七月なかばのある夜、アパートメントの部屋に帰ったヨシオを、冬彦が訪ねて来た。
「部屋に明かりがつくのを待っていた」
と、冬彦は言った。
ふくらんだ大きな封筒を、冬彦は持っていた。居間のソファにすわってから、テーブルに置いたその封筒を冬彦は示した。
「昨年の夏が終わって以来の、夏子さんの写真。葉山のプールや内房の海での写真などのあとからのもの。そこから、つい二、三日前までの期間にわたる写真」
封筒のなかの写真を、冬彦はテーブルにすべて出した。
「時間順になっている。見てくれ」
上から順に一枚ずつ、ヨシオは見ていった。見たものは裏返しに置き、次々にその上に重ねていった。
三十枚ほど見てから、
「いい。たいへん、いい。面白い。興味深い」
と、ヨシオは言った。
「まずとにかく、ひとつはっきり断言出来るのは、伊東夏子さんという女性は、たぐいまれな写真モデルだということだね」
「いくら撮っても、撮りつくせないんだ。ポーズがちょっと変わるだけで、別人になってしまうし。背景が変わると、最初から撮りなおしみたいに、物語が変わっていく。服が変わっただけでも、撮るべき写真はつきない」
「いつまでも撮り続ければいいんだ」
「だから、撮ってるんだよ」
一定のテンポで写真を見ていくヨシオに、
「ヌードもあるよ」
と、冬彦は言った。
「それがどうした」
おなじこのアパートメントに冬彦が借りた部屋を、夏子が初めて訪れたときの一連の写真に、やがてヨシオは到達した。
「このアパートメントの部屋だ」
と、ヨシオは言った。
「モデルがこれだけいいと、撮るための背景や場所が無限に近く必要だね。ありとあらゆる状況と場所で、撮ってみたいだろう」
冬彦の部屋の二階の寝室で夏子が裸になっていく写真を、ヨシオは見始めた。
「島村も写真の腕を上げて来たよ。こうなったら、島村は写真家になるほかないね」
「僕もそのつもりだ」
夏子の裸の写真を、ヨシオは見ていった。
「夏子さんの圧倒的な魅力に、島村は果敢に立ち向かってる」
そう言ったヨシオは、夏子と冬彦とのあいだに性的な関係が生まれた直後の写真の、最初の一枚を手に取った。あお向けに横たわる裸の夏子に冬彦がまたがって撮影した写真の、最初の一枚だ。
「おめでとう」
ヨシオはその写真に言った。
「でかしたぞ、島村、これは上出来だ。この写真以後、伊東夏子さんと島村冬彦とは、男と女の仲だ」
ヨシオのその言葉を受けとめてから、
「わかるかい」
と、冬彦は聞いた。ヨシオは笑った。
「見れば誰にでもわかるよ」
写真を最後の一枚まで見終わって、
「おめでとう」
と、もう一度ヨシオは言った。そしてすべての写真をおもてに戻し、きれいにそろえた。
「貴重な記録だよ。夏子さんという謎が、一枚ごとに記録されている」
「どの写真も、なぜこれほどまでに謎めいて撮れるのだろう」
「謎だからだよ」
「しかし、写真に人の内面なんか撮れっこないはずだ」
「外見だけでも、充分すぎるほどに謎である、ということさ」
「美しいと謎になるのか」
「基本的にはそうだね」
「謎とは?」
「物語だよ。たとえば夏子さんの写真なら、それを見る人の誰もが、一枚ごとにそのなかに物語を読んでいく」
そう言ったヨシオはテーブルに両足を上げ、ソファの縁に向けて腰を滑らせ、背もたれに体を預けて両手の指を頭の上で組み合わせた。
「こういう写真は本にまとめるといい。夏子さんの写真集を作れ。一年ごとに。あるいは、何年かごとに、まとめて。主題別でもいい。冬彦による夏子のシリーズ。たとえばこれから十年という期間のなかで、そのことを考えろ。夏子さんを撮った写真による、何冊もの写真集」
「それは僕も、考えなくはない」
「考えろ」
「そうだね」
「いずれ夏子さんと結婚しろ。いますぐでなくてもいいよ。いずれ。島村をリードしつつ、ともにどこへでも来てくれるパートナーとして。最高の人だよ。そして島村は、写真家になれ。夏子さん以外の写真も撮る。いつだったか街で撮ったときには、いろんな写真が撮れたじゃないか。東京は激変するよ。だから東京を撮っておくといい。いま撮れば二十年後にはどれもみな傑作になってるから。夏子さんと結婚して、写真家として生きて、死後も写真集を出してもらえるような写真家になれ。美しい未亡人は、膨大な量のネガを整理しながら、静かに余生を生きていく」
「そうなるのか」
という冬彦の言葉に、
「ストーリーとしては、それがいちばんいい」
と、ヨシオは答えた。