彼の名は、佐々木誠というのだった。誠を英語ふうに省略して言うと、マックがもっとも簡単だ。だから彼は、マックなのだ。
ぼくが約束の時間にその店へいくと、彼はすでに来ていた。一方の壁ぎわの、ブースになったテーブル席で、トマト・サラダを食べながら、彼はビールを飲んでいた。
テーブルをはさんでさしむかいにすわったぼくに、彼は、トマト・サラダを指さしてみせた。
「ここのトマト・サラダは、いけますよ。ぼくが知っている限りでは、トマト・サラダはここが一番です」
彼が指さすトマト・サラダは、おいしそうに見えた。
奥の調理場につながるドアのところに立ち、調理場のなかにいる人と話をしていた日系の女性を、彼は呼んだ。ふりかえった彼女に、トマト・サラダとビールを二本、彼は注文した。二年まえに、ぼくはこの店によく来ていた。そのときすでに、彼女は、ここのウェイトレスのひとりとして、働いていた。
「バーソロミューから聞きましたよ。この島で小説を書いているのですって?」
マックが、ぼくにきいた。
「これから書くんです。ようやく、アイディアが出来たとこです」
「どんな話ですか」
彼の質問に、ぼくは微笑した。
「この島で、写真を撮っているのですって?」
ぼくが、きいた。
「そうですよ」
「どんな写真ですか」
ぼくの質問にうなずいた彼は、ベンチ・シートのかたわらに置いてあった茶色の大きな封筒を、取りあげた。ふたつのクラスプを開き、なかからカラー・ポジティヴのファイルを出した。ペーパー・マウントしたカラー・ポジティヴが、ファイル一枚ごとに二十点ずつ、おさめてあった。透明なプラスティックのファイルを、彼はぼくに差し出した。
「たとえば、こういう写真を撮っています」
ファイルを受けとったぼくは、そのうちの一枚を、店の外の明るい陽ざしにかざした。ひとつひとつのポケットにおさめてあるカラー・ポジティヴを、ぼくは見た。
店の奥に背をむけているぼくは、店の入口を正面に見る位置にすわっていた。入口にドアはなく、ほんのりと暗い店内から見ると、外は晴天の日の午後一時の、強い明るさだった。
カラー・ポジティヴは、七十点あった。そのすべてが、波乗りを主題にした写真だった。波乗りは、写真の被写体として、きわめて適している。そのことを充分に心得たうえで、彼は、海とサーファーの美しい動きを、深みのある統一感をたたえた画面のなかに、個性豊かにとらえていた。どのショットも完成度は高く、静かな緊張感が、ひとこまごとに張りつめていた。
七十点のカラー・ポジティヴを見終わって、それをぼくは彼にかえした。
「いいですね。たいへん気にいりました」
「ありがとう」
片手でビールを飲みながら、もう一方の手で彼はファイルを受けとり、シートの上に置いた。
「バーソロミューの話によると、古き佳き時代のこの島の面影を、まるで落穂ひろいみたいに捜しては撮影しているということでしたよ」
ぼくが言った。彼は、うなずいた。
「そういう写真も、撮ります。これから、ゆっくり、昼食にしましょう。そして、昼食が終わったら、ふたりですこしダウン・タウンを歩いてみませんか」
「いいですよ」
「この島を、いつ頃から知っているのですか」
トマトをほおばりながら、彼はぼくにきいた。
「いちばん最初にぼくがこの島に来たのは、一九五四年です」
ぼくの言葉に、彼は目を閉じた。口のなかのトマトを噛むのをやめ、じっとなにかを考えた。やがて目を開き、静かにトマトを飲み下した。
「ぼくは、人の体験や能力を、うらやましく思ったりすることがほとんどないのだけど、一九五四年からこの島を知っているということに関しては、明らかに嫉妬に似た気持ちを自覚するよ」
と、彼は言った。
ウェイトレスがトマト・サラダとビールとを、ぼくたちのテーブルに持ってきた。奥の壁にかけてある黒板に、今日のメニューが白いチョークでいっぱいに書いてあった。そのなかから選んで、ぼくたちは昼食を注文した。
注文をとるための小さなパッドに、左手に持ったボールポイントで書きこみながら、彼女はぼくを見た。
「よく見た顔かしら」
と、彼女は言った。
「二年まえに、ぼくはこの店によく来ていました」
と、ぼくは答えた。
「思い出したわ。あのときは謎を追ってたのよね」
「そうです」
「あの謎は、どうなったの?」
「ほぼ追いつめました」
「解決したの?」
「解決ではないですね。でも、その謎をめぐってひとつのストーリーを書くために必要な、細かなバックグラウンドは、充分に手に入れました」
「よかったわ。ストーリーは、もう書いたの?」
「まだです。もうじき、書きます」
「英語で?」
「ひょっとしたら」
「出来たら、読ませて」
そのひと言とともに、彼女は、突然、にこっと微笑した。強いまっすぐな性格がそのまま出ている、はっきりとした顔立ちのなかに、その微笑は、人の良い屈託のなさをも、すくなくとも微笑が続いているあいだは、見せてくれた。
彼女が調理場へ入ってから、佐々木は、
「謎とは、なんですか」
と、きいた。
「アロハ・シャツの謎です」
「ふむ」
「アロハ・シャツというもの、そしてアロハ・シャツという名称が、いつ、どんなふうにして生まれてきたのか、その謎をぼくは二年まえに追究していたのです」
「解決したのですか」
「はっきりつきとめることは出来ないのですけれど、ストーリーを書くための材料としては、充分に追いつめました」
「いまは、そのストーリーを書いているのですか」
「いまは、別の話です」
「なんの話ですか」
「美人の話です」
「ふむ」
「ふたりの美人です」
「ふむ」
「双子なのです」
「姉妹ですね」
「そうです」
「そのふたりだけの話ですか」
「男性がひとり、関係します」
「三角関係になるわけだ」
「そうですね」
「トライアングルだ」
彼がいま使った、トライアングルという言葉をきっかけにして、ぼくは、アアラ・トライアングル・パークのことを思い出した。アアラ三角小公園だ。
この小さな公園は、いまぼくたちがいる宮島という食堂からベレタニア・ストリートをへだてたむかい側にある。北ベレタニア・ストリートと北キング・ストリートとが合流する地点が、その小さな三角形の頂点であり、底辺はヌアヌ川だ。
この公園は、いまでは、いかにも公園のように造りましたという印象の強い、したがってつまらない場所になっているが、そうなる以前は、モンキー・ポッドの樹に縁どりされた、芝生の生えたただの空き地のようなところだった。木製のがっしりとしたベンチが、まるで置き忘れたかのように、いくつか置いてあった。一九五四年、夏の日の夕方の、そのベンチのすわり心地を、ぼくは久しぶりに思い出した。