← Library‹ 東京青年 肩はいかにセクシーか 5

年ねんが明あけた。春はるが来きた。夏子なつこは大学だいがくを卒業そつぎょうした。そして冬彦ふゆひこは、誕生たんじょう日ひの夏なつ子こを写真しゃしんに撮とることの三さん度どめを体験たいけんした。写真しゃしんを撮とったあと、ふたりは話はなしをした。夏子なつこは自分じぶんについて語かたった。

「先生せんせいにはならないことにしたの」

と、彼女かのじょは言いった。

「なるときが来くるかもしれないわ。でも、いまはまだ、そのときではないのよ。幼おさない子供こどもたちの相手あいてよりも先さきに、自分じぶんのことをしないと。自分じぶんのことは、まだまったく出来できてないの。あなたからもらったあのアルバムを見みながら、私わたくしは考かんがえたの。自分じぶんとはなになのか。自分じぶんがしたいことは、いったいなになのか。私わたくしになにがあるの? 私わたくしになにが出来できるの? 私わたくしはあなたの専属せんぞくモデルよ。そしてピアノではジャズを弾ひきたいの」

冬彦ふゆひことヨシオは、夏子なつこの家いえの防音ぼうおんの離はなれをしばしば訪おとずれた。大学だいがくを卒業そつぎょうしたあとなにもしていない夏なつ子こは、女おんなの子こたちに引ひき続つづきピアノを教おしえる時間じかん以外いがいは、彼女かのじょの自由じゆうに使つかうことが出来できた。冬彦ふゆひことヨシオは夏子なつこの弾ひくジャズを聴きいた。ピアノでジャズを弾ひくことを、自分じぶんはレコードをとおしてひとりで学まなんだ、と夏子なつこは言いっていた。壁かべの棚たなにはレコードがたくさんあった。ジェイ・マクシャン。ドド・マーマローサ。アート・テイタム。エロール・ガーナー。フランキー・カール楽団がくだん。リズム・アンド・ブルースのEPも数多かずおおくならんでいたし、グレン・ミラーもあればチェット・ベイカーやバルネ・ウィランもあった。夏子なつこの部屋へやを訪たずねて彼女かのじょのジャズを聴きくことは、冬彦ふゆひことヨシオにとって、なにも知しらないジャズについて少すこしずつ知しっていくことでもあった。

ピアノ・ロールを真似まねたホンキートンク・ピアノ。ブギウギ。ブルースの感触かんしょくを色いろ濃こく持もった曲きょく。ロマンティックな曲きょくのきわめて甘あまい処理しょり。バップ。明快めいかいな抽象ちゅうしょう性せいに裏打うらうちされたスイング・ピアノ。小粋こいきな曲きょくの小粋こいきな解釈かいしゃく。さまざまなスタイルで夏子なつこは彼かれらに演奏えんそうを聴きかせた。

「いちばん好すきなのは、こういうピアノなのよ」

そう言いって彼女かのじょは、棚たなから一いち枚まいのレコードを抜ぬき取とってふたりに見みせた。エディ・ヘイウッドという人ひとが、ドラムスとベースのトリオで演奏えんそうしているLPだった。A面めんの最初さいしょの曲きょくを彼かれらに再生さいせいして聴きかせた夏子なつこは、次つぎには自分じぶんのピアノで、そっくりに演奏えんそうしてみせた。

「いまのは、物真似ものまね。でも、こんなのが私わたくしは好すきなの。カクテル・ピアノって、知しってる? カクテル・ピアノすれすれのジャズ・ピアノを、ひとまず私わたくしは目指めざすわ」

覚おぼえた曲きょくは何なん回かいでも繰くり返かえして弾ひき、その曲きょくの内部ないぶの成なり立たちを隅々すみずみまで知しり抜ぬく。それが夏子なつこの演奏えんそうの土台どだいになっていた。自分じぶんの音楽おんがくをピアノで作つくっていくにあたっての、基本きほん的てきなルールだ。覚おぼえたものはすべて彼女かのじょの体からだのなかにあった。彼女かのじょの体からだのなかから、今度こんどは彼女かのじょ自身じしんの演奏えんそうが外そとへ出でて来くる。そしてその音おとがふたたび彼女かのじょに戻もどっていくとき、違和いわ感かんが少すくなければ少すくないほどいい。自分じぶんが作つくる音楽おんがくのなかに、あ、これだ、と自分じぶんを発見はっけんする。自分じぶんは充実じゅうじつ感かんを、そして聴きいているほかの人ひとたちは、なんらかの意味いみで快感かいかんを感かんじてくれるなら、そこがおそらく到達とうたつ点てんだろう、と夏子なつこはふたりに語かたった。

「私わたくしがピアノを教おしえている女おんなの子このお父ちちさんに、レコード会社かいしゃのかたがいるの。冬彦ふゆひこくんが来きてくれた昨年さくねんの発表はっぴょう会かいで、私わたくしのピアノを聴きいてくださったの。レコードを作つくらないか、というお話はなしを私わたくしはそのかたからいただいてるのよ。ピアノ・ソロで、ジャズのスタンダード集しゅう。ひょっとしたら、リズム・セクションがつくかもしれないの。ご返事へんじは保留ほりゅうしてあるけれど、曲きょくは選えらんでみてるの」

夏子なつこ以外いがいの女性じょせいも写真しゃしんに撮とれ、とヨシオは冬彦ふゆひこに言いった。

「なにかのための写真しゃしんなら撮とれるよ。目的もくてきのきまっている写真しゃしん。いつだったか夏子なつこさんの友人ゆうじんに頼たのまれた、お見合みあい用ようの写真しゃしんみたいに」

「それ以外いがいには、撮とれないのか」

「夏子なつこさんを撮とるようにしか、いまの僕ぼくには撮とれない」

「だったら、夏子なつこさんに集中しゅうちゅうしたほうがいいね」

「ほかの人ひとを撮とる余裕よゆうはない」

「夏子なつこさんのヌードは? 夏子なつこさんのヌードを撮とったら、ほかの女性じょせいを撮とる余裕よゆうが生うまれるかもしれない」

「ものには順番じゅんばんというものがあるよ」

というのが冬彦ふゆひこの返答へんとうだった。

春はるが終おわった。梅雨つゆの雨あめになり、それもやがて終おわり、夏なつが来きた。高等こうとう学校がっこうは夏休なつやすみとなった。来年らいねんは卒業そつぎょうだ。卒業そつぎょうしたあとのことについて、冬彦ふゆひことヨシオは、考かんがえていることをおたがいに照合しょうごうし合あった。冬彦ふゆひこは芸術げいじゅつ学がく部ぶのある大学だいがくへいき、写真しゃしんを勉強べんきょうするという計画けいかくだった。ヨシオには、時間じかん稼かせぎが必要ひつよう、という自覚じかくしかなかった。受験じゅけん科目かもくが三さん科目かもくだけの私立しりつ大学だいがくを早はやい順じゅんに受験じゅけんしていき、どこでもいいから受うかったところへいく、と彼かれは言いった。

受験じゅけんのための勉強べんきょうは秋あきから、ということにふたりで勝手かってにきめた。だからその年としの夏なつは、時間じかんが止とまったような夏なつとなった。このままずっとこうなのではないか、としか思おもえない日ひが続つづいた。そしてそのような日々ひびは、ある日ひのこと、ふと終おわった。

秋あきにはふたりとも勉強べんきょうを始はじめた。高校こうこうのパン店てんをやめ、下北沢しもきたざわの美容びよう院いんに仕事しごとをかえた高木たかぎ節子せつこは、府中ふちゅうにあるアメリカ軍ぐんの基地きちの学校がっこうで勉強べんきょうしていた。秋あきは思おもっていたよりずっと早はやくに進すすんでいき、冬ふゆになった。次つぎの年としになるとすぐに、受験じゅけんが始はじまった。冬彦ふゆひこは目標もくひょうとしていた大学だいがくの学部がくぶに合格ごうかくし、ヨシオも最初さいしょに受うけた私立しりつ大学だいがくの法学ほうがく部ぶに合格ごうかくした。ふたりは高等こうとう学校がっこうを卒業そつぎょうした。

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