← Library‹ 怪奇四十面相 小林少年

それから、まもなく、明智あけち探偵たんていは、所長しょちょうと看守かんしゅ長ちょうの見みおくりをうけて、拘置こうち所しょを出でると、またせてあった自動じどう車しゃにのりました。

その自動じどう車しゃには、運転うんてん手しゅのとなりに、十じゅう四、五しご歳さいの少年しょうねん助手じょしゅが、チョコンと腰こしかけています。茶色ちゃいろのセーターをきて、小ちいさな鳥打とりうち帽ぼうをかぶり、顔かおはあぶらで黒くろくよごれていますが、なんとなく、かわいらしい少年しょうねんです。

自動じどう車しゃは矢やのように走はしっています。しかし、ふしぎなことに、明智あけち探偵たんてい事務じむ所しょとは、まるでちがった方角ほうがくです。日比谷ひびやから有楽町ゆうらくちょうのほうにまがって、やがて、とまったところは、世界せかい劇場げきじょうの楽屋がくや口くちでした。

明智あけち探偵たんていは、車くるまをおりると、まるで、そこが、自分じぶんのうちででもあるように、世界せかい劇場げきじょうの楽屋がくや口くちへ、はいっていきます。すると、運転うんてん助手じょしゅの、まっ黒くろな顔かおをした少年しょうねんも、明智あけちのあとを追おって、チョコチョコと楽屋がくや口くちに走はしりより、その中なかへ、すがたをけしました。

楽屋がくや口くちをはいって、階段かいだんを二ふたつのぼったところに「村上時雄むらかみときお」と書かいた木札きふだのかかった部屋へやがあります。明智あけちがこの部屋へやのドアをあけると、中なかから、ひとりの俳優はいゆうらしい青年せいねんが顔かおをだして、「おかえりなさい。」と、あいさつしました。

明智あけち探偵たんていが、劇場げきじょうの楽屋がくやへ来きたのに、「おかえりなさい。」とは、なんだか、へんなあいさつではありませんか。ところが、そのつぎには、もっと、ふしぎなことが、おこりました。

明智あけちは「村上むらかみ時雄ときお」の部屋へやにはいると、正面しょうめんにおいてある鏡きょうのまえに、ドッカと、あぐらをかいたのです。すると、さっきの青年せいねんが、うやうやしく、お茶ちゃをもってきます。明智あけちはそのお茶ちゃをすすりながら、

「やっと、まにあったね。ぼくの出でまで、何分なにぶんある?」

とたずねます。

「あと十分じゅうぶんです。」

「よし、服装ふくそうはこのままでいいね。ちょっと、明智あけち役やくの書かきぬきを見みせてくれ。すこし、せりふを、かえたいところがあるんだ。」

といって、青年せいねんのさしだす脚本きゃくほんの書かきぬきをうけとり、ねっしんに読よみはじめました。

読者どくしゃ諸君しょくん、これはいったい、どうしたことでしょう。名めい探偵たんてい、明智あけち小五郎こごろうが、楽屋がくやの鏡かがみのまえにすわって、まるで役者やくしゃのように、せりふの書かきぬきを読よんでいるのです。明智あけちは、気きでもちがったのでしょうか。

いや、このなぞは、諸君しょくんが一いち度ど、世界せかい劇場げきじょうのおもてに、まわってみれば、すっかり、とけるのです。

劇場げきじょうの正面しょうめんに、大おおきな看板かんばんが出でています。それには一いちメートル四方しほうほどの字じで、

と、書かいてあります。つまり、世間せけんをさわがせた「透明とうめい怪人かいじん」の事件じけんを、芝居しばいにしくんで、いま、この世界せかい劇場げきじょうで、上演じょうえんしているのです。その看板かんばんの、横よこのほうには、

名めい探偵たんてい明智あけち小五郎こごろう

透明とうめい怪人かいじん・二に役やく主演しゅえん

村上むらかみ時雄ときお

と、大おおきく書かいてあります。村上むらかみ時雄ときおというのは、この一座いちざの主役しゅやく俳優はいゆうなのです。そして、その村上むらかみが、透明とうめい怪人かいじんと明智あけち探偵たんていを、はやがわりで演えんじるわけなのです。

すると、いま楽屋がくやにはいった明智あけち探偵たんていは、じつは村上むらかみ時雄ときおなのでしょうか。かれを出でむかえた青年せいねんは村上むらかみの弟子でしらしいのですが、その弟子でしが、すこしも、うたがっていないところをみると、これはもう、明智あけちの役やくにふんした村上むらかみに、ちがいありません。

さあ、わからなくなってきました。拘置こうち所しょをたずねて、四十よんじゅう面相めんそうに面会めんかいしたのは、たしかに、この明智あけちです。それが、じつは村上むらかみ時雄ときおという役者やくしゃだったとすると、いったい、どういうことに、なるのでしょうか。

さて、もう一いち度ど、楽屋がくやのほうにもどります。明智あけち探偵たんていにふんした村上むらかみ時雄ときおは、書かきぬきを読よみおわると、鏡かがみにむかって、ちょっと顔かおをなおしてから、ひとりで部屋へやを出でて、うすぐらい廊下ろうかを、舞台ぶたいへおりる階段かいだんのほうへ、歩あるいていきます。

ところが、そのとき、みょうなことが、おこりました。見みると、村上むらかみの五ごメートルほどあとから、小ちいさな人ひとかげが、ソッと尾行びこうしているではありませんか。それは、さっきの自動じどう車しゃ運転うんてん助手じょしゅの、かわいらしい少年しょうねんです。

村上むらかみは、それともしらず、せまい階段かいだんを、トントンとおりていきます。少年しょうねんは、かげのように、そのあとをつけるのです。そして、階段かいだんを半分はんぶんほどおりたとき、少年しょうねんのふんだ階段かいだんの板いたが、ギーッと大おおきな音おとをたてました。少年しょうねんはハッとして、立たちどまりましたが、さきにたつ村上むらかみは、べつに気きづいたようすもありません。

少年しょうねんは、二に度どと音おとをたてないように、用心ようじんぶかく階段かいだんをおりて、下したの廊下ろうかに立たちました。そして、なおも尾行びこうをつづけようとしていますと、そのとき、とつぜん、むこうをむいて歩あるいていた村上むらかみが、とつぜん、クルッと、こちらをむきました。

逃にげだすひまも、なにもありません。村上むらかみはパッと少年しょうねんにとびかかって、いきなり、そのからだを、だきすくめてしまいました。

「さわぐんじゃない。大おおきな音おとをたてると、しめころしてしまうぞ。さあ、白状はくじょうしろ、きさま、なにものだ。なぜ、おれのあとをつけるんだ。おやッ、きさま、さっきの自動じどう車しゃの助手じょしゅだな。ハハア、すると、おれがここを出でたときから、つけてたんだな。」

明智あけちのふんそうをした村上むらかみは、小声こごえで、そんなことを言いいながら、少年しょうねんのからだをグイグイと、階段かいだんの下したの暗くらやみの中なかへ、押おしていきます。少年しょうねんは、されるままになって、ひとことも口くちをききません。

「フフン、わかったぞ。きさま、明智あけちの助手じょしゅの小林こばやしだな。顔かおに墨すみなどぬって、ごまかしているが、おれには、ちゃんとわかるんだ。明智あけちのさしずで、おれのあとをつけたんだろう。きさま、それじゃあ、なにもかも知しっているなッ。」

村上むらかみは、いまにもくいつきそうな、おそろしい顔かおをして、少年しょうねんをにらみつけました。

「知しっているよ。」

少年しょうねんは、しずかな声こえで、はじめて、口くちをききました。

「フーン、それじゃあ、おれの正体しょうたいもか。」

「そうだよ。きみは村上むらかみ時雄ときおじゃない。いま、拘置こうち所しょから、脱獄だつごくしてきたばかりの、二十にじゅう面相めんそう、いや、四十よんじゅう面相めんそうだッ。」

小林こばやし少年しょうねんは、ズバリと、言いってのけました。

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