『鯨が泳ぐ』
あの大きなバニアンの樹が、太陽の光をさえぎる。影が出来る。ほぼ円形だ。周囲は何メートルあるだろう。その円形の樹影のなかを、ぼくはいつも直径的に横切ることにしている。直径的にとは、つまり、樹影のなかを直線で、したがってもっとも長く歩いて横切る、ということだ。
樹影のなかは、地面も空気も、夏のどんなに暑いときでも、ひんやりとしている。どしゃ降りの雨の日は、どんなだろう。頭上におおいかぶさるようにして広がっている何本もの枝は、ラハイナの強い陽ざしを完全にさえぎってくれる。ぼくが歩いていく正面に、樹影を出たむこうの風景が見える。くっきりと陽に照らされたその風景は、地面と平行に細長く横たわっている。
ラハイナの港に出るときには、ぼくはいつもこのバニアンの樹の下を歩く。いつのまにか、くせになってしまった。くせは、いくつもある。たとえば、第二次大戦で戦死した、ラハイナ出身の日系青年たちの名前を刻んだ記念碑のまえに立ち、刻んである名前をひとつずつ読んでいくとか。
港の陽ざしは、きわめて明るく強い。係留してあるカーセジーニアン二世号が、ふと、ほんの一瞬、その透明にきらめく陽ざしのなかに溶解してしまいそうだ。
この船のなかにある鯨の博物館で、鯨に関する映画をはじめて観たときのことを、ぼくは思い出す。ラハイナのすぐ近くの海を堂々と泳いでいく鯨、ハンプバックの姿がスクリーンに登場したシーンを思い出すと、そのシーンは、双眼鏡をとおして現実のハンプバックを自分の目で見たときのシーンに、重なっていく。
四月のはじめ、午後のすこし遅い時間、高い丘の上にあがり、ぼくは双眼鏡で沖の海を観察した。この時間の海は、波が乱れている。しかし、岸のすぐ近くをとおる鯨がいるから、慣れてくれば鯨は肉眼でもみつけることが出来る。
双眼鏡の丸い視界のなかに、ぼくは一頭の鯨をとらえた。焦点が合ったその瞬間、鯨はその頭にあるブローホールから、高く潮を吹きあげた。空にむかって垂直にのびあがっていく、白く細い一本の潮の高さは、二十フィートもあっただろうか。
感動の瞬間、と言ってしまうとそのとたんに陳腐になるが、鯨が吹きあげる潮をはじめて見たときは、感激した。二十フィートもの高さに潮を吹くのは、大人のハンプバックだ。全長五十フィート。鯨としては小さいほうだ。体重は三十トン。
十一月から四月にかけて、鯨がハワイにやってくる。アラスカの海が冬になると、彼らは温かいハワイまで下って来る。そして、そこで子供を産む。ぼくがはじめて見たハンプバックは、北の海へ帰っていくときの彼らのうちの一頭だった。子供のハンプバックも見た。子供が吹きあげる潮は、見るからに小さく、可愛い。
モロカイやラナイからでも鯨を見ることが出来るし、ハワイ島のカワイハエ湾あたりからも、鯨のスポッティングは可能だ。
マウイがいちばんいい。西側なら、カアナパリからマアラエアにかけて、そして東側ならマアラエアからさらにマケナあたりまで、鯨を見るために有利な場所はいくらでもある。マクレガー・ポイントの展望台は、よく知られている。鯨のシーズンではないときでも、アメリカ本土からの観光客たちが、双眼鏡で沖の海を見ている。
鯨の泳ぎかたは、すさまじく優雅だ。あの巨体が、水面のすぐ下に浮きつかくれつ、なににもさまたげられることなく、完璧に自由に、流麗に泳ぐ。
体ぜんたいを空中に高くほうりなげ、あおむけに、あるいは横だおしに、海面に落下してきて巨大な爆発のような飛沫をあげるところを、カーセジーニアン二世号の博物館で、ぼくは映画で観た。