自分の部屋の外で廊下に立ち、開いたドアごしに部屋のなかを観察するようにのぞきこんで時を過ごすことも、小学生の頃のホミはしばしばおこなった。現在でもそれをホミは好いている。ときどきおこなっている。
小学校五年生のとき、一度だけ、母親はそのようなホミを見たことがあった。絨毯の敷いてある階段を、母親は静かにゆっくり、二階へ上がって来た。だから母親の足音はホミに聞こえなかった。階段を上がりきり、二階の廊下に立った母親は、斜め前方に娘を見た。自分の部屋の開いたドアのかたわらに立ち、部屋のなかを熱心に観察するように見ているホミのうしろ姿を、母親は見た。
「なにをしてるの?」
歩み寄った母親は、ホミのかたわらに立ちどまり、なにげなくそうきいた。返事をせずにじっと部屋のなかを見ている娘の顔を、母親はのぞきこむように見た。娘が涙ぐんでいることに、母親はそのとき気づいた。
「ホミちゃん」
心配する気持ちは、不可解なことに対するなかば立腹したような驚きに形を変えて、母親の声となった。ホミは母親をふり仰いだ。
「どうしたの、ホミ」
怒ったような表情で驚きだけを自分にむけて来る母親の顔を見つめて、ホミは目に浮かべていた涙を頬へ落とした。
「ホミちゃん」
驚きをさらに強め、叫ぶようにそう言った母親に、ホミは優しく首を振ってみせた。
「なんでもない」
「泣いてるじゃないの」
「私はときどき泣いている。いまは、そのときどきの、とき」
幼い娘の謎のような言いかたに、母親は、
「どうしたの? なにかあったの?」
としか、きくことが出来なかった。
ホミはふたたび首を振った。
「なにもなかった」
「泣いてるじゃないの」
「なんでもない」
「部屋のなかになにかあるの?」
娘の体を自分に引き寄せながら、母親は部屋のドアにむけて一歩だけ近寄った。
「部屋のなかには、なにもないの」
ホミが言った。
「どうして泣いてるの?」
「悲しい」
「なぜ?」
「なぜでも」
「はっきり言ってちょうだい。ママに教えて。ママは心配だから」
「部屋のなかにはなにもないの。でも、悲しい」
「なんのことだか、わからないわね」
「さっきまで、私は部屋にいたの。でも、いまはもう、いない」
「ここにいるでしょう」
「ここにいるのは、なぜ?」
「ホミちゃん」
「さっきまで私がいた部屋を見てたら、悲しくなった」
「なんとなく、わかって来たわ」
「私が部屋のなかにいたのが、ずっと昔のように思えて来て、もう二度と私はこの部屋に入れないかと思ったの」
「いつでも入れるわよ。大丈夫よ。なにも泣くことはないのよ。元気にしてなさい」
「私は元気」
「なにか食べましょうか」
「お腹は空いてない」
「ママは買い物にいくわ。いっしょに来て」
「いってもいい」
「カーテンを選んでちょうだい。夏のカーテン。ホミのお部屋のも、取り替えましょう」
「いっしょにいく」
「したくしてちょうだい」
ホミは母親から離れた。廊下を階段まで歩いていき、階段を降りていった。降りきって一階の間取りの奥のほうへ歩いていく彼女の気配を確認してから、母親は娘の部屋に入った。入ってすぐのところに立ちどまり、部屋のあちこちをなにごとかを確認する視線で眺めた。