがくに合格ごうかくできますように、だったかな。俺おれがしたいこと、なんだったっけ」

目めの前まえにはテーブル。テーブルの前まえには短冊たんざくとペン。願ねがい事ごとを書かいて、笹ささの枝えだにつるせってことか。おもしろそうだな。俺おれも書かいてみよう。ええと、何なにを書かこうかな。願ねがい事ごと、願ねがい事ごと。俺おれの今いまの願ねがい事ごと。俺おれが今いましたいこと、叶かなえたいこと。手てに持もったペンをくるくるとまわしながら、タカシは考かんがえる。

◆◇◇◆◇◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆

その会社かいしゃ帰かえりのサラリーマンはテーブルの前まえでずいぶん考かんがえこんでいるようです。願ねがい事ごとを書かくのは、そんなに難むずかしいことなのでしょうか。

今日きょうの商店しょうてん街がいはいつもより人ひとが多おおく、にぎやかです。通とおりには多おおくの人ひとが歩あるいています。その中なかの一人ひとりが、テーブルの前まえで立たち止どまりました。右手みぎてに買かい物もの袋ふくろを持もって、左ひだりの肩かたにはショルダーバッグを下さげています。スーツを着きた、会社かいしゃ帰かえりの女おんなの人ひとです。

◆◇◇◆◇◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆

今日きょうは絶対ぜったいにビールを飲のむぞ、とカナコは心こころの中なかで強つよく思おもった。だって、この一いち週間しゅうかん、わたし頑張がんばったもん。同僚どうりょうが二人ふたりも病気びょうきで休やすんじゃったから、もうずっと残業ざんぎょう。死しぬかと思おもったわ。でも、それも今日きょうで終おわり。同僚どうりょうも今日きょうから出勤しゅっきんしてくれたから、明日あしたからは普通ふつうに働はたらける。やっと残業ざんぎょうから解放かいほうされるんだ、やった!

カナコは少すこしウキウキした気分きぶんでビールとつまみになりそうな食たべ物ものをスーパーで買かった。いつものように商店しょうてん街がいを抜ぬけて、住すんでいるアパートに帰かえる途中とちゅうだった。気きが付つくと七夕たなばたの飾かざりつけ。スマホの日付ひづけを見みてはじめて、今日きょうが7月がつ7日かだったことに気きがついた。

「そっかー、もう7月がつなのね。時間じかんがたつのははやいなあ。桜さくらが散ちったかと思おもったらもう7月がつなんだもん。でも、七夕たなばたって、なんか懐なつかしい。小ちいさいころ、お父とうさんとお母かあさんと一緒いっしょに七夕たなばたのお祭まつりに行いったなー。あのときは浴衣ゆかたを着きせてもらって、外そとに出でるだけで、なんだかうれしかったな。両親りょうしんと手てをつないで帰かえった夜道よみち。いつもと同おなじ道みちなのにぜんぜん違ちがうところに見みえた。ちょっと怖こわかったけど、お父とうさんとお母かあさんが手てをつないでくれたら、なんだか安心あんしんできたな」

七夕たなばたの飾かざりを見上みあげながら、カナコは懐なつかしい気持きもちで胸むねがいっぱいになった。

「私わたしが最後さいごにした願ねがい事ごとってなんだっただろう。思おもい出だせないな。習字しゅうじがうまくなりますように、だったかな。それとも、外国がいこくに行いけますように、だったかな。私わたしがしたいこと、なんだったっけ」

目めの前まえにはテーブル。テーブルの前まえには短冊たんざくとペン。願ねがい事ごとを書かいて、笹ささの枝えだにつるせってことか。おもしろそうだな。私わたしも書かいてみよう。ええと、何なにを書かこうかな。願ねがい事ごと、願ねがい事ごと。私わたしの今いまの願ねがい事ごと。私わたしが今いましたいこと、叶かなえたいこと。手てに持もったペンをくるくるとまわしながら、カナコは考かんがえる。

◆◇◇◆◇◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆

テーブルの両端りょうたんにそれぞれ、男おとこの人ひとと女おんなの人ひとが、ペンを片手かたてに持もって悩なやんでいます。願ねがい事ごとを書かくのはそんなに難むずかしいことなのでしょうか。

男おとこの人ひとが女おんなの人ひとをチラッと見みました。女おんなの人ひとも男おとこの人ひとをチラッと見みました。目めが合あった二人ふたりは、気きまずそうに目めを伏ふせます。最初さいしょに声こえをかけたのは女おんなの人ひとでした。

「なんか、この年としになると、願ねがい事ごとって簡単かんたんに出でてきませんね。」

男おとこの人ひとはちょっと戸惑とまどいながらもあわてて答こたえます。

「あ、そうですね。俺おれもずっと考かんがえているんですけど、なかなか思おもいつかなくて。」

「私わたしもそうです! 小ちいさいころはもっといろんな願ねがい事ごとが簡単かんたんに出でてきたと思おもうんですけど。これって、年としのせいかな?」

女おんなの人ひとは軽かるく笑わらいました。男おとこの人ひとも笑わらいました。

「なんか、七夕たなばたって懐なつかしいですよね。よく祭まつりに行いったな、子こどものころ」

「そうそう、私わたしは毎年まいとしお母かあさんに浴衣ゆかたを着きせてもらったんです。かわいかったんですよ、そのころは」

「いや、今いまだって・・・」

なぜだか、男おとこの人ひとの顔かおが赤あかくなりました。女おんなの人ひとも恥はずかしそうです。

その日ひ、二人ふたりがどんな願ねがい事ごとを書かいたのか、わかりません。でも、その時ときの二人ふたりが全然ぜんぜん思おもいつかなかった願ねがい事ごとは、どうやらその後あと叶かなったようです。

Click a word · hold for the whole sentence 0%