← Library‹ 虎の牙 宙に浮く首

寝台しんだいの上うえの勇一ゆういち少年しょうねんは、魔法まほう博士はかせの催眠さいみん術じゅつにかかったのか、目めをとじて、ねむったように身みうごきもしません。

博士はかせは、寝台しんだいから二にメートルほどはなれたところに立たって、やはり勇一ゆういち少年しょうねんを見みつめたまま、白しろコウモリのようなマントを、パッとひるがえして、両手りょうてをながくのばし、ヘビのように波なみうたせながら、空中くうちゅうを、上うえへ上うえへと、なであげるようなしぐさをつづけました。

すると、ああ、ごらんなさい。寝台しんだいの上うえの勇一ゆういち君くんのからだが、寝ねたままの姿すがたで、ジリリジリリと、宙ちゅうに浮うきあがってきたではありませんか。

勇一ゆういち君くんのからだと寝台しんだいとのあいだが、もう二にセンチほどもひらきました。そして、そのひらきが、みるみる大おおきくなっていくのです。五ごセンチ、十じゅうセンチ、二十にじゅうセンチ、動うごくか動うごかないかわからぬほどの早はやさで、しかしすこしもやすまず、上うえへ上うえへとのぼって行いきます。

まっ黒くろな背景はいけいの前まえに、勇一ゆういち君くんの白しろい道化どうけ服ふくの姿すがたが、クッキリと浮うきだして、なに一ひとつ、ささえるものがない空中くうちゅうに、横よこに寝ねたままのかたちで、しずかに浮ういています。なんという、ふしぎな光景こうけいでしょう。まるで夢ゆめでも見みているようです。

ところが、勇一ゆういち君くんのからだが、寝台しんだいから一いちメートルもはなれたとき、とつぜん、おそろしいことがおこりました。勇一ゆういち君くんの顔かおが、なくなってしまったのです。つまり、首くびから上うえが消きえうせてしまったのです。白しろい服ふくを着きたからだばかりが、こわれた人形にんぎょうのように、宙ちゅうに浮ういているのです。

ハッとして見みつめていますと、こんどは胸むねが消きえ、腹はらが消きえ、じゅんじゅんに消きえていって、しまいにはひざから下しただけになり、足あしくびだけになり、白しろいクツしたをはいた足あしくびが、しばらく、チョコンと空中くうちゅうにのこっていたかと思おもうと、やがて、それも消きえて、なんにもなくなってしまいました。勇一ゆういち君くんは、かんぜんに消きえうせてしまったのです。

黒くろひといろの舞台ぶたいに、目めに見みえない、とほうもなく大おおきな怪物かいぶつがいて、勇一ゆういち君くんを頭あたまから、グッグッとのみこんでしまった感かんじでした。

魔法まほう博士はかせは、さもおどろいた顔かおつきで、これをながめていましたが、勇一ゆういち君くんが、まったく消きえてしまうと、うろたえた身みぶりで、見物けんぶつによびかけました。

「さあ、たいへん。魔法まほうがききすぎたのです。天野あまの勇一ゆういち君くんは、どこかべつの世界せかいへ、飛とびさってしまいました。もうこの世界せかいには、いないのです。このままほうっておいては、勇一ゆういち君くんのおとうさんやおかあさんに、もうしわけがない。よろしい。わたしがそのべつの世界せかいへ、のりこんで行いって、勇一ゆういち君くんをつれもどすことにしましょう。では、みなさん、わたしも、しばらく、この世界せかいから姿すがたを消けしますよ。」

そう言いったかと思おもうと、博士はかせは、まずコウモリの羽はねのように白しろいマントのひもをといて、それをパッとなげすてました。それから、白しろいズボンも、クツしたもろとも、クルクルとぬいでしまいました。

すると、これはどうしたというのでしょう。ズホンの中なかは、なにもないからっぽではありませんか。足あしがないのです。ただ腹はらから上うえの胴体どうたいだけが、フワッと宙ちゅうに浮ういているのです。

博士はかせはつぎに、白しろい上着うわぎとシャツをぬぎすてました。すると、こんどは胴体どうたいまで消きえてしまったではありませんか。シャツの中なかも、からっぽだったのです。むろん手てもありません。ただ首くびだけが宙ちゅうに浮ういて、ニヤニヤ笑わらっているのです。

ほんとうに『宙ちゅうに浮うく首くび』です。その首くびがスーッと、一いちメートルばかり、空中くうちゅうを横よこに動うごいたかと思おもうと、まるで火ひでも消きえるように、見みえなくなってしまいました。つまり、魔法まほう博士はかせはこの世よから、まったく姿すがたを消けしてしまったのです。

まっくらな舞台ぶたいには、美うつくしいかざりのある寝台しんだいが、ただ一ひとつのこっているばかり、そのほかに目めにはいるものは、なにもなくなってしまいました。

あまりのふしぎさに、見物けんぶつ席せきはシーンとしずまりかえって、せきをするものもありません。

いまに、べつの世界せかいから帰かえって来きたのだと言いって、博士はかせと勇一ゆういち少年しょうねんの姿すがたが、どこからか、あらわれるにちがいない。

見物けんぶつたちは、そう思おもって、じっと待まっていました。

墓場はかばの中なかのようなしずけさの中なかに、一いち分ふん、二に分ふん、三さん分ふんと、時間じかんがたっていきました。しかし、舞台ぶたいには、なにもあらわれません。ただ、まっ暗くらな空間くうかんが、やみ夜よのように広ひろがっているばかりです。

とつぜん、どこからともなく「ウォー、ウオオオ、ウオオオ。」と、見物けんぶつたちを飛とびあがらせるような、おそろしい音おとが聞きこえて来きました。人間にんげんの声こえではありません。動物どうぶつの声こえです。猛獣もうじゅうのほえた声こえとしか思おもわれません。

見物けんぶつたちはゾーッとして、たがいに顔かおを見みあわせました。みな、まっさおになっています。背中せなかに氷こおりをあてられたような、なんとも言いえぬぶきみさに、もう、からだがすくんでしまったのです。

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