島の北側からセスナで飛び立ったときには、これ以上の快晴はあり得ないような晴天だった。島の南へまわりこむと、灰色の曇天となった。火山が吐き出し続ける煙と、溶岩が海へ入りこむときに噴きあがる水蒸気とで、高度六千フィートくらいまで視界は完全にふさがっていた。
島の南端ぜんたいが、煙をあげて燃えているように見えた。煙と白い水蒸気の山が、火山の山よりも高く、巨大にいくつも立ちあがり、もくもくと内部から脈動しつつ、西に向かって吹き流されていた。火柱が立ったり、灼熱の溶岩が大滝のように流れ出る光景はもうないが、溶岩の流出は続いていた。煙と灰がすさまじい。
町はあとかたもなかった。濃い灰色の溶岩の河が、町のすべてを埋めていた。木造の建物はすべて燃えてしまい、廃虚は溶岩の下だ。ショッピング・センターのコンクリートの屋根が、半分だけ見えた。ところどころ、赤や青の小さな点が、溶岩流のなかに見えた。埋まっている自動車の屋根なのだ。
全滅とはまさにこのことだ。溶岩の流れが町をのみこんだ。そして溶岩は湾に注いだ。湾ぜんたいが溶岩で煮えたぎり、水蒸気の山が空中へ巨大にそびえていた。おそらく湾は溶岩ですっかりふさがれ、なくなってしまうに違いない。
町も消えていた。牧場も、花畑も、すべて溶岩の分厚い層が、何重にも覆いつくした。まだ冷えてもいなければ固まってもいない溶岩の下だ。
ハッピー・ヴァレーは、もはや保養地どころではなかった。緑の林など、どこにも見えない。降り積もった火山灰が、地形をすっかり変えていた。ハッピー・ヴァレーは、溶岩と火山灰の山の下に埋まっていた。
誰も町に近寄ることは出来なかった。上空から遠まきにして見守るだけだ。湾の北にも南にも、溶岩は流れこんでいた。最初に避難した南側の岬の根もとにある丘の公園は、頂上だけがぽつんと小さく、溶岩のなかにとり残されていた。
次から次に流れこんで来る溶岩を受け入れ、海から煙と水蒸気が猛然と立ちのぼった。その高さは、山の頂上をはるかに越えていた。
遠くの上空から島を見た。島そのものは見えず、噴火の煙と水蒸気の山だけが、いくつも見えた。何億年も前、島がこの海に出来始めたときの様子は、おそらくこんなだっただろう。
島の南端に沿ってしばらく飛んでみた。島の南端は活火山帯だ。何年おきかに噴火が繰り返された。今回とおなじスケールの爆発は、二十年前に一度あった。そのときは山あいの小さな村が溶岩の下になって全滅した。
山から海へ流れこんだ溶岩が、固まっていまもそのままに残っている。古いカルデラの内部には観測所や展望台があり、カルデラの中心で現在も溶岩をかかえる丸い火口が、展望台から見下ろせる。
ウエーキ島のさらに西からここまで、いくつもの火山が太平洋のまんなかにつらなっている。西から順に噴火して島を次々につくり、東へ進んで来た。西のほうではすでに火山は死に絶え、島は海中に没しようとしている。最東端のここでは、まだ火山は生きている。地動計による観測では噴火活動の予測などほとんどつけることの出来ない活火山だ。
島の北側へ帰るために山の上空を飛びながら、僕は振り返ってみた。巨大な煙の山が天に向かって立ち、後方の視界を完全にふさいでいた。あの月光の湾のチューブ波の、幻想的な銀色の輝きが、一瞬、目に見えた。
噴火から一週間後。ボブ・ラインハートの送別パーティがおこなわれた。島の北側にあるジェニファーの親類の別荘に、全員がふたたび集まった。グレン・ペパマンと録音スタッフは、テープを持って先に帰った。LP五枚分の歌や演奏を完璧にテープに収めきったとき、噴火寸前の最初の地鳴りが響いたのだ。
用事でホノルルへいって来たジェニファーが、僕宛てにオフィスに届いていた手紙を持って来てくれた。東京からのが一通あった。ホームシック・アイランド・ボーイスからだ。
彼らの旅は四泊五日の短い旅だった。初めてハワイに来たその初日に、彼らにとっては神であるパニオロやその音楽仲間に会って大感激し、二日後には録音をモニター・ルームで聴いて打ちのめされ、同時に、ハワイの火山が噴火するのを目のあたりにした。そして、あくる日、早くも東京へ帰った。
五人の名を僕は思い出してみた。トミオ。オサム。ヒロシ。タケアキ。ハルミチ。「なにがなんだかわからないままに、不思議なショックがまだ去りません。僕たちは、ものすごい体験をしたのです」。彼らは、手紙にそんなふうに書いていた。
パニオロやラインハートたちの演奏が始まっているテラスに寝そべって、僕はその手紙を読んだ。夜空を見上げた。月が出ていた。たしかにたいへんな体験の内部をくぐり抜けて来たのだという事実を、このとき僕は初めて強く実感した。パニオロたちの音楽にからめとられ、体ぜんたいが夜の風のなかに軽く持ちあげられたようになっている僕の上に、夜空の無数の星が、いっせいにのしかかった。