← Library‹ 夏と少年の短篇 which 以下のすべて 5

夏休なつやすみは終おわった。学校がっこうが始はじまった。学校がっこうは退屈たいくつだった。水泳すいえいの練習れんしゅうはいつものパターンのとおりだった。姉あねも先生せんせいの仕事しごとが始はじまった。おなじ県けんのなかの中ちゅう学校がっこうなのだが、自宅じたくからの通勤つうきんは無理むりだった。だから彼女かのじょは学校がっこうの近ちかくに下宿げしゅくしていた。

九きゅう月がつ第だい四よん週しゅう、火曜かよう日ひの午後ごご一いち時じ限げん目めは、風祭かざまつり百合ゆり絵えの英語えいごのクラスだった。始業しぎょうのベルが鳴なり終おわるのといれちがいに、彼女かのじょは祐一ゆういちたちのクラスにあらわれた。

色いろの落おちたスリムなブルージーンズ。白しろいテニス・シューズ。胴どうをしぼりぎみにした、薄うすい生地きじの黒くろいジャケット。そしてそのジャケットの下したに、風祭かざまつり百合ゆり絵えは、祐一ゆういちが真夏まなつの海岸かいがんで進呈しんていしたTシャツを着きていた。

彼女かのじょは出欠しゅっけつを取とった。デスクの上うえに出欠しゅっけつ簿ぼを開ひらき、最初さいしょから順じゅんに名前なまえを呼よんでいった。自分じぶんの名前なまえに接近せっきんしていくにしたがって、祐一ゆういちの心臓しんぞうの鼓動こどうが早はやくなった。椅子いすにじっとすわっているのが苦痛くつうに感かんじられるほどに鼓動こどうが早はやくなったとき、百ひゃく合ごう絵えは祐一ゆういちの名なを呼よんだ。

「はい」

と祐一ゆういちは答こたえた。

それまで出欠しゅっけつ簿ぼに目めを伏ふせたままでいた百合ゆり絵えは、顔かおを上あげた。そして祐一ゆういちを見みた。表情ひょうじょうはいっさいなしに、ただ見みただけだった。そしてふたたび視線しせんを伏ふせ、次つぎの人ひとから名前なまえを呼よんでいった。

その百合ゆり絵えを祐一ゆういちは見守みまもった。近ちかよりがたいと言ゆうなら、この女性じょせいには確たしかにそんな雰囲気ふんいきがなくもない、と祐一ゆういちは思おもった。授業じゅぎょうが始はじまり、彼かれの心臓しんぞうの鼓動こどうはやがておさまった。そのかわりに、頭あたまがぼうっとしてきた。顔かおが妙みょうにほてったようでもあり、喉のども乾かわいた。彼女かのじょが黒板こくばんに書かくことを放心ほうしんしたように見みながら、祐一ゆういちは百合ゆり絵えの声こえを聞きいていた。

百合ゆり絵えの授業じゅぎょうは大学だいがくの受験じゅけん対策たいさくを中心ちゅうしんにしていた。大学だいがく入試にゅうしでもっとも点てんをとりやすいのは英語えいごだと百合ゆり絵えは断言だんげんし、なぜ点てんがとりやすいかを、実際じっさいにいろんな大学だいがくで出題しゅつだいされた問題もんだいをパターン別べつにとりあげながら、点てんのとりかたを説明せつめいした。多おおくの場合ばあい、その説明せつめいは、受験じゅけん参考さんこう書しょに書かいてあることの、具体ぐたい的てきでわかりやすい解明かいめいだった。

たまにノートを取とりながら、祐一ゆういちは百合ゆり絵えを見みつめ、彼女かのじょの声こえを体からだのなかへ受うけとめていた。Tシャツは風祭かざまつり百合ゆり絵えによく似合にあっていた。サイズはちょうどよかった。黒くろいジャケットの下もとで、彼女かのじょの体からだとシャツのあいだに、きわめて魅力みりょく的てきな空間くうかんが生うまれていた。

彼女かのじょを見みつめ続つづけていた祐一ゆういちは、あるとき突然とつぜんに気きづいた。心臓しんぞうの中心ちゅうしんを、いきなり鋭するどく突つきさされたように、彼かれは感かんじた。Tシャツの下したには百合ゆり絵えの素肌すはだだけがある、ということに祐一ゆういちは気きづいた。百合ゆり絵えはTシャツの下したに下着したぎを身みにつけていなかった。確実かくじつな事実じじつとして、彼かれはそのことに気きづいた。

百合ゆり絵えの胸むねのふくらみは、明あきらかに小こぶりだった。しかし、女性じょせいにしか出だすことのできないそのふくらみのカーヴは、確実かくじつにそこにあった。黒板こくばんになかば背せをむけた姿勢しせいで、生徒せいとたちを見みながら黒板こくばんに字じを書かくとき、そのカーヴおよび小ちいさな丸まるい乳首ちくびが、ほんの一瞬いっしゅん、Tシャツの下したから浮うき彫ぼりになるのを、祐一ゆういちは見みた。

祐一ゆういちは百合ゆり絵えの声こえを聞きいた。「カンマのある which は『そしてそれは』と訳やくする」という参考さんこう書しょの記述きじゅつについて、百ひゃく合ごう絵えは説明せつめいしていた。「カンマのない which の場合ばあいは、which 以下いかのすべてを下したから訳やくす」という記述きじゅつについても、彼女かのじょは丁寧ていねいな解説かいせつを加くわえた。ノートのなにも書かいてないページのいちばん上うえの行ぎょうに、which 以下いかのすべて、と祐一ゆういちは鉛筆えんぴつで書かいた。

プールから上あがったあとの、汗あせの完全かんぜんに引ひいた体からだに一いち度どだけ着きてみたあのTシャツの感触かんしょくを、祐一ゆういちは自分じぶんの肌はだの上うえに思おもい出だしていた。裸はだかの上うえに着きてみたTシャツは、たいへんに心地良ここちよかった。そしていま、風祭かざまつり百合ゆり絵えも、裸はだかの上うえにおなじTシャツを着きていた。Tシャツの生地きじが彼女かのじょの胸むねのふくらみに触ふれるときの心地良ここちよさ、乳首ちくびにかすかに触ふれるときの感触かんしょくを、きわめて短みじかい一瞬いっしゅん、祐一ゆういちは自分じぶんの胸むねでも感かんじた。

放課ほうか後ご、祐一ゆういちたちを含ふくめてリレーの泳者えいしゃ全員ぜんいんが、いつものようにプールで練習れんしゅうをした。自由じゆう練習れんしゅうの日ひだった。男性だんせいと女性じょせいが四よんコースずつ、プールを分わけ合あって使用しようした。練習れんしゅうの途中とちゅうで、プールの縦たての縁えんにすわっている祐一ゆういちにむけて、山形やまがた多恵子たえこが泳およいで来きた。縦たてに泳およいでいる何なん人にんもの泳者えいしゃのあいだを、むこうの縁えんから彼女かのじょは泳およいで来きた。そして祐一ゆういちのすぐかたわらで、プールの縁えんに上あがった。

彼女かのじょの大柄おおがらな体からだのぜんたいから、盛大せいだいに水みずが落おちた。祐一ゆういちの肩かたに脚あしが触ふれるほどに接近せっきんして多恵子たえこは立たっていたから、したたる水みずは彼女かのじょの体からだから直接ちょくせつに、祐一ゆういちにかかった。プールの縁えんに落おちた水みずは、跳はねかえって祐一ゆういちのわき腹ばらや腕うでを濡ぬらした。彼かれは彼女かのじょをふりあおいだ。多恵子たえこはプールのむこうを見みていた。

体からだから水みずが落おちなくなってから、多恵子たえこは祐一ゆういちのすぐそばにしゃがんだ。彼女かのじょの量感りょうかんのある濡ぬれた太腿ふとももや、分厚ぶあつい肩かた、太ふとい腕うでなどから、自分じぶんにむけてエネルギーが発散はっさんされて来くるのを、祐一ゆういちは感かんじた。はじめのうちそれをただ受うけとめていた彼かれは、彼女かのじょのエネルギーに対抗たいこうしなくてはいけないと、なんの理由りゆうもなしに思おもった。だから彼かれはすわっていた腰こしを上あげ、多恵子たえことおなじようにしゃがんだ姿勢しせいを取とった。肩かたや目めの位置いちがおなじになった。祐一ゆういちは多恵子たえこを見みた。彼女かのじょはまだプールのむこうに視線しせんをむけていた。祐一ゆういちもおなじ方向ほうこうを見みた。

多恵子たえこは立たち上あがった。その動うごきにしたがうようなかたちで、祐一ゆういちは多恵子たえこをふり仰あおいだ。彼かれの目めをまっすぐに見下みおろして、

「あのTシャツを英語えいごの先生せんせいにあげたでしょう」

と多恵子たえこは言いった。

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