青年たちがカヌーに乗ってでかけていった島は、もちろん、この島だ。そして、大波が出来る湾は、いまもこの島にある。
同人雑誌にのっていたこの物語を面白く読んだぼくは、今日はこれからタイプライターを買おうと思い、公園を出ていった。ショッピング・センターのバス・ターミナルまで歩いていき、バスに乗った。途中でバスを乗り換え、大学までいった。
大学は、ぼくが通っていた頃と、ほとんどおなじだった。CO-OPのある建物までいき、タイプライターやワード・プロセサーなどを売っている場所をみつけた。
売場の主任らしい白人のおばさんに、どんなタイプライターをさがしているのか、ぼくは伝えた。
「信頼のおけるアメリカ製の、最新モデルのタイプライターを一台、買いたいのです。原稿をかなり大量に書きますから、使い勝手がよくて、しかもこてんぱんに使えるのがいいです」
ぼくの言葉に彼女は自信を持ってうなずき、一台の電子タイプライターのところへ、ぼくを導いてくれた。
そのタイプライターをおばさんは示し、
「これは店頭のデモンストレーション用だから、好きなだけさわってみてくれていいのよ」
と、言った。そして、電源コードをつなぎ、本体のうしろにあるスイッチをオンにしてくれた。
「さあ、どうぞ」
髪のつくりから化粧のしかた、半袖のブラウスに包みこまれた胸のふくらみ、腰のたくましさ、スカートのフレアのしかた、そして、はきやすそうな靴におさまった大きな足にいたるまで、実用的で陽気な活動性をフルにたたえた上品さを、その主任のおばさんは自分のものとして持っていた。
彼女がすすめてくれたそのタイプライターを、ぼくは気にいった。大学生が勉強のために使うものというよりも、どちらかと言えばオフィス・マシーンだろう。しかし、おおげさなところはどこにもなく、サイズも大きすぎない。実用に徹していながら、すっきりとぜんたいをまとめたデザインのしかたには、押しつけがましさがまったくなかった。長い時間にわたって目のまえに見続けても、いっこうに飽きないし、いやにならないだろう。キーのタッチは素晴らしく、印字するときの音も、ぼくの好みだった。リターンのスピードも、たいへんいい。
しばらくほかの客の応対をしていたおばさんは、やがてぼくのところにもどって来た。
「どうかしら」
と、彼女はきいた。
ぼくは、うなずいた。
「いいです。とても、いいです」
「勉強する気がおきてくるようなタイプライターでしょう。本格的なマシーンよ」
「そのとおりですね」
はじめに装填したタイプライター用紙は、すでにぼくの試し打ちでいっぱいになっていた。ぼくは、紙を交換した。あらためてタイプライターとむきあい、この店に入って来たときから静かに聞こえていた音楽に、ぼくは自分の気持ちを重ねあわせた。
電気ベースにリード・ギター、そしてリズム・ギターがふたりに、ウクレレがひとり。以上、五人のグループによるハワイ音楽だ。
ダブル・ストラミングでウクレレを弾いている女性が、このグループのリード・シンガーらしい。彼女のソプラノによるハワイ語の歌詞を、ぼくは頭のなかで追いかけてみた。
'Auhea wale 'oe ku'u lei nani
Ho'i mai no kaua la e pili.
Kou aloha Ka'u e hi'ipoi nei
'A kuikui 'eha i ko'u mana'o.
'Ano'ai ka pilina 'ole
E lei 'a'i 'oe me ku'u lei.
聞きとることの出来た歌詞を、ぼくはタイプライターで紙の上に叩き出していった。東京に置いてあるぼくの古いタイプライターは手動式だが、いまぼくが叩いているこれは、電子タイプライターだ。キーに指さきをほんのすこしだけ力をこめて触れるだけで、気持ちのいい感触と音とともに、紙の上にくっきりと印字されていく。
ぼくのハワイ語の聞きとり能力には、明らかに限界があった。ほんの数行で、ぼくはソプラノに置きざりにされてしまった。
ぼくのかたわらに立って見おろしていたおばさんは、ぼくが打った文字を見て、何度もうなずいてくれた。
「まちがってないわよ。そのとおりよ」
と、彼女は言った。
「いまの歌は、これまでにいろんなところで何度も聞いたことのある歌です。なんというタイトルの歌でしたっけ」
彼女を見上げて、ぼくはきいた。
『レイ・ナニ』という歌だと、彼女は教えてくれた。レイ・ナニ。美しいレイ。
リード・シンガーのほかにもうひとりソプラノがいて、さらにアルトが加わる。女性トリオという伝統的なかたちを、男性によるリード・ギターと電気ベースとが支えていた。フラのための快適なテンポの歌を、トリオ・ワヒネは、堂々とうたった。
「このタイプライターにします。これを、買います」
そう言いながら、ぼくは、女性トリオの三人たちの姿かたち、容貌、喋りかた、笑い声などを、ひとりずつ、想像のなかにつくってみた。