ラハイナの町は夕陽の時間だった。ラナイ島の向こうに沈む太陽の光が、低い位置から海面とほぼ平行に、町に当たる。波長の長い赤い光だけが、町に届く。町はまず黄金色に染まる。そして時間とともに、赤い色の深みを増していく。
フロント・ストリートには新しい建物が増えた。かつてのひなびた木造の町なみに調和するようにデザインされた建物だが、観光客相手の新しさは、覆いかくすことが出来ない。しかし、夕陽の時間の、赤見をおびた黄金色の陽を正面から浴びると、古い建物も新しい建物もみな一様に、ラハイナの町が持つ長い歴史の彼方に沈んでいくようだ。人どおりの少なくなったフロント・ストリートに、かつてはハワイの首都としてにぎわった港の面影は、やはりない。
ヨット・ハーバーに面して、パイオニア・インというホテルがある。古いハワイをしのばせる、白いバルコニーを張りめぐらせた二階建てのホテルだ。オリジナルな部分は、一九〇一年に建てられた。部屋に入ると捕鯨船時代の残り香がまだあり、懐かしい南太平洋物語のなかへ、時間を飛びこえて身を置いた気分になる。
パイオニア・インのバー・ルームのテーブルで、僕はダフネと向きあっていた。この町の人たちの正業は昼寝だと、昔から冗談に言われているラハイナの一日の時間のなかでも、もっともけだるくて静かな時間だ。観光客たちのための夜の時間は、まだ始まっていない。ダフネの手もとには、ホワイト・ラムのソーダ割りが置いてあった。半分ほど飲んであった。
彼女が持って来たアランの波乗りのフィルムを、ファーマー・ジョーの家でみんなで見た。誰もが強い感銘を受けた。ダフネが持っている映像による表現力を、全員が讃えた。と同時に、アランというサーファーと海との対峙のしかたに、心のもっとも深い部分で誰もが共感を覚えた。
ホワイト・ラムのソーダ割りのグラスに、ダフネは指先を触れた。
「ビル・ハミルトンが撮影した8ミリを、ぜひ見たいわ」
彼女は言った。
「僕は、あの無人の環礁のサーフそのものを、見たい」
「それは、もちろんよ」
アランを探している人にハワイで会うとは思ってもみなかったので、ハミルトンは自分で撮影したサーフの8ミリは持って来ていなかった。パペーテの自宅に置いてあるという。
フィルムを見なくても、そのサーフがどのようなサーフだか、充分に想像がつく。あのアランをとりこにしたサーフだ。絶海の孤島にひとりで住むことを、アランに決意させたサーフだ。妖しいまでの魅力をはらんだサーフであることに、間違いはない。
「バリー」
ダフネは顔をあげた。まっすぐに僕を見て、
「ラリー・デイヴィスを雇うことは、出来るかしら」
と言った。
「雇う?」
「ええ。私が」
「なんのために」
「映画を作るの。四十五分くらいの。アランとあの完璧なサーフがある無人の孤島についての映画」
「ラリーはいま忙しいからなあ」
「わかっているわ、でも」
「ラリーに直接、訊いてみればいい」
胸の高鳴りを出来るだけクールに抑えながら、僕は平凡な返事をした。ダフネのクールさにくらべると、努力したあげくの僕のクールさは野暮に近い。
「あの島へ、私とラリーがいくのよ。天候にもよるけれど、五日もあれば充分だわ。朝、夜、昼間、あの島でのさまざまな時間の、いろんな表情をフィルムに収め、サーフもあらゆる角度から撮って来るの。そして、ラリー・デイヴィスに、あのサーフに思う存分に乗ってもらって、それもフィルムに撮影するわ。いま私が持っているアランの波乗りのフィルムをつなぎ、雨のパペーテも撮って。いまは雨のシーズンだから、ちょうどいい」
ダフネがなにを考えているのか、僕にはよくわかる。ダフネが撮りあげて完成させた四十五分の美しい映画が、目に見えるようだ。
「私が自分でナレーションを入れて、ラリーには出来るだけシルエットや遠景で出てもらう。私のナレーションをスクリーンの上で具体的に演じる役を、彼に引き受けてもらうの」
「素晴らしい」
「どうかしら」
「ラリーなら出来る。適役だ」
「南太平洋に消えたひとりのサーファーと、無人の環礁の物語」
窓の外の赤い黄金色の陽ざしを僕は見つめた。観光で来たアメリカ人の中年女性たちが数人、額にかざした手で陽ざしをさえぎりながら、窓の外を歩いていった。
「ダフネ」
と、僕は言った。
「きみは、その映画を作るべきだ」
「最高の激励だわ。ありがとう」
僕が考えていたとおり、話はすべて簡単にきまった。計画をダフネから訊かされたラリー・デイヴィスは、途中まで聞いてから、
「その役は絶対に俺がやる」
と、言ったそうだ。
さらに、映画を作るために必要な資金まで、ラリーのオフィスが出すことになった。映画が完成してからの版権や上映による収益を担保に、たてかえのかたちでオフィスがダフネに貸し出す。資金とはいっても、たいした額ではない。
無人の環礁までの案内役およびチャーターする船の船長は、ビル・ハミルトンにきまった。ホクレア号の航海に関係しているのはピアイラグだけだ。つきそって来たハミルトンは、都合によってはいつでもタヒチに帰ることが出来る。
人はこれで揃った。そして幸いなことに、ピアイラグの持ち船である貨物船が、いま空いているという。その船のチャーターを、ピアイラグは快諾してくれた。
クールな熱意を深い部分で静かに燃やしているダフネにくらべると、ラリー・デイヴィスは、タヒチ行きをきめて子供のようなはしゃぎぶりだった。チャンピオン・サーファーも、いまや気楽で身軽なサーフ・バムではなく、多忙なビジネス・マンになりつつある。うれしさはよくわかる。それに行く先には、あのアランの心をつかまえてついに離さなかった、完璧なサーフがある。
たいへんなスピードで計画が組みあげられ、準備が整えられた。ラリーとダフネがホノルルに帰って来る日は、ハワイでもっとも伝統のある波乗りコンテストの一週間前ときまった。
空港まで送りにいった日も、ラリーは上機嫌だった。
「なあ、おい、バリー。ジェニファーがこの話を聞いたら、大変だ」
「西海岸へ電話して、すぐにタヒチへ向かうように言おうか」
「よせ、よせ!」
冗談を真に受けて、ラリーは手を振った。
ジェニファーは、自分の16ミリ映画『第57番サーフ最後の日々』のプリントを持ち、西海岸へプロモーションの仕事に出ている。
「きみにはフィルムを送るよ、バリー」
「なんのフィルムだい」
「ビルが撮ったサーフの8ミリ。パペーテで俺がまず見たら、すぐに航空便で送る」
「楽しみに待っていよう」
そんなふうにしか、返事のしようがなかった。いますぐにも処理しなければならない仕事をすべてほうり出してラリーがタヒチへいっているあいだ、そのたくさんの仕事を主として出来るだけ先に延ばす役目を、僕はひとりで引き受けなくてはならなかった。
空港にはレイモンド・カアイラウも来ていた。タヒチに着いたら自分の親類をぜひ訪ねてほしい、とカアイラウはラリーに言っていた。
「親類の人たちに伝えてほしいんだ。あとふた月もしたら、僕は大昔の人たちとおなじように、双胴のカヌーで海を渡っていくから、と」
「伝えよう」
ダフネとラリー、それにビル・ハミルトンを見送ったあと、僕はカアイラウ、ファーマー・ジョー、そしてピアイラグの三人といっしょに、アロハ・エアラインの飛行機でマウイ島に引き返した。遅い午後の太陽を受け、眼下の海は銀色に輝いていた。その海を飛行機の窓から見ながら、カアイラウが僕に言った。
「ホクレア号にサーフボードを積みこむ許可が、今日、出たんだ。一本だけだが、サーフボードを持っていけることになった」