ぼくはアパートメントに帰った。このアパートメントには、正面の玄関を入ったところに、小さな事務室がある。外と内側との、ふたつに分かれている。外には、壁を背にして三メートルほどの幅でカウンターがあり、そのカウンターのなかで、このアパートの管理人である、中年の白人男性が、いつもなにかやっている。椅子にすわっている彼のうしろの壁には、部屋ごとに小さく仕切った棚があり、それぞれの部屋宛ての郵便物その他が、仕分けして入れてある。
その棚のある壁の端にドアがあり、このドアは、ぼくが見るときはいつも半開きだ。ドアのなかはせまい部屋になっていて、そのスペースは、デスクや椅子、そしていくつかの棚で、ほぼいっぱいだ。
おだやかな好人物の管理人は、笑顔でぼくを迎えてくれた。椅子から立ちあがり、うしろの壁をふりかえり、ぼくの部屋の番号のついた棚のボックスから、手紙を一通とメッセージ用の淡いピンクの紙を二枚、彼は取り出した。そして、なにか大変なことのような手つきで、それをぼくに渡してくれた。
手紙は、東京にいるぼくの女性エディターからのものだった。ストーリーがうまく書けているかどうかに関する、優しい問い合わせの手紙にちがいない。メッセージは、一枚はフレッド・バーソロミューから、そしてもう一枚は、彼がいずれぼくに紹介すると言っていた日本人の写真家からのものだった。
ぼくは、エディターからの手紙の封筒のおもてを、管理人に見せた。彼はそれをじっと見た。そして、やがて、大きくうなずいた。
「きれいだよ」
と、彼は言った。
「完璧だね。封筒の大きさや縦と横のバランスが、まず素晴らしい。ヨーロッパ製の封筒だよ、きっと。差し出し人の名前と住所をタイプした部分と、宛名の部分との対比も、美しい。よく身についているタイプのしかただね。それから、切手がいい。封筒の色に、よく調和している。切手によって占められているスペースも、封筒ぜんたいのスペースに対して、よく比率がとれている。じつに美しい封書だ。手にとったときの感触も、素晴らしいものだった」
心から対象に感心している人の喋りかたで、彼はぼくに以上のように言った。
東京にいる女性エディターからの手紙だと、ぼくは彼に言った。
「原稿が書けているかどうか、さぐりを入れるための手紙なのさ。返事を書くにあたっては、原稿のことに触れざるを得ない」
「ストーリーは、書けているのかい」
と、彼はきいた。
「書くべきストーリーのぜんたいが、ようやくアイディアとして出来たところだよ」
「いつも出かけていることが多いから、まだ書いてはいないのだなとは、ぼくも思っていたんだ」
「あと二、三日したら、書きはじめるよ」
「部屋にいることが多くなるね」
「そうだと思う」
「エディターは、手紙で催促するだけかい」
「東京なら東京という、おなじ場所にいれば、頻繁に会うことも出来るけれど」
「彼女もこの島に来ればいいじゃないか。そして、彼女は彼女で、この島で仕事をすればいいんだ」
「手紙にそう書いておくよ。そして、封筒の出来ばえを絶賛している人がいるということも、つけ加えておこう」
「ぜひともそうしてくれ」
彼はにこにこと笑ってそう言い、大きな体を椅子に降ろした。
バーソロミューからのメッセージは、夕方からずっと自宅にいる、ということだけだった。日本人の写真家からのものは、明日の朝十時に自分は下記の場所の下記の電話番号のところにいるから、都合がつけば、そして気がむけば、電話をしてもらえるとありがたい、というメッセージだった。
部屋に戻ったぼくは、居間の中央にあるライティング・デスクに両足をあげてディレクターズ・チェアにすわり、パトリシア・リヴィングストンの小説を読みはじめた。
読みはじめてすぐに夢中になり、ふと気づくと、ハンナとの夕食のために出かけなくてはいけない時間になっていた。シャワーと着替えをすませ、ぼくは部屋を出た。一階のフロント・デスクの電話を借りて、ぼくはバーソロミューに電話をかけた。
彼は、自宅に帰っていた。
「ぜひともきみに伝えたい、たいへんに興味深い話があるんだ」
と、電話のむこうで彼は言った。
「ぼくにも、ぜひともきみに伝えたい、面白い話があるんだ」
と、ぼくは言った。
「きみから先に、話してくれ」
「パトリシアの本を、今日、ぼくは買ったよ。去年、ハード・カヴァーで出て、今年の春に、ペーパー・バックになったんだ」
「ぼくは、今日、パトリシアから手紙をもらったよ」
と、バーソロミューが言った。
「彼女は、もっとも最近は、バリ島に一年、住んでいたのだって」
「きみが知っているのは、そこまでかい」
と、彼は言った。
「バリ島以前のことなら、本にのっている著者の紹介文のなかに書いてある」
「バリ島以後は?」
「バリ島までだね」
「バリのあと、彼女は京都にいたのだって」
と、バーソロミューは言った。
「この島へ戻って来ると、彼女は手紙のなかに書いているんだ。到着する日を、彼女は書いている。来週だよ。彼女ときみとは、ふたりともストーリー・ライターだから、ぜひ会うといい」
「楽しみにしている。彼女の本は、面白いよ」
「小説かい」
「そうだね。さっきまで、夢中になって読んでいたんだ」
「きみが夢中になれるということが、ぼくにはうれしい。彼女の書いたものが、すくなくとも一定の基準をクリアしているということが、それによってわかるから」
「明日、きみが言っていた日本人の写真家に会えそうだよ」
「彼はぼくにも電話してきたよ。きみに電話すると言っていた。番号は、ぼくが教えておいたから」
「明日、ぼくは彼と会う」
「それはいい。君のストーリーは、どうなったんだ」
「二、三日したら、書きはじめる。基本的なアイディアは、すべて出来たんだ」
「こんど会ったら、聞かせてくれ」
「双子の美人姉妹が、ひとりの男性を愛する物語だよ」
「へえ」
と、彼は言った。呆れている気持ちがはっきりと出ている言いかただった。
「ぼくがいま読んでいるパトリシアの小説を、きみもぜひ読むといい」
「明日、図書館へいってみる」
と、バーソロミューはこたえた。そして、
「きみは京都に、住んだことはあるのかい」
と、ぼくにきいた。
「六か月ほどなら、いたことがある。住んだ、とは言いがたいがね」
「なるほど」
「近いうち、また会おう」
「そうしよう」
ぼくたちの電話は、そこで終わった。