中原順子が電話交換手として職を得て、のちに店員となった日本橋の百貨店をヨシオは電話帳で見てみた。人事課、という部署の電話番号が掲載されていた。だから彼はその人事課に宛てて、中原順子に関する問い合わせの手紙を出した。一九三五年から一九三八年まで社員として在籍していたはずの、中原順子という女性についての記録が残っているなら、その記録を私に公開してもらえないか、という内容の手紙だ。
丁寧な文面の返事が、すぐにヨシオに届いた。保存してある昔の記録を見たところ、中原順子は確かに一九三五年から一九三八年まで、在籍していたという。必要な社員を集めることを業務とした別会社にいったん雇われたのち、電話交換手として入社し、その後すぐに店員になったという、ヨシオがすでに知っている事実が、返信のなかに繰り返してあった。
『履歴書は当社の方針として本人の退社時に本人に返却したものと思われます。当社に残る記録としては、わら半紙に鉛筆で記載事項を書き写したものが残るのみです。ご参考までにそれを別紙のとおり転記して同封いたします。写真の保存はございません。中原順子さんの、当時の同僚および上司と推測される方々の記録もありますので、その方々の氏名、そして当時の住所など、ごく簡単なことのみですが、必要でしたらお伝えすることは可能です』
おなじく丁寧な文面で、ヨシオは礼状を書いて投函した。履歴書に中原順子が書いたことを転記した紙によると、一九三一年に中原順子は神戸の女子短大を卒業していた。その短大の名も、書いてあった。
一月、そして二月と、日比谷優子の出演する映画は、撮影が続いていった。島村冬彦は毎日のように現場へ出向き、優子を中心にして撮影作業を写真に撮影した。進行していく状況を、ヨシオは島村から間接的に聞いた。一度だけ島村といっしょに、撮影所でのセット撮影をヨシオは見にいった。
三月の初め、夜まだ早い時間にヨシオはアパートメントに帰ると、珍しく優子の部屋に明かりが灯いていた。今年の一月に部屋がひとつ空き、優子はそこへ引っ越して来た。彼はドアをノックしてみた。優子が返事をし、ドアが開いた。
「まあ、久しぶり」
ヨシオを見て、優子は純粋に喜んだ。
「入って。お茶をいれたところなの」
ヨシオは居間に入った。板張りのフロアのほぼ中央に、丸いテーブルが置いてあった。それを囲んで椅子が四脚あった。テーブルに向けて、天井からペンダント・ライトが下がっていた。吊り下げる装置を天井に取り付けるのは、たいへんだったのではないか、とヨシオは思った。居間ぜんたいは、優子がくつろぐためのスペースと言うよりも、接客のためのスペースのような雰囲気があった。
「これを先に飲んで」
自分のためにいれたお茶を、優子はヨシオに勧めた。そして自分はキチンへいき、もう一杯いれて持って来た。丸いテーブルでふたりは差し向かいとなった。映画の撮影に関して、優子はひとしきり語った。そのあとヨシオは、優子の父親に会った話をした。そのことについて優子に語るのは、ようやくいまだった。母親が神戸の短大を卒業していることを、優子は知らなかった。
「それはびっくり。知らなかったわ、私、そんなこと」
「お父さんとの話のなかに神戸が出て来たけれど、短大のことは出なかった。結婚する前に勤めていた日本橋の百貨店に提出した履歴書に、学歴として記載してあったそうだ」
「びっくり。初めて知ることよ」
「唐津の実家の人たちは会ったときには、そんな話が出なかったのかい」
ヨシオの質問に優子は首を振った。
「お母さんの両親は知ってるはずだよ」
「一度もそんなことは聞いてないわ」
「もしかしたら、知らないのかな」
「今度、確かめておくわ」
中原順子について知り得たことを順番に書き込んであるノートブックが、いつもヨシオの鞄のなかに入っていた。それを取り出し、彼は優子に読ませた。取材のような作業がひとまずすべて終わってから、ヨシオは全体を文章にまとめるつもりでいた。
「今月のうちに、僕は唐津へいくよ」
「実家のかたたちに、よろしく伝えて。ほんとに、くれぐれも、よろしく。映画が公開されたら、ご挨拶にうかがいますと伝えて。と言うよりも、あなたがいくことを、私から手紙に書いて前もって伝えておきます」
「実家で聞けるだけのことを聞いたあと、博多へいってみる」
「博多では、母は伯母さんのところに居候してたのよ。母の母の、お姉さん。伯母さんもそのご主人も、もう亡くなってるわ」
「学校くらい見てくるよ。それから、神戸へいく」
「この短大ね」
ヨシオのノートブックのなかに書いてある短大の名称と所在地を、優子は指先で示した。ヨシオが調べたところによると、その女子短大は、中原順子が通っていた頃とおなじ場所に、いまも存在していた。
「そこへいけば、記録はあるはずだよ。卒業アルバムとか。お母さんを教えた先生たちが、ひょっとしたらまだいるかもしれない。当時三十代だったとして、現在はまだ六十代だから」
「私もいきたい」
「撮影が終わったら、いってみるといい。神戸から東京へつながる手がかりは、しかし、まず見つからないだろうなあ」
「その意味では、博多から先もね」
「落ち着く先々から、一通でもいいから実家に葉書でも出していれば、それがずっと保存されている可能性はある」
「私が訪ねたとき、ひととおりは調べてもらったはずなのよ」