七月になった。梅雨は明けていない。その梅雨の、今日は見事な晴れ間の日だ。矢野哲郎は駅から歩いた。四系統の都電の終点および起点の集まる大通りまで、五分とかからない。その大通りを越えると、そこから先が歓楽街の広がりだ。戦後すぐに出来始め、いまではひとまず完成の趣を呈している。歓楽に徹している地帯であるのが、最大の特徴だ。
東西の幅は、大通りからその地帯へと入っていく道の数で数えるなら、六ブロックにおよんでいる。奥行きは充分にある。往復六車線の、歓楽とはおよそ関係のない、ただ交通量が多いだけの道路に出るまでが、その地帯の奥行きだ。西側の端をおさえる道のすぐ外側、つまりさらに西側は、歩道のある道をへだてて国電の高架だ。いちばん東側の通りから、矢野はその歓楽街に入っていった。
夕方までにはまだ時間があった。しかし歩いている人の数は多く、ぜんたいとして賑わっている印象が強くあった。雰囲気は十年前とまったくおなじだが、賑わいの盛り上がりには、いまのほうが分厚いものがあるのを、矢野は感じた。ゆるやかな下り坂を降りきったあたりで、彼は右へ直角に曲がり、狭い道へと入った。区役所の南側をとおってトロリー・バスの走る道路へと抜けていく道だ。十年前にはしばしば目にした光景が、歓楽街としてよりいっそう増幅されたかたちで、いまもいたるところにそのままあった。
その狭い道と交差する最初の路地を越えた。そしてすぐに二本目の路地そして三本目の路地と、交差した。その路地を矢野は左へと入った。この路地はかつては区役所の裏を抜けていく道だった。その路地は西に向けて拡張された区役所の敷地の一部となり、南北のどちらからその路地を来ても、区役所で行き止まりとなっていた。区役所のすぐ裏の道の両側に、壁や軒を接して建ちならんでいた酒や遊興の店は、道のその部分とともに、完全に消えていた。拡張された区役所の敷地の西端は、二本目の路地の東側まで到達していた。敷地の西端を構成しているのはほとんど意味のない植え込みであり、そしてその奥には区役所の高層建築の垂直の壁があるだけだ。十年前には健在だった路地の、その東側に密接してならんでいた小さな店舗の群れは、ここでも完全に消え去っていた。
拡張された区役所によって、かつての飲み屋街の一部分が消えたことを、矢野は以前から聞いてはいた。その様子を実際に目のあたりにするのは、いまが初めてだ。騙されたような、あるいは嘘のような、不思議な感覚があった。自分の錯覚かもしれないと思い、路地の順番を確認した。場所を間違えているのではないことを確認して、矢野は区役所の建物の西端と向き合った。人の肩あたりまである高さの殺風景な壁の内側は、陰気な雰囲気の植え込みになっていた。長く続くその壁のまんなかあたりまでいき、矢野は立ちどまった。そして振り返った。区役所とは反対側、つまり路地の西側は以前のままに健在で、ならんでいる店のなかに見覚えのある縄のれんの飲み屋があった。この飲み屋の向かい側にあったのが、コンパルサという名のバーだ。そのコンパルサも含めて、路地の東側にあった飲食店その他の小さな建物の列は、区役所の敷地の幅ぜんたいにわたって、すべて忽然と消えていた。区役所の建物がなぜこうでなければならないのか、新聞に取り上げられて問題となった十五階建ての、重苦しい雰囲気の建物を矢野は呆然と見た。
しばらくして彼は歩き始めた。区役所の南側を抜けていく路地に入り、そのまま東に向けて歩いた。かつての区役所の裏を抜けていた路地は、区役所の敷地に突き当たって行き止まりになっていた。このあたりになにがあったか、矢野には詳しい記憶はなかった。ここまで来ると急に暗くて寂しい雰囲気となり、さびれた様子も色濃くあったのを、彼はおぼろげに思い出した。三軒ならんだ木造二階建てのアパートはいまもあった。その隣の長屋は仮設の倉庫のような建物に変わっていた。シャッターを降ろした店、こういうところに誰が泊まるのかと、矢野ならずとも思う旅館、そして焼き鳥やラーメンの店などを確かめながら、彼は区役所が面している通りに出た。かつてのトロリー・バスはもう走ってはいなかった。
区役所の敷地は西と北に向けて拡張された。その敷地の北に沿った道に入って西に向かい、区役所の裏を抜ける路地へ矢野は戻った。かつてコンパルサがあったところを、彼はもう一度歩いてみた。立ちどまるのが無意味なほどに、その路地の東側に当時の面影はいっさいなにもなかった。ここにあったコンパルサというバーへ彼が初めて連れて来られたのは、いまからちょうど十年前の一九六六年、矢野哲郎が二十四歳のときだった。それから十年が経過し、いまの彼は三十四歳となっていた。
十年という時間など、なにほどの量でもない、という思いは確かなものとしてある。いまの自分と十年前の自分とでは、ほとんど変化がないからだ。少なくとも自分が自覚しているものとしては、変化はいっさいない。矢野にとっていまの自分は、十年前の自分とおなじだった。しかし、十年は十年だ、そしてそれが経過して去ったのは、まぎれもない事実だ。十年前の自分は二十四歳で、いまは三十四歳ではないか。
コンパルサというバーもいまはない。ないのは十年という時間のせいではないが、区役所の拡張による立ち退きと、路地の片側の消滅は、時間のなかで起こった変化にほかならない。縄のれんの飲み屋の前に立ちどまっていた矢野は、コンパルサのあったあたりを眺めた。いまはコンクリートの壁とそのなかの植え込みがあるだけだが、コンパルサのドアとその周囲のたたずまいくらいなら、いまでも矢野はディテール豊かに思い起こすことが出来た。