ある時、南の方の国から、香具師が入って来ました。何か北の国へ行って、珍らしいものを探して、それをば南の方の国へ持って行って金を儲けようというのであります。
香具師は、何処から聞き込んで来ましたか、または、いつ娘の姿を見て、ほんとうの人間ではない、実に世にも珍らしい人魚であることを見抜きましたか、ある日のことこっそりと年より夫婦の処へやって来て、娘には分らないように、大金を出すから、その人魚を売ってはくれないかと申したのであります。
年より夫婦は、最初のうちは、この娘は、神様のお授けだから、どうして売ることが出来よう。そんなことをしたら罰が当ると言って承知をしませんでした。香具師は一度、二度断られてもこりずに、またやって来ました。そして年より夫婦に向って、
「昔から人魚は、不吉なものとしてある。今のうちに手許から離さないと、きっと悪いことがある」と、誠しやかに申したのであります。
年より夫婦は、ついに香具師の言うことを信じてしまいました。それに大金になりますので、つい金に心を奪われて、娘を香具師に売ることに約束をきめてしまったのであります。
香具師は、大そう喜んで帰りました。いずれそのうちに、娘を受取りに来ると言いました。
この話を娘が知った時どんなに驚いたでありましょう。内気な、やさしい娘は、この家を離れて幾百里も遠い知らない熱い南の国に行くことを怖れました。そして、泣いて、年より夫婦に願ったのであります。
「妾は、どんなにも働きますから、どうぞ知らない南の国へ売られて行くことを許して下さいまし」と、言いました。
しかし、もはや、鬼のような心持になってしまった年より夫婦は何といっても娘の言うことを聞き入れませんでした。
娘は、室の裡に閉じこもって、一心に蝋燭の絵を描ていました。しかし年より夫婦はそれを見ても、いじらしいとも哀れとも思わなかったのであります。
月の明るい晩のことであります。娘は、独り波の音を聞きながら、身の行末を思うて悲しんでいました。波の音を聞いていると、何となく遠くの方で、自分を呼んでいるものがあるような気がしましたので、窓から、外を覗いて見ました。けれど、ただ青い青い海の上に月の光りが、はてしなく照らしているばかりでありました。
娘は、また、坐って、蝋燭に絵を描いていました。するとこの時、表の方が騒がしかったのです。いつかの香具師が、いよいよその夜娘を連れに来たのです。大きな鉄格子のはまった四角な箱を車に乗せて来ました。その箱の中には、曾て虎や、獅子や、豹などを入れたことがあるのです。
このやさしい人魚も、やはり海の中の獣物だというので、虎や、獅子と同じように取扱おうとするのであります。もし、この箱を娘が見たら、どんなに魂消たでありましょう。
娘は、それとも知らずに、下を向いて絵を描いていました。其処へ、お爺さんとお婆さんとが入って来て、
「さあ、お前は行くのだ」と、言って連れ出そうとしました。
娘は、手に持っている蝋燭に、せき立てられるので絵を描くことが出来ずに、それをみんな赤く塗ってしまいました。
娘は、赤い蝋燭を自分の悲しい思い出の記念に、二三本残して行ってしまったのです。