夏子が水着姿でピアノを弾いている場面を写真に撮る試みは、その年の五月に実現した。実現に向けての助走路は、ヨシオの部屋でおこなった冬彦の写真展だった。壁に写真をたくさん貼って眺めてみよう、とヨシオは冬彦に提案した。ヨシオが住んでいる平屋建ての家はL字形になっていた。南北にのびている部分の南の端がヨシオの部屋だった。そしてその部屋は二十畳の広さがあった。北側の壁は、本棚をひとつ移動させると、ドアを別にしてそのほかの部分が、すべて壁だけとなった。その壁に、冬彦が厳選した夏子の写真を、出来るだけ多く、しかしバランス良く、押しピンで留めた。
壮観だった。冬彦にとっては初めての体験だ。一枚の壁に貼った何点もの写真を見渡しながら、夏子という女性の魅力をふたりの少年は確認しなおした。
「写真もうまいよ。しかし、モデルはもっといい」
というのがヨシオの結論だった。
夏子に見てもらった。彼女は喜び、熱心に見た。その様子を冬彦はさらに写真に撮った。選び抜いても夏子の写真はたくさんあり過ぎた。一度には貼れなかった。冬彦とヨシオのふたりで写真をすべて貼りかえ、ふたたび夏子に見せた。
「ほんとに、一枚ずつが物語なのね」
と、夏子は言った。
「被写体はこの自分なのに、この人はいったいなになのかしらと、自分でも不思議に思うわ」
「また水着姿を撮りたいそうです」
ヨシオが言った。
「撮ってもらうのよ」
「水着姿でピアノを弾いているところです」
夏子は面白がった。
「グランド・ピアノは大きな黒いまとまりです。鍵盤が端正な白で、夏子さんの髪と水着が、黒です。そして肌が、端正な白です。靴は、どうしますか」
「ハイヒールね。黒でしょう」
すべて用意しておく、と夏子は言った。
「でも、両親が留守のときがいいわね。今度の土曜日の午後、おそらく夕方まで留守よ」
そしてその土曜日、冬彦は写真機とフィルムを持って、一軒おいて隣りの夏子の家へいった。夏子がひとりでいた。両親は予定どおり外出した、と彼女は言った。冬彦はヨシオを呼びにいった。彼は自宅にいなかった。冬彦が夏子の家へ戻ると、夏子はすでに水着姿だった。
ジャズを弾き続ける夏子を、冬彦は写真に撮った。充分過ぎるほどに撮ったあと、庭に出て庭でも撮影した。そのあと屋内に入り、廊下、洗面室、キチン、そして居間などでも水着の夏子を撮った。居間のソファに水着ですわっている夏子をファインダー越しに見ると、不思議な写真の出来上がりを冬彦は確実に予測することが出来た。
二日後、冬彦が持って来た何枚ものプリントを見て、ヨシオは言った。
「人が水に入るということが、そもそも奇妙なんだ。水には裸で入ればいいのに、水着という専用の服を作って身につける。しかし、水に入るための専用の服である水着を身につけた美しい女性が日常の場にいると、一枚の水着がすべてのものを奇妙な世界にしてしまう。美しい顔立ちと姿態の女性だと、その奇妙さには強調の縁取りが加わる」
ヨシオの意見に冬彦も同感だった。キチンや居間での写真を示して、ヨシオはさらに言った。
「ひとしきり水着を撮ったら、次はヌードだ。水着を越えて、ヌードも面白いはずだから」
ヨシオの言葉を受けとめて噛み砕き、冬彦は飲み込んだ。そしてうなずいた。
夏子の誕生日からスタートする四季の移り変わりは、冬彦にとって今年は二度めの体験だった。だから昨年よりも自覚的に、四季に沿って冬彦は夏子を写真に撮った。四季とともにある夏子。四季の体現者としての夏子。その四季のなかに自分もいる。夏子と自分とを結ぶもの、それは日付とともに進行していく季節だ。そのことを強く感じながら、冬彦は夏子を写真に撮った。夏子という人の生理的な内面が季節感とうまくつながって写真になると、その写真を撮る人である自分は、より強く夏子とつながっていく、と冬彦は思った。
夏子とともに、あるいは夏子をとおして、写真に写し取る季節感を意識することは、物語の背景をより明確にすることでもあった。桜が散り始めた日。このままいつまでも夏が続くように思えた、もっとも夏らしかった一日。背景として連続するそのような日々がくっきりとすればするほど、そのなかでの夏子の物語は謎になった。この美しい人は、いったいなになのか。この女性はなにを思っているのか。なにをめざしているのか。なににどう笑い、なにに泣くのか。いつもどこでなにをしているのか。写真に撮ると謎を感じさせる彼女は、撮るたびに謎であることを深めた。
夏が終わって秋になった。昨年の秋の夏子の写真と、つい昨日の夏子の写真とを、冬彦は見くらべた。その二枚の写真のあいだに、一年というすでに経過して去った時間のへだたりがあった。本当にそんなことがあったのだろうかと思わざるを得ないほどに、一年という時間の経過速度は速かった。一年というへだたりは、夏子の内部に蓄積されたのか。昨年の謎と今年の謎とのあいだに、その蓄積が見えるだろうか。二枚の写真をどう観察しても、冬彦にとっては両者ともに謎だった。
昨年の夏子の誕生日から、今年の誕生日までのあいだに撮った夏子の写真を、冬彦は整理してみた。時間順にならべ、厳選して選びだした数多いプリントを、彼は一冊の分厚いアルバムに貼ってみた。ごく淡い上品なブルーの色のついた台紙に、さらに淡いブルーの薄い覆い紙がページごとについていた。選び抜いてそれぞれのサイズをきめ、冬彦は全点をプリントしなおした。そしてアルバムに貼り込み、完成させた。そのアルバムを彼は何度も見た。写真に撮るとは、いったいなになのか。それはとにかく記憶だろう、と彼は思った。このアルバムのなかの夏子は、もはやどこにもいない。刻一刻かたっぱしから彼女は消えていくのだから、自分としては撮り続けるほかない。そのような結論に到達したあと、そのアルバムを冬彦は夏子に進呈した。