この一帯の海岸ほどに財産価値の高い海岸は、世界じゅうをさがしても、そうざらにはない。その貴重なビーチのなかの、さらに一等地に、そのプールはこしらえてある。
海と平行に、縦の長さは一〇〇メートルある。横幅は、三十五メートルだ。その三十五メートルの横幅の中央に立ち、一〇〇メートル・プールのぜんたいを見渡すと、ゆったりとした気持ちになる。そのプールは、プールとしては大きい。
プールの左側、そのすぐ外には、海が広がっている。太平洋だ。プールの縁に立ち、海に目をむけ、太平洋ぜんたいの地図を頭のなかに描き出すと、いまの自分がどのような位置にいるのか、やがてはっきりと認識出来てくる。
太平洋のなかの、この島の位置は、とてつもない。あらゆる陸地から自らを完全に切り離すために、なんらためらうことなく選んだ位置が、きっとここだったのだろう。すさまじく広い海のまっただなかに、かろうじて頭を出している海底火山の小さな島の縁に海岸があり、その海岸の縁に、このプールがある。
夕陽の時間が、ほぼ終わったところだ。太陽は、すでに沈んでいる。太陽が沈んだ地点から西の空にむけて立ちあがり広がっている残光も、いまではほんのわずかだ。プールの縁にしゃがんで視線を低くすると、ワイキキに増殖をつづけるコンクリートの高層建築群の、いまはひとつにつながったシルエットとしてのスカイラインが、プールのよどんだ水に映る。
海の、途方もない広がりの彼方から、夕方の風がおだやかに吹いてくる。ふりかえると、ダイアモンド・ヘッドがすでにシルエットだ。そして正面には、ワイキキの海をへだてて、ワイキキのコンクリート・スカイライン。そのシルエットのなかに、無数と言っていい数の明かりが、おたがいに重なりあうようにして、その鮮やかさを深めつつある。
プールの右側には、プールの全長に沿って、石でつくったおだやかな傾斜の階段が十三段ある。これは、観客席だ。そしてその観客席のうしろに、アーチのある壁が立っている。中央にひとつ大きくアーチがあり、それをはさんで両わきに、小さなアーチがひとつずつある。
アーチのむこう側に立ち、アーチごしに夕陽を見ると、なかなかいい。アーチの上には、石から彫り出したイーグルがいる。首がなかったり、主翼の端が欠けていたりする。アーチのある壁ぜんたいも、そして階段のような観客席も、クラシックな雰囲気が漂うようにつくってある。クラシックなもののみが持ち得る、おおらかな感触を、そのプールぜんたいは、いまでも持っている。
プールもアーチもそして観客席も、第一次世界大戦でヨーロッパへおもむきそこで戦死した、ハワイ出身の兵士たちのためのメモリアルだ。完成して一般に披露されたのは、一九二九年八月二十四日のことだった。
無料のパブリック・プールとして、地元の子供たちの絶好の遊び場であったこのプールは、一九五〇年代にはまだ健在だった。
いまはすでにないが、当時はプールの縁に飛び込み台があった。台は四つあり、いちばん低いのは十フィートだった。そして、二十フィート、三十フィートと、順に高くなっていき、四番めの台は四十フィートを越えていた。
十フィートの台からは、プールのなかにむけて滑り台があった。頂上にあるレヴァーを押すと、鉄の滑り台の滑りをよくするために、水が出てくるしかけになっていた。プールの水は海水だったが、レヴァーによって出てくるこの水は、真水だった。このプールのことを思い出すたびに、滑り台の感触がよみがえる。
いまは、『危険につき立ち入り禁止』の標識があり、水は汚れてよどみ、観客席にはごみが散乱している。
このメモリアルが完成披露された日に、まず最初にプールに飛び込み、一〇〇メートルを鮮やかに泳いでみせたのは、デューク・カハナモクだった。彼とおなじくオリンピックのチャンピオン・スイマーであり、最高のターザン役者として知られていたジョニー・ワイズミュラが、デュークの次に泳いだ。