そして、だんだん、約束の夜の十時が近づいてくるのですが、その前に恩田さんのうちに起こった、別のお話をしておかなければなりません。
ちょうど、章太郎君たちが明智事務所へ着いたころ、古代研究所長の松波博士が、恩田さんのうちへたずねてきていました。
松波博士というのは、二十面相のためにエジプトの巻き物を盗まれた、あの考古学者です。二十面相が透明人間になったのも、その巻き物を盗んだときからです。片手だけがテーブルの上の巻き物の箱をつかみ、その片手だけが、宙をとんで逃げて行ったのです。
松波博士は、今度は恩田さんが二十面相にねらわれていると聞いて、じぶんの経験を話して、参考にしてもらいたいというので、電話をかけてから恩田さんをたずねて来たのです。
玄関のベルがなったので、家庭教師の山口青年が、とりつぎに出ますと、口ひげもかみの毛も白くなった老紳士が、まっさおになって、飛び込んできました。そして、ぱたんと、玄関のドアをしめると、
「早くかぎを、このドアに、かぎをかけてください。」
と言うのです。だしぬけなので、山口青年はびっくりして、
「あなたは、どなたですか。なぜ、かぎをかけるのですか。」
と、聞き返しました。
「わたしは松波です。ご主人と電話で約束してやってきたのです。ともかく、このドアにかぎをかけてください。でないと、目に見えない二十面相のやつがはいってくるのです。」
老紳士はドアのノブをおさえながら、真剣な顔で言うのです。
山口青年はそれを聞くと、急いでかぎを取りに行こうとしましたが、老紳士はあわてて呼び止めました。
「ついでに、裏口も、だれかにかぎをかけてもらってください。それから、窓はみんなしめて、外からあかないようにするんです。」
「わかりました。」
山口青年も透明人間には、ひどいめにあっているので、あいつをはいらせてはたいへんだと、老紳士の言うとおりに、裏口と窓をしめて回りました。
恩田さんも、山口君からそれを聞いて、戸じまりを、手伝ってくれました。
しばらくすると、恩田さんと松波博士は、応接間にテーブルをはさんで、こしかけていました。
「窓は、すっかり戸じまりをしました。しかし、あなたには、どうして透明人間がやってくることがわかったのですか。」
恩田さんが、ふしぎそうにたずねました。
「わたしは、あいつのあとをつけて、おたくの門のなかで、あいつを駆けぬけて、玄関へ飛びこんだのです。あいつが門の中へはいったのは、確かです。」
松波博士は、まだ青ざめていました。
「しかし、どうして、それがわかったのですか。相手は目に見えないやつではありませんか。」
「足跡ですよ。まあ、聞いてください。こういうわけです。わたしは、さっき電話をかけてから、バスでやってきました。バスを降りて、おたくの近くまで来ますと、わたしの前に人間が歩いてるような気がするのです。目にはなにも見えません。しかし、どうもそんな気がしてしかたがないのです。
わたしは、ふっと、あの恐ろしい透明人間のことを思い出しました。ひょっとしたら、あの目に見えないやつが、じぶんの前を歩いているんじゃないだろうかと思うと、ぞうっとしました。
わたしは、地面を見つめました。いくら透明人間でも、足跡はつくだろうと思ったからです。しかし、だめでした。あの道はずっとアスファルトが敷いてあるので、足跡は残りません。
そのうちに、おたくの門まで五十メートルほどのところへ来ました。そのとき、変なことが起こったのです。
アスファルトの地面にくぼみができて水がたまっていました。その水が、石でも投げ込んだように、ぽちゃんと、はねたのです。
しかし、あたりにはだれもいません。水の中には、石ころなんて見えないのです。
すると、その水たまりの向こうに、ぺたっと、水にぬれた足形がつきました。人間のはだしの足跡です。
そして、その足跡が、二つ、三つ、四つと、だんだんふえて向こうへ遠ざかっていくのです。
だれもいません。ただ足跡だけが残っていくのです。透明人間です。あいつが、うっかり水たまりへ足を踏み込んだので、かわいたアスファルトの上に、ぬれた足形だけが残ったのです。
すぐ向こうに、おたくの門が見えています。きっと、おたくへ忍び込むのに違いありません。
わたしは、急いで足跡を追いかけました。
足跡はおたくの門をはいりました。敷き石の上に、まだかすかに足跡がついていくのです。
そこで、わたしは、あいつを出しぬいてやろうと思いました。いきなり駆け出して、足跡よりも前へ出たのです。そして、玄関に飛び込んでドアをしめ、かぎをかけてもらったのです。」
松波博士のうすきみのわるい話が、終わりました。そのときです……。