そのとき、ふたりの話している応接間のドアが、すうっと開いて、また静かにしまりました。だれかはいってきたとしか思えません。しかし、人の姿は見えないのです。ふたりははっとして、思わず、いすから腰を浮かせてしまいました。
すると、廊下にぱたぱたとスリッパの音がして、ドアが乱暴に引きあけられ、家庭教師の山口青年が飛び込んできました。
「先生、どうもおかしいです。いま、廊下を通りかかったら、このドアがひとりでに開いて、しまるのが見えました。あいつは、もう、ちゃんと、うちの中へはいっているのかもしれません。」
山口君も青くなっています。
「しかし、どこにも、はいるところはないはずじゃありませんか。裏口も窓も、みんなしめてしまったのだから。」
松波博士が、部屋の中をきょろきょろ見回しながら言いました。
「あいつは、すばしっこいやつです。ぼくたちが窓をしめて回っているあいだに、まだあいている窓から、はいり込んだのかもしれません。」
三人は、だまって顔を見あわせるばかりでした。あいつは、この部屋にいるのです。どこかわからないけれど、確かにいるのです。かすかに、あいつの息づかいが聞こえるような気がします。
「ハハハハ……。」
どこからか、低い笑い声が聞こえてきました。そして、あいつの気味のわるいことばが……。
「おさっしのとおりだ。おれはここにいるよ。山口君の言ったとおり、おれはすばやく、窓から飛び込んだのさ……。
十時までには、だいぶまがある。そのあいだに、ゆっくりうちの中を拝見することにしようか。
ウフフフ……。」
「ちくしょうっ、もう逃がさんぞっ。」
山口青年が大手をひろげて、部屋じゅうをかけ回りました。まるで、気でも違ったようです。
山口君は透明人間のために、ひどいめにあっていますから、そのしかえしをするつもりなのでしょうか。
部屋を駆けめぐっているうちに、ドアのところで、なにかにぶつかったように、よろけました。
「さあ、つかまえたぞっ。」
目に見えないやつと、立ったまま、とっくみあっています。
恩田さんも、松波博士も、山口君を助けるために、そのほうへ駆けよろうとしました。
そのとき、ドアが開いて、山口君と目に見えないやつは、廊下へよろめき出しました。
ばたばたと廊下を走る音。
「うぬっ、逃がすもんかっ。」
人間と人間がもつれあうもの音、そして、「うーん……。」という、うめき声が聞こえました。
恩田さんと松波博士は、声のしたほうへ急ぎました。
「あっ、やられたのかっ。」
廊下を曲がったところに、山口青年があおむきに、ぶっ倒れてのびていました。
「おい、山口君、しっかりするんだ。」
恩田さんが、だき起こしますと、山口青年は、あごをさすりながら、
「やられました。また、アッパーカットです。とても、かないません。」
そして、それっきり、透明人間はどこにいるのか、まったくわからなくなってしまいました。むろん、うちの中のどこかにいるのです。しかし、目に見えないやつですから、どうすることもできないのです。こんな無気味なことはありません。
「地下室が心配です。おい、山口君、うちの外を回っている刑事さんを、呼んでくるのだ。そしてみんなが力を合わせて、地下室を守るほかはない。早く呼んできたまえ。」
「こうなったら、わたしも帰るわけにはいきません。十時までおたくにいて、お手助けをしますよ。」
松波博士は、恨み重なる二十面相のことですから、そういう気持になるのももっともなことです。
そこで、恩田さんと博士とは、地下室の入口へと急ぎました。
地下室の入口には、重い板戸がふせてあって、それがレールで、向こうへ開くようになっています。板戸には厳重な錠がついていて、そのかぎは恩田さんしか、持っていないのです。
調べてみると、板戸の錠は、ちゃんとしまっていました。
「入口はここひとつです。ここさえ守ればいいのです。」
恩田さんが説明していると、山口青年が、ふたりの刑事を連れてやってきました。
「いま、本署へ電話して、三人ばかり、応援にくるようにしました。なにしろ、相手は二十面相です。もし、取り逃がしたら、たいへんですからね。」
と刑事のひとりが言いました。
「そうですか。それなら、地下室へはいるのは、そのかたたちがこられるまで待ちましょう。わたしたちがはいるときに、あいつにいっしょに、忍び込まれると、困りますから。」
そして、しばらく待っていますと、強そうな三人の刑事が、やってきました。
「それでは、あなたがた五人で、この入口を守ってください。五人でスクラムを組めば、いくら透明人間だって、通り抜けることはできませんからね。わたしたちは、地下室へはいって、金庫の前で見張っています。食事も地下室へ運ばせて、十時までがんばるつもりです。」
地下室へはいるときは、たいへんでした。五人の刑事に、手をつないで通せんぼうをしてもらって、板戸をやっとひとり通れるぐらいあけて、恩田さんと松波博士と、山口青年とが、すばやく下に降り、大急ぎで板戸をしめました。そしてかぎをあずかった刑事が、ぴちんと錠を降ろしてしまいました。