「ねえ、きみ、ふつうの地下室にしては、あんまり深すぎるじゃないか。虎井先生は、いったい、どこにいらっしゃるの?」
小林少年は、地下への階段が、いつまでもつづいているので、すこし心ぼそくなって、たずねました。すると、うつくしい軍服の少年は、すずをふるような、きれいな声で笑いながら、
「もう、じきだよ。むろん、ふつうの地下室じゃないさ。きみは、きっとびっくりするよ。想像もできないような、ふしぎな部屋なんだ。ぼくの先生は、世間の人が、思いもよらないようなことを、お考えになるんだよ。」
と、じまんらしく、言うのでした。
コンクリートの階段を、三十段もくだると、やっと横道になり、しばらく歩くと、こんどは、のぼりの階段があって、それを七、八段あがると、パッタリ道がとだえてしまいました。頭が、天井につかえて、のぼれなくなったのです。
「ここに、また、秘密の戸があるんだよ。」
白い軍服の少年はにこにこしながら、そう言って、かべのすみの、かくしボタンを押しました。すると、頭のうえのコンクリートの天井が、音もなくスーッとあがって、そこにポッカリと、大きな口がひらいたのです。
ふたりの少年が、その穴をはいあがりますと、厚いコンクリートの板は、もとのとおりにしまって、どこに入り口があったのか、すこしもわからなくなりました。
そこは、大きな部屋でした。なにか、わけのわからない機械が、ゴチャゴチャとおいてある、りっぱな部屋でした。
「きみ、ここは、どこだと思う?」
軍服の少年が、みょうな笑いをうかべて、小林君を、からかうように、言うのです。
「どこだって? やっぱり地下室なんだろう。のぼった階段は、七、八段だし、おりた階段は三十段もあったんだからね。」
「ところが、地下室じゃないんだよ。そのしょうこを見せてあげよう。ホラ、ここへきて、そとをのぞいてごらん。」
少年がゆびさしたのは、大きなガラス窓でした。二メートル四方もあるような、ひろい窓で、そこに厚い一枚ガラスが、はめこんであるのです。まるで、ショウウインドウのような窓です。見まわすと、同じような窓が、部屋の四方についていることが、わかりました。
小林君は、その窓ガラスごしに、そとを見ると、思わず「アッ。」と、声をたてました。窓のそとには、意外なものがあったのです。そこには水があったのです。
「ここは、東京湾と隅田川のさかいめの水の底だよ。先生は鉄きんコンクリートの家をつくって、ここへしずめ、地下道で来られるようになさったのだよ。これは、つまり、水の底の別荘なんだよ。ごらん、きれいだろう。」
ガラスのむこうには、いろいろなもがユラユラゆれて、まるで、ふかいくさむらのようです。そのあいだを、小さいさかなが、スーイ、スーイとおよいでいるのが、手にとるように見えます。ちょうど水族館にいる気持ちです。水族館では、箱の中に水がはいっているのですが、ここは、部屋の中だけに水がなくて、そとは、すっかり水にかこまれているのです。
家のそとのどこかに、電灯がついていて、水の中をてらしているらしいのですが、そのひかりが、あまり強くないので、遠くのほうは暗くて、よく見えません。ふかい森林の中へ、まよいこんだようで、なんとなくきみが悪いのです。
「やあ、きれいだなあ。」
小林君が、思わず、声をあげました。小さいさかなが何十ぴきも、カスリのもようのようにキチンとならんで、窓のまえを、よこぎってゆきます。そのさかなのからだが、金色や銀色にキラキラ光って、じつにうつくしいのです。
小林君は、時間のたつのもわすれて、このふしぎな水族館に見とれていましたが、しばらくして、ふと気がつくと、水の中のむこうのほうの暗いところから、なんだか、えたいのしれない、へんなものがあらわれてきました。
おそろしくでっかいやつです。からだは、まっ黒で、おさらのような二つの目玉が、ギラギラ光っています。胴体の長さは、五メートルもあるかと思われます。そいつが、むこうの、暗やみの中から、スーッと、こちらへ近づいてくるのです。
小林君は、ギョッとして、ものも言えなくなってしまいました。
それは、クジラよりは小さいけれど、サメよりは、ずっと大きく、なによりもおそろしいのは、金魚の目のように、とびだした二つの目玉が、ランランとかがやいていることでした。
その怪物がスーッと、こちらの明かるいほうへ出てきますと、黒く光った全身が、はっきり見えました。せなかに、白いコブのようなものがあります。さしわたし一メートルぐらいの、おわんをふせたようなかたちで、それがガラスのように、すきとおっているのです。
小林君は、こんなみょうなかたちの、さかながいるなんて、聞いたことも、本で読んだこともありません。しかも、隅田川の入り口に、こんな大きなやつが、およいでいるとはまるで夢のような話です。さかなのお化けかもしれません。クジラのゆうれいかもしれません。
そいつは、おそろしく光る、大きな二つの目で、小林君をにらみつけながら、こちらへやってくるようです。グングン近づいてきます。もし、このいきおいで、まっすぐにすすんでくれば、窓ガラスにつきあたって、ガラスがわれ、部屋のなかに、ドッと、水がおしよせてくるかもしれません。小林君は、まっさおになって、窓のそばから、逃げだそうとしました。すると、軍服の少年が、小林君の腕をつかんで、
「だいじょうぶだよ。こわくないんだよ。」
と、にこにこしながら、言うのでした。
すると、そのとき、怪魚は、クルッとむきをかえ、そのまま、スーッと左のほうへ、およいでいきました。そして、窓からは、もう見えなくなってしまいました。
ところが、その窓から見えなくなろうとするときに、小林君は、じつに、なんともいえない、ふしぎなものを見ました。
大怪魚のせなかに、大きな、おわんをふせたようなすきとおったコブができていることは、まえに書きましたが、そのコブの中で、なにか動いているような気がしたのです。
しかも、それが、なんだか人間の顔のように見えたではありませんか。怪魚のせなかに、どうして人間がはいっているのでしょう。それとも、あれは、怪魚の子どもだったのでしょうか。カンガルーが、自分の子どもを、おなかのふくろの中にいれているように、この怪魚は、自分の子どもを、せなかのすきとおったコブの中に、いれているのでしょうか。
「きみ、いまの、見た? せなかのコブの中に、なんだか、いたね。」
小林君が言いますと、軍服の美少年は、こともなげに答えるのでした。
「見たとも。人の顔だったね。」
小林君は、あいてが、あんまりへいきなので、びっくりしてしまいました。
「きみ、こわくないの? あんなおそろしいものを見て、へいきで、笑っているなんて。」
「ちっとも、こわくなんか、ありゃあしないよ。ぼくは、見なれているんだもの。」
「ヘエー、見なれているの? じゃあ、このへんには、あんな大きな、クジラの子どもみたいなさかながすんでいるの?」
すると、美少年は、また、すずをふるような声で笑いました。
「きみ、ここは隅田川の入り口だよ。あんな大きなさかなが、すんでいてたまるもんか。」
「じゃあ、いまの、なんだったの? あれ、さかなじゃないの?」
「さかなじゃないさ。いまにわかるよ。きみは名探偵じゃないか。あててごらんよ。」
美少年は、からかうようにそんなことを言って、にこにこ笑っています。
それを聞くと、小林少年は、ハッと、あることに気づきました。ああ、そうだったのか。きっとそうにちがいない。さすがは虎井博士だなあと、しきりに感心するのでした。読者諸君、小林君は、いったい、何に気づいたのでしょうか。
それから五分もたたないうちに、こんどは、部屋の中に、みょうなことが、おこりました。