← Library‹ 妖人ゴング 大空の怪物

銀座ぎんざのできごとがあってから、三み日か目めの真ま夜中よなかに、まるで恐おそろしい夢ゆめにうなされているような、とほうもないことがおこりました。

もう夜よるの十じゅう二に時じをすぎていました。どんよりとくもった、星ほしのない夜よるでした。渋谷しぶや駅えきの近ちかくの盛さかり場ばも、電灯でんとうが消きえて、すっかり暗くらくなっていましたが、それでも帰かえりのおそい人ひとたちが、戸とをしめた商店しょうてんの前まえを、おおぜい歩あるいていました。

十じゅう二に時じ十じゅう分ふんごろでした。歩あるいていた人ひとたちが、おもわず立たちどまるような、みょうな音おとが、どこからともなく聞きこえてきました。それは、ニコライ堂どうのかねのような音おとでした。

「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」

みょうに、心こころのそこにこたえる、ぶきみなひびきです。それが、なんだか、空そらの方ほうから聞きこえてくるように思おもわれるので、みんなは立たちどまって、まっ暗くらな空そらを、じっと見みあげました。

「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」

その音おとは、だんだん大おおきくなって、しまいには空そらいっぱいにひろがり、こまくもやぶれるほどの恐おそろしいひびきになりました。

あれとそっくりです。三み日か前まえの銀座ぎんざの空そらからふってきた、あのぶきみなわめき声ごえと、そっくりです。しかし、渋谷しぶやの大通おおどおりを歩あるいている人ひとたちは、銀座ぎんざの音おとを聞きいていないので、まだわけがわかりません。ただ、気味きみわるさにふるえあがって、キョロキョロとあたりを見みまわすばかりでした。

そのうちに、みんなが見みあげている空そらに、びっくりするほど大おおきな白しろいものが、ボヤーッとあらわれてきました。白しろい雲くもでしょうか? いや、こんなやみ夜よに、雲くもが白しろく見みえるはずはありません。百ひゃくメートル四方しほうもあるような、えたいのしれない白しろいものです。それが、もやもやと異様いようにうごめいているのです。

暗くらい大通おおどおりを歩あるいていた人ひとたちは、ひとりのこらず立たちどまって、まるで人形にんぎょうにでもなったように、身みうごきもしないで、空そらを見みあげていました。ときたまとおる自動じどう車しゃまで、車くるまをとめて、運転うんてん手しゅも乗客じょうきゃくも窓まどをあけて、空そらを見みあげているのです。

交番こうばんの前まえでは、おまわりさんが、火ひの見台みだいでは、消防しょうぼう署しょのおじさんが、やっぱり、人形にんぎょうのように動うごかなくなって、空そらを見みつめていました。

もやもやと、うごめいているものが、だんだん、はっきりしてきました。

「あっ、悪魔あくまの顔かおだ! 悪魔あくまが笑わらっているのだ!」

大通おおどおりに立たっていたひとりの男おとこが、とんきょうな声こえをたてました。

それをきくと、そばに立たっていた人ひとたちは、ゾーッと、身みの毛けがよだつような気きがしました。いかにもそれは人間にんげんの、いや、悪魔あくまの顔かおだったからです。百ひゃくメートル四方しほうもあるような、とほうもなく巨大きょだいな悪魔あくまの顔かおが、みんなの頭あたまの上うえから、おさえつけるように、空そらいっぱいにひろがって、にやにや笑わらっていたのです。

まっ暗くらな空そらに、その悪魔あくまの巨大きょだいな顔かおだけが、ぼーっと白しろく浮うきでているのです。なんて大おおきな目めでしょう。ちょっとしたビルディングほどもある、でっかい目めがギョロギョロと光ひかって、ときどき、パチッ、パチッと、またたきをしています。鼻はなはそれよりも、もっと大おおきく、口くちも、おなじように大おおきいのです。はばが三十さんじゅうメートルもあるような大おおきな口くちが、にやにやと笑わらっているぶきみさは、それを見みなかった人ひとには、とても、想像そうぞうできるものではありません。

深夜しんやの大通おおどおりに、「ワーッ。」というような、なんともいえない声こえが、わきおこりました。あまりの恐おそろしさに、人ひとびとがみんなそろって、叫さけび声ごえとも、うめき声ごえともわからないような、ふしぎな声こえをたてたからです。

その声こえを、うちけすように、またしても、

「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」

そして、空そらいっぱいの悪魔あくまの顔かおが、グワッと、その巨大きょだいな口くちをひらきました。ひとつひとつが、一いちメートルもあるような白しろい歯はがあらわれ、その両りょうはしに、するどくとがった巨大きょだいな牙きばが、ニュッとつきだしています。上下じょうげの歯はのおくには、どす黒ぐろい舌したが、うねうねと動うごいているのです。

人ひとびとのあいだから、また「ワーッ。」という、ぶきみなひめいがおこりました。そして、みんな、両手りょうてで耳みみをふさぎ、目めをとじて、その場ばにうずくまってしまいました。あまりに恐おそろしくて、見みていられなかったからです。聞きいていられなかったからです。

まるで、おいのりでもするように、地面じめんにうずくまったまま、じっとしていました。だれも、逃にげだすものはありません。逃にげたって、空そらの悪魔あくまはどこまでも、ついてくるからです。ちょうどお月つきさまが、いくら走はしっても、どこまでもついてくるように。

「ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン……。」

やがて、恐おそろしい空そらの声こえが、みるみる小ちいさくなり、かすかになって、スーッと、消きえていきました。

それでも、人ひとびとは、まだ空そらを見みあげる勇気ゆうきがありません。まるで、死しんでしまったように身動みうごきもしないのです。

しばらくしてから、ひとりの男おとこが、おずおずと目めをひらいて、そっと空そらを見みあげました。

「あっ、消きえてしまった。みなさん、もう悪魔あくまの顔かおはなくなりましたよ。」

それを聞きくと、みんな目めをあいて空そらを見みました。空そらはまっ暗くらで、もう、なんにも見みえません。みんなの口くちから、安心あんしんしたような「はーっ。」という、ためいきの声こえがおこりました。そして、人ひとびとは正気しょうきをとりもどし、あの空そらのおばけが、もう一いち度どあらわれないうちにと、それぞれの家庭かていへいそぐのでした。

読者どくしゃ諸君しょくん、いったい、これはどうしたことなのでしょう。その夜よる、渋谷しぶやの大通おおどおりを歩あるいていた人ひとびとが、みんなそろって、夢ゆめを見みたのでしょうか。それとも魔法まほうにかかったのでしょうか。百ひゃくメートルもあるような大おおきな顔かおが、空そらの雲くもの中なかにあらわれるなんて、そんなばかなことが、おこるはずがないではありませんか。

しかし、夢ゆめでも、魔法まほうにかかったのでもありません。あの空そらのおばけは、渋谷しぶやのぜんたいの人ひとが、見みていたのです。夜中よなかに目めをさまして、窓まどから空そらをのぞいた人ひとは、みんな、あれを見みていたのです。

このふしぎなできごとのわけは、やがてわかるときがきます。「ウワン、ウワン。」という声こえの出でどころも、わかってくるのです。しかし、それは、もうすこしあとのお話はなしです。それまでに、みなさんも、ひとつ、そのわけを考かんがえてみてください。

このふしぎなできごとは、あくる日ひの新聞しんぶんに、でかでかと書かきたてられました。写真しゃしんはとらなかったとみえて、出でておりませんが、画家がかが写生しゃせいした天空てんくうの悪魔あくまの顔かおが、大おおきくのっておりました。それが、全国ぜんこくの新聞しんぶんにのったものですから、この怪かい事件じけんは、日本にっぽんじゅうのうわさの種しゅになったのです。

新聞しんぶんは、三み日か前まえの夜よるの銀座ぎんざのできごとと、関係かんけいがあると書かいていましたが、だれしも、そう感かんじました。巨大きょだいな黒くろいかげや、空そらいっぱいの白しろい顔かおの事件じけんには、なにかしら、えたいのしれない悪念あくねんがこもっているのを感かんじました。

しかし、その悪念あくねんがどんなものだかは、まったくわかりません。明智あけち探偵たんていがいったように、なにか恐おそろしい事件じけんのぜんちょうだろうと、想像そうぞうするばかりで、それが、どんな恐おそろしい事件じけんなのか、だれにもわからないのでした。

それからまた五いつ日かほどたったとき、こんどは、まっ昼間ひるま、またしても、えたいのしれない気味きみのわるいできごとがおこりました。

Next chapter →
Click a word · hold for the whole sentence 0%